【停まっていた時を動かす──映画《土を喰らう十二ヶ月》から思い出したこと(1)】
2022年11月11日
「1」が並ぶめでたい気分の日──今から十ヶ月前の「1」が並んだ日には、「果たして今日がめでたい日なのか?」と、自問自答を繰り返していたことを、今でもたびたび思い返す。
その日は、急逝した婚約者が遺した意志が叶えられた日だった。何も前触れもなく呼び寄せられた病院で、ご家族とぼく、そして医療チームがずっと寄り添い、苦しみ抜いて決断した先にあったのは、いま思えば、彼女が遺してくれた〈希望〉だったのかもしれない。今も決して割り切れることのない想いに苛まれることは多いが、その「割り切れない」事象の象徴として、真っ先に思い浮かぶものを想像すると、ほんの少しだけ気持ちが和らぐことがある。
──円──
割り切れないものとして最初に教わるのは、「円周率」ではないだろうか?
──命は巡る輪のなかにある──
この割り切れることのない感情が、その輪=円のなかでうごめいている。解のない問いに向き合い、その問いに自ら意味をもたらすこそが〈生きる〉ということならば、この苦しみもまた、生きている証に他ならない──そう、何の違和感もなく思えるのは、もしかしたら、自らの終を垣間見るときまで訪れることないのかもしれない。
《土を喰らう十二ヶ月》──この作品が映画化されることを知ったのはいつだったろう? たしか、あまりに強い悲嘆感情をどうにかしたいと、恐山へ向かうことを決めたころだったはずから、今年の6月ごろか? 「まだ半年近くも先か」とひとり遠い目を浮かべては、公開されるころにはどんな心情になっているか不安ばかりが募っていたことを今でもよく憶えている。
この一ト月以上の間、よく眠れない毎日が続いている。心理的要因が身体に影響を及ぼしていることは十分に考えられるが、主たる要因は、身体の問題──床に横になると背中、肩、首の尋常ではない凝りが発生し、数時間を費やし悶絶する──毎夜毎夜、そんな時間を通り抜けたあと、朝になって疲れ果て、ようやく寝入る・・・そんな状態に陥っている。
これまでは、たっぷり昼寝してなんとかバランスを維持してきたのだが、隣家の解体工事が重なって、昼寝して休息を補うことさえ不可能となった。解体の騒音よりも堪えたのは、常時、地震のような揺らぎが続いたこと──この二週間は、ほとんどまともに身体を休められないままだった。
そんな状態で迎えた公開初日の朝は、想像した以上の不調だったが、どうしても「1」が並ぶ日の今日の初日に見届けておきたかった。この願いを叶えようと、不調の極みを覚えつつも、夜の上映時間まで、できる限り身体を休めようと努めた。
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【小さな森が消えた日──あの日の黒猫との再会】
2022年11月13日
今、見たことのない景色を見つめている。ぼくの居場所は未だ変わらないままだ。しかし目の前に広がる景色は、初めて望む〈新しい景色〉へと移り変わった。
それは、待ち望んだ景色とはまったく違うけれど、〈あの日〉から願い続けていたことが、自分の外から現実化されていく様のように思えた。
──生まれ変わること──
この2週間、隣家の解体工事が行われていた。子供のいない老夫婦が、元気なうちに介護付き有料老人ホームに移り住むことになったという。それは、高齢化社会を象徴する出来事だった。
隣家は、都内でありながら緑豊かなこの地域のなかでも、とりわけ大きなお庭を有したお宅で、わが家はその恩恵を30年にわたり受けていた。向こう側が見通せないほどに茂ったそのお庭には、立派な桜がそびえ立っていて、二十歳ときにこの地に移り住んでから、今年で丸31年──その季節が夏だったことを振り返ると、翌年、21歳の春に初めてその桜が咲き誇る様を見つめてから、今年の春でちょうど30年にった。母が東京に移り住んでから、わが家は不思議と、桜がすぐそばにある土地ばかりに身を寄せてきた。それが、遂に途絶えた瞬間を、今ぼくはひとり、見つめている。
──大切なものが、次々に消え去っていく──
消え去った小さな森を見つめながら、実に象徴的な瞬間に遭遇しているように思えた。
──これは、この11ヶ月の間にぼくの身の回りで起きた出来事を映しているのか?──
死別の連鎖を味わった直後に森の消失までも味わっていたら、あの時の苦しみは、望まなない更なる
