主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【リブート──コーヒーと珊瑚とケーキの記憶】

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2018年8月30日

 

夕刻、帰宅して丸3日が経とうとしていた。

 

ようやく「コーヒーでも淹れてみようか」という気持ちが湧いてきたので、自分のために買った唯一の土産=35 COFFEEを手に取った。

 

 

──摂取したカフェインが脳を叩くまで20分──

 

動ける気配が全くないままのとき、何度となくそう思い出して、再起動のためにコーヒーの力を借りたかったのだけれど、普段の無駄なこだわりがこんなときには仇になる。

 

我が家には、挽いた状態のコーヒー豆がなかった。付け加えると、ミルも手動のタイプを愛用していた。

 

 

──豆を挽く余裕さえない──

 

 

コーヒーを淹れようだなんて、だいぶ疲れも癒えてきたのだろう。

 

那覇空港で目にしたこのコーヒーは、7月の会場下見の帰り道、那覇市内を走るモノレールの駅のスタンドで味わったものだったが、名前の由来が「珊瑚」であること──ローストするのに風化した珊瑚を高温に熱して用いていること──売り上げの3.5%を珊瑚の再生活動に活用していることを、今回初めて知った。

 

珊瑚と言えば、37年前に家族で沖縄の慶良間諸島に行ったときの様子が目に焼き付いている。現代でいうところのハイビジョン映像で見られるような、白い砂浜にスーパークリアな浅瀬に泳ぐ絵に描いたような熱帯魚たちの戯れに驚いた記憶と同じくらいに、少し沖合にでたところに群生する珊瑚礁は、だいぶ痛んでいた。

 

そんな話を、今回、タクシーの運転手さんにしたところ、「離島にもたくさん人がくるようになって、だいぶ様子が変わっている」と現状を伝えて下さった。

 

ぼくが10歳当時と言えば、ちょうど1980年──沖縄が返還されて8年目だ。それから40年近くの時間が過ぎて今もまだ自然が残っているのは奇跡と言っても過言ではないだろう。同時に、人々の努力の賜物であるとも言えるはずだ。海にも、里山と同じように、ある程度人の手が入ってこそ整えられる環境があるのだろうか?

 

 

──50年近く生きてきてそんなことさえ知らずにいたことが恥ずかしい──

 

 

空港で販売されていたパッケージには、よほど回転がいいのか、煎りたてに限りなく近いフレッシュな豆が封入されていた。これは、コーヒーを淹れるものだけの醍醐味だが、湯を注ぐと立派に膨らんでいく様子をみるだけで、不思議と気持ちがほころんでいく。

 

浅煎りを思わせる色合いをした豆は、想像よりも酸味は少なく、とても飲みやすい味わいだった。ホットでひと口味見したあとは、氷でたっぷりと満たしたグラスに一気に注ぎ込み、アイスコーヒーにした。昔、わずか2年間だけ喫茶店をやっていた母が教えてくれた「冷コー」の淹れ方だった。

 

淹れたての風味を味わったとき、この夏、モノレール首里駅でいただいたこのコーヒーの記憶が蘇った。あのときあいにく小銭がなく、大きな札を出してしまったぼくに、高校生アルバイトと思しき若い店員さんが「細かいのありませんか?」と訊ねてきた。その様に、とても懐かしい昔の記憶が呼び覚まされたような気がした。今ではどこもかしこもいかなるときも準備が整っていて、釣り銭に困ることなどほとんどない。電子マネーも普及している昨今、レジで言葉を交わす必要もますますなくなってきている。

 

 

──当たり前のことが今も当たり前のようにある日常──

 

 

それがなんだか微笑ましかった。

 

ついさっきまで、豆を挽くことさえ拒んでいたのに、早速カフェインが脳をヒットしたのか、途端に元気が湧いてきた。続けて同じ手順でもう一杯淹れるころには、すっかり覚醒したように思えた。そこでこのときとばかりに、馴染みの酒場の店主たちに土産を持っていくことにした。このまま土産を手元に置いておくと、すべて一人で食べ尽くしてしまいそうだったからだ(事実、土産を理由に久しぶりに会おうとしていた方々の分は「疲れを癒すため」という大義のもと、みな食べてしまった)。

 

相変わらず、アルコールは絶ったままだ。酒場でもコーヒー、お茶、牛乳などを飲んでいる。それでも歓迎してくれる場があることを、とてもありがたく思う。

 

そして今夜は、偶然に友人の誕生日を祝う場に遭遇した。

 

 

──誰かのためにこんなにまでしてあげるのか?──

 

 

その測ることさえできない巨大な誰かを祝う気持ちに驚きながらも、かつて自分にも、それくらい大きくて深い想いで誕生日を祝ってもらったことがあったのを思い出していた。それも2回もだ。

 

あれは、大厄から抜けたときと、自分で主催した誕生会でのことだった。それぞれ大きな大きなケーキが目に前に現れたのだ。もちろんそれは、見事なサプライズだった。

 

今日、偶然に観た映画のワンシーンに、誕生会のシーンがあった。そこにも巨大なケーキが登場していた。

 

 

「誕生日は残されたもののためにある」

 

 

いつかこの台詞の意味を今日よりも強く思い返す日が訪れるような気がした。

 

 

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