2017年9月12日
今夜も面会時間終了間際に施設に到着した。
今後の方針が決まってからは、母に事情を説明することもなくなったので、話題に困ることが多くなった。最近の面会は、洗濯物を届けにいって様子を聞いて、目にした記事や日頃体験したことを伝える…そんなパターンに陥っている。言葉がなかなか返ってこないため、話しが伝わっているのか不安になって、どうしたらいいのか? と、余計なことばかりが頭を過ってしまう
──ただ顔を見せればそれだけでいいのに──
墓のあるお寺さんから、法要の知らせが届いた。対応はもう随分前からぼくが引き継いでいるのだけれど、母宛の案内なので見せてみると…まさか、お寺の名前を読み間違えていた。
──こうして少しずつ、荷を降ろしていけばいい──
ぼくは随分、変わったと思う。
2年ほど前なら、こんな様子を知ったら、育んだ想像力が一気に暴走して、見えない明日に怯えてしまっていたけれど、今は、ただ目の前にある状況を受け止めることができるようになっている(自分にまつわることでも同じ)。
それは、セルフコントロール術をいくつか学んで実践し続けている成果であると同時に、この2年の間に、母を送るときがゆっくりと迫ってきている感触を絶えず感じ始めているから他ならない。
──なんでもひとりでこなしてきた母が、ひとつずつ、できないことが増えていく──
それをまさに〈ひとつずつ〉目撃していく辛さは、言葉にし得ない苦痛に近い感情だった。でも、それは〈自然の出来事〉だと繰り返し繰り返し言い聞かせては、ときに己の狂気に翻弄されながらも、なんとか正気を保ってきた。
人は生まれて、誰かの支えがないと育つことができない。
それと同じように、誰もが皆、誰かの世話になりながら、その生命を閉じてゆく。
──今の母は、まさにそのとき──
最初にいたどこかへ戻ろうとしている──。
大きな放物線を描いて天高く放たれた母の人生は、今そっと着地する支度を進めている。
あの頂きに近づいたときと同じ軌跡で。
──嗚呼、嗚咽が止まらない──
面会を終えて部屋を出る。
帰りのエレベーターホールまで案内されると、母がいつも声をかけるタヌキの置物が目に入った。
「タヌキちゃん、いつ話しだすのかね、とおっしゃっているんですよ」
どんなときも朗らかな空気を携えているある男性スタッフの方が、明るい表情でそう教えて下さった。
「ああ、絶対に話しださないとは、限りませんものね」
咄嗟にそう応えると、
「あの母にしてこの息子あり」
と言わんとした表情で、爽やかな笑顔を返して下さった。
──母はぼくと約束した通り、冗談を言ってスタッフの皆さんを楽しませているんだ──
今夜は、そう思うことにした。
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