主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【窓越しの再会──母と婚約者 ふたつの死(7)】

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2022年2月1日

今日は目覚めたそばから疲れを感じた。昨夜あまり眠れなかったせいだろう。それでも気持ちを整えようと、日課となっている近所の散歩に出掛けることにした。

なるべく人と遭遇しないルートを辿ったはずが、自由勝手な人たちばかりと次々出くわした。そんな情景を目撃すると、心は自動的にやさぐれ始める。


──なんで彼女が先立ってしまったんだ──


人のためを思い感染予防を徹底して、自由を手放し、辛抱していた彼女が……。


「タバコは立ち止まって吸っていただけますか?」
「はぁ〜っ おっさん、偉そうになんだよ!」
「100メートル先までに臭うので不快です」
「だから?」
「素直に耳を貸せない方には、ジョーカーをだしますよ」
「へーあの映画のジョーカーの真似でも見せてくれんのかよ」
「婚約者が死にました。あなたのような勝手な人をみていると、今ぼくは何をしてもかまわまいとさえ思います」


自分の都合で敵意を向けた相手に注意さえも出来ず、路肩を俯き加減で男は過ぎ去る──その背中をカメラは映し出している……。映画なら、ここで現実のカットに戻る場面──そんな妄想が頭を過ぎった。

あてもなく人のいない方へと足を向けていくと、住宅街の路地に迷い込んだ。一切のひと気はなく、野良猫さえも見かけない。冬の寒さに静まり返る街並み──そのなかでただひとり歩いているぼく──これまでなら、そんな時間も心地よかったのだけれど、今はそんなはずもなかった。


──ひとりぼっち──


刹那とはまさにこのときのことを指すのだろう。恐ろしい孤独感に見舞われて、思わず涙した。

兄弟や友人、数えきれない仲間たち──そこから授けられる友愛だけでは補えないものを喪ったのだ。それも立て続けに……。

音に気づいてふと空を見上げると、左右の頭上に飛行機が2機、飛び交っていた。東京オリンピックパラリンピックの需要増を考慮して航路変更になったと記憶しているが、あれだけ右肩上がりだったインバウンド特需も、あるとき一気にカットアウトされるように失われた。


──彼女との死別も同じだった──


泣き腫らしたまま現地へ到着したのは、彼女が倒れた翌日の午後のことだった。ご家族の方に駅まで迎えにきていただいているので、トイレに寄って身支度を整えてから改札へ向かうことにした。2年以上お目にかかっていなかったからすぐにわかるか不安だったが、こんな緊急時に来訪者を待つ人の姿というものは、遠目から見ても明らかだった。

挨拶をして、駐車場へ向かって歩きながら、改めて状況を伺った。ICUにいるため会えるかどうかはわからないと再度伝えられたが、ICUと同じフロアにある家族待合室までは入れると伺って、少し安堵したことを覚えている。


──できる限り近くまで来たよ──


その想いが彼女へ届けられると思ったからだ。


わずか一ト月前、母が息を引き取ったとき、彼女は感染拡大が始まりつつあった東京へ、躊躇わずに「行く」と自ら進んで伝えてくれた。普段の様子を知らない慣れない街へひとりでやってきて、在来線を乗り継ぎ、東京郊外にある介護施設までやってくるのだ。きっと怖かったことだろう。それでも、母とぼくのために来てくれたのだ。


「お母様を見送らないと後悔する」


その強い言葉に、心打たれた。

今度は、ぼくの番である。


──あなたのそばに来ないと後悔する──


この先、ぼくの心が粉々になってしまってもいい。恐れを振り切って、そばに来たよ──きっと伝わっている。そう信じた。

部屋に入りしばらくすると、ICUからお呼びがかかった。面会できるという。厳重に入退室が管理された空間──最初の扉を通り、隔離された前室で手洗いと手指消毒をするのだが、その前に、どこから来たか? 確認が行われた。


──嘘はいけない──


彼女ともそのことを大切にしてきた。だから看護師の方の目をまっすぐ見て、正直に伝えた。


「東京から来ました。ただし、この2週間誰とも会っていません。普段から感染予防は徹底しています。」

穏やかで、かつ確かな口調でこう返答を下さった。


「はい。わかりました。」


婚約者であることを除いても、入室は特例中の特例だった。ご本人の責任において、ぼくを通して下さったのだ。想いは伝わった。有り難かった。

本人は、ICUのなかの、さらに個室に隔離されていた。少しでも身体を動かしたりすると生命の危機に触れる状態ゆえのことだった。ICUの窓越しから、生命維持が施された彼女の姿を見つめた。まるで映画で観たような景色だった。


──心拍数、77──


普段からよく見かけるゾロ目の数字にここでも出くわした。そして、一ト月前、母が荼毘に付された炉の番号も「7」──悲劇のなかにも、わずかな光を見ているような気がした。


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