深みへと堕ちていたかもしれない。
しかし、母の喪失に備えて、万事、物事には両面──光と影──があることを学んできた。そうして必死に整えてきた〈思考〉のおかげで、メランコリックな気分で追憶の時間を貪ると同時に、これから起こりうる〈希望〉という名の可能性にも想いを馳せることができるようになっている。
目の前に映る景色は、ぼくの「今」を映しているだけではない。
──これは、ぼくが自ら起こそうとしている〈変化の兆し〉に他ならない──
「今」みつめている、この新しい風景は、想い描いたものとはまったく異なっている。しかし、その様子をじっとみつめていると、それは、ぼくが望んでいる「未だ」知らない風景の象徴のようにも思える。
同時に、こんな言葉が、故人らからのメッセージのようにして舞い降りてきた。
──ここはもう、あなたのいる場所じゃない──
そう背中を押されている気がした。
まず最初に変化を望んだのは、このぼくだ。環境が変わっていくより先に、ぼくがそう決断したこと忘れないでいたい。
──変化を望む流れが、ぼくの内を超えて、外へと影響を及ぼし始めた──
抜け道のない、永遠にも思える暗闇の時のなかで、望む変化を具現化するために、ゆっくりと少しずつ、できることを進めている。未だ成果はまったくないうえに進むべき道も誤っているかもしれないけれど、前進していることは確かだ。その頼りない足どりでさえも、彷徨いゆく現在のぼくには、大いなる実績だと自ら評価したい──今はそう思うようにしている。
今日は、実に久しぶりに天気が優れない一日となった。「風がでてきたな」と思い、窓辺からその新しい景色を眺めていると、工事で利用された重機の周りに動くもの影が見えた。
──あの日の黒猫かな?──
君はあのとき、ぼくが母の亡骸に会いにいく日に、出逢った黒猫さんかな? 玄関をでて扉を閉めたあと、胸を張って母に会いに行こうと前を向いて一歩踏み出したとき、目の前にいてくれたね。
猫たちも、自分たちの縄張りを荒らされて、さぞ困っているに違いない。その黒猫は、風を避けようとしたのか、重機の物陰から運転席に飛び乗り、しばらく辺りの様子を伺ったあと、静かに身体を丸めて休みはじめた。変わり果てた景色を見つめるその眼差しは、ぼくのそれと同じ気持ちなのだろうか?
少し小雨も降り出して、外気の寒さにぼくが鼻を啜ると、その音に敏感に反応して、黒猫はこちらを振り向いた。
──君もぼくも変わるときがきたんだ──
そう心のなかで伝えて、ぼくは、新しい場所へ進むことを自ら改めて誓った。
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【ひとりぼっちの再会記念日(2)】
2022年11月3日
ちょうど1年前の11月3日午後、直前に受けたPCR検査が陰性を示したこと確認して、予定通り向かうことを彼女に伝えた。その夜、彼女の仕事終わりの時間を目指して、ぼくは東京から車を走らせた。車移動なら、道中、人との接触を限りなくゼロに近づけることができる。そして、もしも母の容体が急変して真夜中に施設から呼び出されても、東京に戻ることができる。さらに念のため、仕事の修正依頼に対応できるよう機材一式も積み込んで行ける(幸いオーダーは届かなかったが)──ぼくが抱えている状況を鑑みると、それが、考え尽くせるだけの可能性を全てカバーできるプランだった。
失われた時間を取り戻そうとしたのかもしれない。道中は、青春期に愛聴したアルバムの数々をプレイリストにしたものをノンストップで聴いていた。ちょうど彼女の自宅前に到着するまでの時間に合わせて調節したものである。アルバムの曲順は完全に記憶している。曲の展開も同様だ。一曲一曲、一枚一枚を聴き終える度、再会までの時間が短くなっていく──時が近づくにつれ、喜びと同時に、緊張している自分に気がついた。
門前で出迎えてくれた彼女の表情が少し不安そうに見えたのは、ぼくの心を映していたからかもしれない。なにせ1年8ヶ月ぶりである。実際に顔を合わせて、かつてと変わらず過ごせるか? ぼく自身、とても不安だった。
