主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【施設からの電話──抱擁の力を信じて】

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2018年9月8日

未だ全快に届く気配のない週末の土曜日──父の墓前に兄の還暦を報告にいくつもりだった。昨日の母とのやりとりも気になったままだし、墓参りのあと、もう一度母に会いに行こうと考えていたが、すべてキャンセルして、養生に専念することにした。

今日もいつものように、穏やかな静けさに満たされたこの家で、ギターを練習したり、リズムマシンでDJの真似事をしたり、映画を観たり、本を読んだり、お茶を入れたり…。

無論それは、インドア派のお手本のような週末の1日を過ごすための営みではない。


──仕事を再開するためのシミュレーション──


しかしふとした瞬間、胸のつかえを感じることがある。母の介護のために揃えた機器を使って、血圧や血中酸素濃度を都度測るも、特別な異常は見受けられない。しばらくぼんやりしたり他のことに集中したりすれば、違和感も遠のいていく。


──そろそろ仕事の時間だ──


これくらいなら、作業を進められそうだ。今まさにこんな調子だから、きっとまたいいものが仕上がるに違いない。完全休養は、どうか今日限りにしたい。

夜、身体の自由が効いたころの母が腰掛けていた居間のソファーに深く身を沈め、心身を休めていた。昼間に皮の手入れをしたためだろう。保湿クリームの匂いが鼻先に届いた。


──この匂い、悪くない──


簡単に食事を用意して食べ終えたころ、珍しく電話が鳴った。今どき、仕事の連絡はメールで行われるため、電話が鳴るのは緊急連絡に他ならない。そしてそれは、昨今のぼくの日常では、九分九厘、母の異常を伝えるためのものだ。


──施設からの電話──


高熱を出しているらしい。また尿が出にくい状態に陥っているそうだ。意識ははっきりしていて元気にしているらしいが、容態の変化があれば救急対応になる旨、報告された。過去に尿路感染による敗血症を患ったケースが3度ほどある。伝え聞く限りでは、現状、その心配は少なそうだが、熱が下がるまでは安心できない。

連絡が来ないことを祈りながら、部屋の整理などをしていた。ふと気づいて今の時計を確認すると、もう23時前。だいぶ時間が過ぎていた。


──昨日のことが頭をよぎる──


心を粉々にされても、ぼくが辛抱すれば万事解決なのだろうか?

他の入居者の皆さんや職員の皆さんにとって母が負担にならないように──それを願うばかり、今の母を躾けようにも方法がない。言葉で諭したところで伝わらない母に、親が子を教育するかのように話をしても、それで満足しているのは、きっとぼくだけだ。

昨日、母の居室で起きた出来事を振り返りながら、母が望んでいることを想像してみた。それはきっと、こういうことなのかもしれない。


──手を握り、抱きしめる──


ベッドに横たわる母が起こしてとせがみ続けるのは、そのための動作に必ずこれらの行為が含まれることを本能的に知っているからなのか?

自分で自分のために救急車を呼んでから1週間が経った。あのとき、介助され緊急処置を受けている時間、体調とは裏腹に、ぼくにも妙に落ち着く感覚があった。

母は、それと似たようなことを望んでいるのか?


──手当──


身体に手を当てるだけで癒されていく──ぼくらの手と身体からは、何か、見えない力が放たれているに違いない。

別れ際の握手だけでは足りなかった。顔を合わせている間はずっと手をさすり、帰る前には必ず抱きしめてあげよう。

母にそうしてもらった記憶はあいにくない。でも母を抱きしめたとき、物心つく前の、遠い遠い昔の記憶が呼び覚まされてくるかもしれない。

そして何より、そうすることで、今のぼく自身が落ち着けるはず。


──母が無事に明日を迎えられますように──


ぼくを救うためにも、どうかお願い。

今夜は「おやすみモード」にして待機しよう。これで連絡先の「お気に入り」に登録してある番号から以外の着信は通知されなくなる。登録しているのは、取り逃せない緊急連絡がある可能性のある相手だけ──電話が鳴らないことを、今はただただ祈っている。


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