2018年10月11日
今日は母の退院予定日、のはずだった。入居中の特別養護老人ホームとも連携して準備は万端だったのだけれど、直前になってまた発熱が始まって見送られることになった。
いくつかの仕事の合間に、少し久しぶりに母と顔を合わせた。発熱してから初めて会ったけれど、今日は熱もない様子で、元気そうにしていた。
ただ、この6年の間に何度となく繰り返された入院生活で初めて、痰が絡むとようで、とても苦しそうにしていた。ベッドには吸引の準備が整えられていて、1時間程度の面会中の間に2回、除去が行われた。
会話はあまり噛み合わなくなってきているが、痛かったり苦しかったりといった意思表示は、未だはっきりできる。吸引はとても苦しいに違いない。ノズルを近づけられると、口を固く閉ざして受け付けようとしない。
「ほら、あの歌を聞かせてよ」
ぼくはそう言って、母に〈誰も寝てはならぬ〉の最後の一節を口ずさむよう促した。
「ヴィンチェロ〜」
そうして口を開いた瞬間に、吸引を実行──まるで小児科で受診をしているかのような時間だった。
とても苦しかったのだろう。母は看護師さんが立ち去ろうとするとき、ぼくにこう告げた。
「あのひと、きらい」
こんなときのぼくは、親が子を諭すように母に伝える。
「笑顔は伝染するんだよ。だからその自慢の笑顔をみせて、『ありがとう』って伝えてあげてよ。みなさん大変な思いで向き合って下さっているんだから」
「ありがとう」
母は理解したのかその場を取り繕うとしたのか、いつもの笑顔を浮かべながらぼくにそう応えた。
願いが叶うのなら、母の晩年を、暖かい気持ちで包まれたものにしたい。見舞いに来られる多くのご家族が努めて道化を演じているように感じられるのは、きっとそんな想いがあるからだと、自分自身の病院での振る舞いを見つめて感じることがある。
痰の具合も良くなかったこともあって、今夜は夕食を食べられなかった。体調の移ろいも含め、こうして食が細くなっていくことも、終に向かう道程には必ず出会す出来事のひとつだ。
赤子と同じように、今の母は、身の回りのすべてのことを誰かに頼っている──人に迷惑をかけたくない──そうした思いが強い世代でもあった母は、あらゆることをひとりでこなしてきた。それでも最期を迎えるには、誰かを頼らざるを得ない──。
──いのちは ひとりじゃ しまえない──
この頃、母に会うたびに想う。一人前に育つにも天寿を全うするにも、とても長い時間が必要なのだと。そして、その時間を家族と過ごせることは、何よりも幸運なことなのだと。
ときおり溢れて止まらなくなりそうなこの想いは、決して哀しみではない──これこそ紛れない、幸せの証。
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