そんな不安からは、すぐに解き放たれた。お互い、特に気を遣い過ぎることなく(程よい気配りは当然あるが)、まるでいつも共に暮らしているかのような自然さがそこにはあった。食材の買い出しにでたり、朝食後に一緒に散歩に向かったり、近所の畑のご主人から野菜をいただきながら談笑したり、買い忘れた食材を彼女が仕事をしている間にそっと買い足しに出かけたり・・・今振り返ると、ずっとずっと、ながい間待ちわびていた、まさしく〈日常〉がそこにはあったように思える。もちろん、その時間の真っ只中にいるときには感じることはなかった。それだけ、目の前の〈日常〉に自然に向き合えていたに違いない。
それから6日間、彼女と過ごした。この後、年末に差し掛かると感染者が増えることが容易に想像できたため、次に会えるのはいつになるのか? 約束をできぬまま、ぼくたちはまた離れ離れになった。
次に彼女と顔を合わせることになったのは、予期不可能な出来事がきっかけだった。
──母が終を迎えた日──
感染が広がるなか、不安を拭ってぼくのもとへ駆けつけてくれた。彼女が来てくれたおかげで、ぼくは母を見送る日、ひとりぼっちにならずに済んだ。母を喪って、壮絶な孤独を味わうはずだったところを、彼女の存在がぼくを救ってくれたのだ。それは、ただただ安心というより他ない、ぼくがずっと欲していた感情だった。
無論、その先に訪れる悲劇のことなど、知る由もなかった。それは、「出逢えた奇跡に感謝している」と電話口で伝えてから、わずか15時間後の出来事だった。
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【ひとりぼっちの再会記念日(1)】
2022年11月3日
1年8ヶ月──。
その時間がどれだけ永かったのか、あれから1年が過ぎた今、もうあまり思い出せなくなっている。
それも無理もない。会えなかった時間のことを考える以上に、〈あの日〉の出来事が、ぼくをずっと苦しめているからだ。
このところ、極めて調子が思わしくない。そのわけは、きっとこうだ。
10月初旬、寒さが強まってきた頃に、ぼくはひとり、鍋料理を拵えていた。
──私はこれしか作れないから──
いつもそう自重気味に口にしては、ぼくのためによく作ってくれたのが、キムチ鍋だった。それを再現してみようと試みたはいいものの、完成した鍋を前にしてひとり箸を突きながら、激しく嗚咽したあの夜以来、もう一ト月近く、強い抑うつ状態に陥っている。
今日、11月3日は、パンデミック以降、会えないままになっていたぼくたちが、ようやく再会を果たした、いわば記念日である。このところ苛まれている抑うつ状態は、この日に向けた〈記念日反応〉だったのかもしれない(悲嘆反応の代表的なもののひとつ)。
今年が始まったばかりの、あの大雪が降った日、彼女が突然の病に見舞われなければ、今日この日を共に祝っていたのだろうか? それとも、共に尋常ではない辛抱を重ね、遂に再会を果たした記念すべき日さえ忘れて、今日という日を当たり前の日常として過ごし、冗談ばかりの底抜けに楽しく穏やかな時間を〈当たり前のこと〉として満喫していただろうか?
──出逢ってからずっとそうだったように──
そんなことをふと想像すると、自ずと感情の扉は解放されて、今日まで嫌というほど飲み込まれてきた悲嘆の嵐がぼくの心を掻き乱し始める。
互いに代わりの効かない仕事をしていたこと、業務として身近に接する人が多いこと──そして何より、それぞれ自ら事業を営んでいる立場として、自由勝手な行動をしたくはなかった。そのこと以上に、最も考慮したのは、〈お互いの安全〉である。しかし、それは苦しい決断になると承知していた。でも、ときに痛みを伴うこととなったが、十分に話し合って、状況が許すまで会わない選択をした。けれど、その期間は想像を遥かに超え、互いの苦しみはとうに極みを迎えていた。
そのため、少しでも希望に光を照らそうと、2021年夏ごろから再会の目処を立てようと計画していた。タイミングは初秋──どうしても穴を開けられないぼくの業務の都合を優先させてもらい、無事に作品を発表できた後、ゆっくり休暇をとって、離れて暮らす彼女の暮らす街へしばらく骨休めに行く予定にした。
ところが、仕事上のトラブルに巻き込まれ、出発は延期を余儀なくされた。悲願の再会まで、さらに一ト月ほど待たなければならなくなった。
──さらに辛抱に辛抱を重ねた──
彼女との再会を穏やかな気持ちで迎えるようにするために、不遇のその状況を飲み込むよう努めた。
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【あの日から10年──喪失という定めを受け入れる時のなかで】
2022年10月15日
