主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

主夫ロマンティック誕生──はじめに

映画《アンダーグラウンド》のラストカットで、自由奔放で破天荒な主人公がこう言い放つ──昔のことは忘れろ──。

確かにそうかもしれない。

母の介護が始まって、まもなく丸3年になる。この期間、ぼく自身にとっても色んなことがあった。キャリアとしても重要な時期に差し掛かり、これまで夢みていた仕事の機会を国内外で頂くも、母の不調がいつもつきまとい、頭を、そして心を痛めた。

助けを求めた家族とも仲違いすることになったし(案じていた通りだった)、ぼくの乱心は、周りにも悪影響を与え、大切な人、掛け替えのない仲間も失うことになった。

無心で、ただひたすらに目の前に立ちはだかる出来事を解決していく日々が2年を過ぎようとしていたころ、今度は、ぼく自身が壊れてしまった。フリーランスとしてそれこそ無心で挑み続けた20年…自ら進んで踏み込んだ茨の道から逃げ出さないように、退路を絶って歩んできたツケが、ここへきて一気にまわり始めた。

母の世話をしている時間、家事をこなしている時間、病院に付き添っている時間、介護関係の面会や手続きをしている時間…ぼくは完全なる無給。後に気づくことになるのは、無給ということは、同時に休みを返上することにもなり「無休」へと近づく。

心身への影響は、計り知れなかった。母譲りの、遺伝性高血圧症を授かったぼくの血圧は、ピーク時、驚くべき数値まで上昇していた。極限状態を緩和しようという言い訳が、ぼくを暴飲暴食へ誘っていた。見事な悪循環…自業自得だった。

時を同じくして、仕事も途絶え気味となった。自ら求めても求めても世に中からは求められないという現実を直視し続けることは、自分自身を切り売りして生きてきた身として、この上ない苦痛に他ならなかった。

そして気付いたときには、闇の中にいた。

それからおよそ1年が経った今も、状況は何も変わっていない。3年目に入って脳梗塞を起こした母の体力が緩やかに低下しつつある現状を見つめれば、状況はより悪化しているとも言えるだろう。ぼくは身の周りを少しずつ整理しつつ、新しい模索を始めたりしながら、これからのことを考えている。

──何がしたい?──

長らく、それがわからなくなっている。

ずいぶん色んなことを経験させてもらった。様々な出逢いが、やりたかったことのほとんどすべてに導いてくれた。母が口癖のようにいう

──やりたいことはすべてやった。人生、思い残しなし──

ぼくにはここまで言い切れるほど、成し遂げたことなどひとつもないけれど、最近になって思うことがある。

──いくつか思い残すくらいがちょうどいいのかもしれない──

母のいう「思い残しなし」という言葉も、もしかすると、そういう意味なのかもしれない。

昔のことなど、きっと忘れてしまうに限るのだろう。

けれど、この3年の月日はぼくにとって無駄ではなかったはずだ。これまで気がつかなかったことに、意識が向くようになったのだから。

現実を見つめるというその営みは、とにかく苦しい。何度も何度も限界を超えてきた。でも、何度超えようとも、限界は際限なくやってくる。

優しく接しようすればするほど独り空回りして、「優しさとは何か?」と自問自答を繰り返し、「自分には優しさの欠片もない」と途方に暮れる毎日…気持ちも追い詰められて、うまくいかないことを母のせいにしては自己嫌悪に陥る…その繰り返し。

それでも、この苦悶の日々は、ぼくに何かを語りかけてくれている気がしてならない。

ここに、この3年の記録を改めて記すことで、今一度、母との日々がぼくに何を伝えようとしているのか? 見つめてみたいと思う。

書式体裁は何も考えていない。
続けられるかどうかも自信がない。

いずれにせよ、結局いつものように自分自身の内面を見つめることになって、苦しむことになるのかもしれない。

それでもなぜか今、「こうすることが必要」だと感じている。

さて、次はいつになるのやら。

2015年9月19日未明 記

川瀬浩介