【物心を置きに】
2017年11月20日
夕方、陽が落ちる前に母の面会に行こうとしていたのだけれど、昨日、ネット動画で耳にしてから気になったコード(和音)があったので、ギターを爪弾きながら確認していたら、案の定…。
足速に外に出るとすっかり辺りは暗くなっていたけれど、少しばかりの遅刻も悪くない。
──ほら、綺麗な夕陽が見える──
この道を自転車で駆け抜けて母は買物に向かっていたっけ。前も後ろもカゴを一杯にして帰ってきては、
「今日もたくさん買うたでぇ」
といつもの笑顔を見せてくれた。
去年の今ごろは、《LIVE BONE》劇場版・松本公演目前だった。その頃はまだ自宅で母を看ていたので、出張の間、ショートステイに預けてお世話してもらっていた。
振り返れば、今とはまったく別人のようだった。
まだ会話も十分にできたし、自分の希望もはっきり伝えてくれていた。
──「早よう家に帰りたい」──
そう言われると困ってしまっていたのだけれど…。
ゆっくりと子供に帰っていく母をみていると、まるでどこかに、物心を置いて歩いているように感じる。
ひとつひとつ、授かり育んできたものを返して…身軽になろうとしているのだろう。
最近では、いよいよぼくら兄弟の名前もおぼろげになりつつある。
「名前なんて、ただの記号だから忘れたっていいんだよ」
母にはそう冗談めいた口調で伝えているが、無論それは、ぼく自身に言い聞かせるためでもある。
──頭と心が、かみあわないんだ──
施設から持ち帰った母の衣類を洗濯して、早速アイロン掛けをしていると、突然に込み上げてくるものがあった。
シワを伸ばすために霧吹きで湿らせてから、十分に熱したアイロンを母の寝巻きに当てる。すると、一気に水分が蒸発して、湯気が立ち込める。布に染み付いた母の匂いとともに。
──いつもこうして母がアイロンを当てていた姿が瞬時に蘇ってきた──
この浮世に思い残すことなんてあったら、とてもあの世へはいけない。意識がはっきりしたままでは、己の終への恐怖から逃れることもできない。大切だった人の名前も顔も…そしていつかは自分という存在も忘れてしまえるからこそ、安心して旅立てる。
かつて痴呆と呼ばれていたこの症状は、人に備えられた唯一の多幸感プログラム。それが発動するまで生を表現している母は…そして、それをみまもっているこのぼくは、どんなに幸福なのだろう。
そうわかっていても、ときおりこうして、込み上げてくるものが抑えられなくなる。
──あの世はどこにあるのか?──
それは、母を知るすべてのひとの心の中に──。
いつかそう感じたとき、とても安心したことを憶えている。
母はぼくたちの心の中に棲家を移す支度をしている。その扉をそろそろ開ける準備を、まずぼくが始めておかないと、ね。
痛みも悲しみも苦しみもない終の棲家に、迷うことなく辿り着けるように。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #介護者卒業間近 #母 #老人保健施設 #入所中 #特養 #入所準備 #終 #アイロン #自転車 #夕陽 #物心 #物心を置きに