2012年10月15日──あれから、今日で10年が経った。
──あの時の不安が、今もどこかに棲みついている──
今ごろになって、時折、そんなことを考えるようになっている。
介護者としての時間を全うするということは、その結末に必ず付き纏うものがある。
──喪失──
年齢の順番で終を迎えられるとは限らない──母を介護するなかで、そんな当たり前のことをようやく現実として感じるようになった。
──親より後に逝ける保証など何もない──
だからこそ、親を看取ることができることは、幸運なのだ。それを現実のものとして成し得たぼくは、それゆえに幸運なのである。そのことに、間違いはない。
しかし、「間違いがないこと」と「満たされていること」には、大きな隔たりがある。目的を果たしたからといって、自分が今、安心できているか? 大きな責任を果たし得た達成感に満たされているか? その答えは、NOだ。
──それは、あまりにも厳しい現実だった──
今、こうして実際に喪失を経験して感じている〈何か〉こそが、母が事故を起こした日から覚え始めた「あの時の不安」のことなのかも知れない。
──親を喪うことによって生じるであろう想像もできない不安──
その現実のなかで、今も絶えずもがいている。
随分と若い頃に聞いたある話が、今でもとても強く印象に残っている。
「親を亡くす不安を和らげるために、自分の家族を持つ」
そのころ、未来を期待する相手さえいないころだったけれど、この話を聞いて、とても腑に落ちた感覚を覚えたことを今でもよく思い返す。
──だからこそ、ぼくはすっかり安心していたんだ──
母の介護に40代のほぼ全てを費やし、生活も仕事も破綻しかけた状況を何度も乗り越えてきた。いくつもの波を越えて時が過ぎ、母の調子も崩れる頻度が増え始めていたのは、2016年の春以降のことだ。自宅〜病院〜施設を行ったり来たりするようになっていたが、ぼく自身、母の自宅復帰を強く願っていたこともあり、母のリハビリにも立ち会うなどして、できる限りのことをしてきた。
それでも、もはやその流れは不可逆で、母はもう、ひとりで身の回りのことをこなせなくなりつつあった。そんな頃、ぼくも身体を壊したりし始めていた。
──遂にひとり仕事も介護も両立するのは不可能になった──
そんななか、その流れを母が呼び寄せたかのようにして、申請から入居まで2年近く待つのが通例と言われている特別養護老人ホームへの受け入れが決まった。1日でも長く自宅で過ごしてもらいたい──できれば、自宅で看取りたい──けれど、もう決めなくちゃいけない。いつかどこかで区切りを打つ必要があった。
──その決断を下すのも、ぼくの役目──
慣れ親しんだ自宅から母を送り出し、レンタルしていた介護用具をお返した。次いで、母の安全な暮らしのために整えてきた屋内の設えを片付けていくと、突然にしてあまりに殺風景になったわが家の図が表れた。そこに何とも表現しようのない寂しさが吹き込んできた。
あのころ、虚しさを乗り切るために、まずはもう一度、〈丁寧に暮らすこと〉から始めよう──そう期して、行動した。〈こころ〉が言葉で形作られるのだとすれば、〈からだ〉は当然、食で育まれる──だからこそ、きちんとしたものを自分で拵えて食べることを心掛けた。
──母から引き継いだ台所を、たとえぼくひとりになっても守り通す──
そうしている間に、彼女との時間が始まった。ぽっかりと空いたその空間に、まるで予め決められていたかのように、彼女がやってきたのだ。心と場の隙間を埋めてくれただけではない。ぼくが作る料理を、溢れんばかりの笑みを浮かべながら、美味しそうに頬張ってくれた。それはまるで、かつて母がぼくに見せてくれていた姿そのもののように思えた。
──再び取り戻された〈安心と安全〉──
この言葉が、あの時間の心情を表すのに最適だと思われる。その図を母は直接見ることはなかったけれど、きっと安心してくれたことだろう。
母と彼女が面会を果たせたころには、母はもう、言葉は交わせなくなっていた。けれど、母の手をさすりながら、ぼくを産んでくれたことへの感謝を伝える彼女の優しさは、母にも届いたと信じている。
──自分が信じさえすれば、事実は全て〈真実〉となる──
そう確信する一方で、揺らぐ気持ちはまだまだ消えない。思い残したこと、後悔していること、この結末を招いた因果について、今もまだ、考えない日はない。
