【少しだけでいいから、深く眠りたい】
2017年8月24日
母、一時帰宅、二夜目、22時──。
「岡村くん、好きぃ」と、年甲斐もなく岡村隆史ファンの母は、今夜のぐるナイ2時間スペシャルを楽しそうに見つめていた。
「久々に岡村くんの顔をみられてよかった」
そう何度も言いながら放送を楽しんでいた。
かつては寝床でラジオを聴くのが習慣で、彼のオールナイトニッポンにも時折り耳を傾けていたらしい。
「最近、ラジオはあんまり聴かへん」
認知機能も徐々に衰えてきているせいか、ラジオが楽しめなくなってきているのかもしれない。
この二日間もあまり会話にはならなかった。
話題にしようと何か話してもから笑いばかりで言葉はほとんど返ってこず、母は母で、脈略なく思いついたことを繰り返し口走る…この1〜2年は、その傾向がますます強くなっていた。
そんな兆候が見え始めていたのは、いつ頃からだったか? まだ母が料理を自分でできたころだから、5〜6年ほど前からだったろうか?
そのときの話題に関係のないことを、話しの腰を折ってまで口走るようになっていた。昔からその傾向は少しあったせいもあり、それが認知機能低下によるものとは思いもよらなかったから、ぼくはよく口ごたえした。
「話しの腰をおるんじゃないって、親が子に教えることだろ!」
母はどうしてぼくが怒っているかもわからない様子で、キョトンとした表情をいつも浮かべるばかりだった。
──人に見られている効果──
施設では、周りに気を遣っているのか、和やかに冗談をよく口にしている。
「周りを楽しませてあげよう」
「それが残りの時間の役割だよ」
その約束を実行してくれているのかもしれない。
でも、まるで舞台を終えて帰宅したコメディアンのように、一時帰宅した母は寡黙だった。
きっと、どうして家に帰って来ているのかさえ把握できていない。
「今日から幼稚園よ」
「春には小学校だね」
ぼくらが子供の頃にそう伝えられてもピンと来なかったように、今の母はわけもわからず、あちこち連れまわされていると感じているのかもしれない。
──小学校の入学式の日の朝のことは、今でもよく憶えている。
着物を着た母に制服を着せられて、手を繋いで駅まで向かい、どこかに一緒に行ったこと──。
気づくと知らない子たちばかりの部屋にいて、黒縁メガネの知らない男性が「隣の人と挨拶しましょう」というので怖気付いていたら「〇〇〇〇です。よろしくね」と、目をキラキラさせてハキハキと挨拶をし握手を求めてくる女の子に、何の反応もできず恐る恐る無言で手を差し出した、何とも気まずかった小学校一年生最初の日──。
──あの日もなぜここにいるのか? 何も分からなかった──
母は今のぼくがそうしているように、きっと丁寧に何度も何度も事情を説明してくれたに違いない。そしてぼくは、今の母と同じように、何度説明されても憶えることはできなかったのだろう。
自分を生んでくれた親が老いていく様子を断片的にではなく、世話をしながらそのすべてを見つめることは、言葉では言い表せないほどに重たく苦しい経験だった。それまで当たり前としてあった「普通のこと」が、ゆっくりとゆるやかにそうではなくなっていく毎日が、怖くて怖くて仕方なかった。
あれから途方もなくながい時間を費やして、ようやく「これこそが普通のこと」として受け止められるようになったけれど、そんな今、改めて想う。
──母を送ったとき、どうなるのか?──
早くに未亡人となった母と父親を子供時代に失った兄の気持ちを知ることが、そのときようやくできるのだろうか?
いや、きっとぼくのことだから、その喪失感に押しつぶされるに決まっている。
──そんなときくらい、孤独に酔いしれてもいい──
昨夜の母は、環境が変わったせいか、夜中に何度かベッドから起き上がってしまった。
──歩行が危うくなった今、起き上がり、立ち上がりの際のみまもりは欠かせない──
ぼくは仕事はもちろん、ほとんど眠ることさえできず…。
今夜の母はぐっすり眠っている。仕事を進めたいけれど…。
少しだけでいいから、深く眠りたい。
──明日の午前に、母はショートステイへ長期入所する──
特養老人ホームが見つかるまで、このサイクルの繰り返し。
──全国の入所待ち50万人──
新設のところに当たらなければ、2〜3年待ちは普通らしい。さあ、ここからまた気力、そしてあらゆる意味での体力が試される。
この1年で手に入れたセルフコントロール術を駆使して、乗り越えていこう。
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