いつかの日か、今日までの10年間に体験した事実の全てを〈真実〉として受け止められるようになりたい。それを果たし得たとき、ようやく喪失を受け容れることができるのではないかと、今は感じている。
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【今年を象徴する幕切】
2022年9月19日
文化庁メディア芸術祭名古屋展、最終日──。
台風の影響で、名古屋入りですら不安視された状況だったが、雨風の少ない午前中の移動を手配しておいたお陰で、無事に現地までは辿り着くことができた。
しかし名古屋に着いてみると、暴風警報が出ていた。会場は海に近いため、街なかより荒れることが予想される。かつ、夜になると宿に戻ることも困難になりかねないと判断して、今日の会場入りを見送る旨、事務局へ連絡を入れた。
最終日を見届けることを諦めることにした。さらに閉幕後、そのまま撤収作業に入る予定だったが、それも明日に行うことにした。
出張に出る前は、せっかくの出張の機会だから、現地でお目にかかれる方に会いたい──そう期していたのだけれど、このところ、自分の感情の揺れが激しくなっている自覚があることを理由に、キャンセルさせていただいた。
──静かに荒れ狂っている──
到着して見上げた名古屋の空は、嵐の前の静けさのように思えた。それはまるで、いつ爆発してもおかしくない今の自分の内面を映し出したかのようでもあり、ひとりそっと、必死に自制を希った。
──こころの余裕なんてあるはずもない──
あの悲劇以来、これで何度目だろう。またも街ゆく人の言動に苛立ち始めている。
特に今日は連休の終わりで、街の混雑ぶりと比例するように、目に余る言動や無関心な態度が充満しているように感じられた。
──こころの安全を最優先させよ──
周囲の環境音が聴けなくなるリスクを承知のうえで、イヤフォンのノイズ・キャンセリング機能を動作させた。視界は、乱視が加わった老眼のお陰で僅かにぼんやりしていて、今日の乱丁な心情を抑えるのには都合がいい。
(なるほど、眼鏡を忘れたのは、このためか)
台風の最中に身を寄せる居場所がないこと以上に心細いことはないため、昨日のうちにアーリーチェックインをお願いしていた。それがいま唯一の安心材料である。
──部屋に閉じこもれば、安心──
このところ、またもや背中と頸の古傷が祟って、よく眠れなくなっている。今日は普段とは違う異空間に身を寄せてじっくり休めよう──移動の疲労と不眠の身体には、この〈静けさ〉が一番の慰めになるはずだ。
しかし、である。ここまでお膳立てしても、なかなか熟睡できないのが、いまのぼく厄介なところだ。そうしていつものように、浅い眠りの最中に、余計なことを考え始めだした。
──もう少し、というところで希望に届かないのは、ぼくらしい──
子供のころから、そんな記憶が積み重なっていた。果たし得た約束、なし得た成果は、努力の末に手にした「今」は数知れないというのに、とても肝心なところで扉が閉ざされる──そんな印象が、ぼくを未だに追い詰めている。
そんな〈思考のクセ〉を強調するには申し分ないほどの出来事に見舞われたのだから、いま、こうなっていることも致し方ない。しかしこの態度は、ぼくを案じてくれる周囲に対する〈甘え〉だ。いまの〈苛立ち〉は、まさにその表れである。
──嗚呼──
またこの繰り返しだ。なぜぼくは、自分を慰めることができないのか? ぼくは今、ぼくの絶対的な味方でいないといけないのに──。
目覚めると、すっかり辺りは暗くなっていた。我に帰ってふと気づくと、結局今日も、この一年、ずっと変わることのない日常の繰り返し──己のこころのうちを見つめ過ぎる──だった。
2022年9月19日──自分の名前を冠して行う活動はこれで完遂となった。
──目指すゴールの目前で、立ち尽くしている──
これは、先立ったものたちによる〈ぼくを守るための計らい〉に違いないと前向きに思う一方で、婚約者の死の一ト月後に頂いた〈メッセージ〉のようなオファーの有終の美を見届けることは出来なかったこの現実は、今年初めのあの大雪の日、突然にしてこの世にひとり取り残された瞬間のことを、今夜、否応無しにぼくに思い出させた。
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【感情の波間に漂う悲しみ】
2022年9月4日
文化庁メディア芸術祭名古屋展──。
この展示の話をいただいたのは、母の四十九日が過ぎて少し経った頃だった。問合せのメールの日付を見返すと、急逝した婚約者の命日からちょうど一ト月目──いま当時のことを思い出そうとしても、はっきりとは呼び覚ますことが出来なくなっている。日記などの記録を見返せば、いま目の前で起きている出来事のように鮮明に再現されるだろうが、すぐに呼び起こせなくなっているのは、それが、あまりに強い衝撃で、当時の記憶を脳の深い階層まで沈めているからに違いない。
あれから今回の展示の準備をこなしつつ、何度となく考えたことがあった。
──断ることにしよう──
話を受けた時は、この機会を再起のチャンスとするべく、先立った故人らがこの場に巡り合わせてくれた──そう信じてオファーを受けたのだが、それ以降のぼくの心の荒れようは、自らの期待と予想を遥かに上回っていた。季節が春になっても前向きになれる兆しは見えず、むしろ悪化するばかりだった。そして続く夏を迎えてまでも、回復の兆しは一向に現れる兆しがなかった。
それでも、どうにかここまで辿り着くことができたのは、やはり見えない大きな力が作用してのことだったように思えた。
初日を迎える前日、プレスプレビューの時間を通じて、改めて見通したわが作品──時おり、ひとりで見つめる時間が幾度かあった。そのとき、この作品を手がけていた20年前のこと、この20年間に自分と世界に起こったことが自ずと頭を過ぎり始めた。
──こんな無茶をしたからこそ、このあと、ここまで導かれた──
名も無き作曲家が、何の展望もなくはじめてしまった企て──しかしあのとき、この作品《Long Autumn Sweet Thing》を手がけていなければ、これ以降のすべてはなかったのだ。
──あの歓びも、すべての出逢いも──
同時にそれは、こう言い換えることもできる。
──すべての別れの痛みも知らずに済んだ──
そして──。
──この極限の悲しみさえも知ることはなかった──
しかし、作品を見つめていて、改めて思い知ったことがある。
──ぼくは、本当のことを表現したかったんだ──
森羅万象・喜怒哀楽・希望・絶望・夢・悪夢
そのすべてが揃ってこそ初めて〈生きる〉と言えるのではないだろうか?
いつからかそんなことを考えるようになったのは、紛れもなく、母の介護に向き合った経験があったからだ。
親の老い、そして、死──その一瞬一瞬を見通す営みは、解のない問いに向き合うことと同じだった。すべてが思惑とはかけ離れた展開になる現実に苛立ち、至らぬ自分に幻滅しては自己嫌悪に陥る──努力だけでは制御不可能な事象と分かりながらも現実を変えようと必死に抗い、もがき苦しんだ9年に及んだ行のような時間から解き放たれたのも束の間、支えてくれていた婚約者が一ト月後に急逝してしまうだなんて・・・。
この作品には、ぼくが計画したとおり、記憶を呼び覚ます作用が働くらしい──その自らの企みに、いまはぼく自身が囚われてしまった。
この作品には、数えきれない記憶が宿されている。けれど、こうしてひとり作品をみつめる時間に強く思い浮かべるのは、やはり、冬に先立った2人のことだった。
──ぼくの心を通じて「今」を共有してくれている──
もうこれ以上崩れ落ちないように、自らを支えるため、そう強く思えば思うほど、2人がこの世に不在である現実をより鮮やかに明らかにしてしまう。
その死をもって、ぼくの心になかに2人は移り住み、いつでも思い出しては対話を重ねることができる。しかしそれはまた、もうこの世では2度とは会うことできない事実を改めて告げられているようでもある。同じことをこの8ヶ月のあいだ感じ続けてきたが、未だもって、その想いに触れると、自然と溢れるものが抑えられなくなる。
芸術祭という祭りの喧噪と開幕までの慌ただしさ、そして展示を無事に完成させて期待に応えたいと願う緊張から解き放たれ、いつもの静かな日常に戻った。そしてまた、あの頃と同じように、感情の波間に漂う悲しみが、ぼくの心の核まで、そっと押し寄せ始めている。
いくつかの巡り合わせに導かれ、ずっと望んでいたグリーフケアを次週から受診することにした。
──この心の嵐にどう作用するのか?──
先立った2人が寄り添ってくれていたころのような〈凪のとき〉を再び望むときが訪れることを願って止まない。
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