主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【母が死んだ夜のこと──母と婚約者 ふたつの死(28)】

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2022年4月30日

2021年の師走に入った最初の日、まだ夜が明けぬままの未明の刻だった。東京には凄まじい風が吹き荒れていて、ぼくは床の中で眠れぬままの時間を過ごしていた。強い風が、安眠のため毎夜閉め切るシャッターを激しく叩く音が絶えず鳴り響いていたのだ。

これまでに聴いたことがないほど騒々しいその物音は、虫の知らせだったのだ。そのときのぼくは、まだそのことに気づけぬままでいた。

轟音が響き渡った夜が明けた12月1日の午後──母が暮らしていた介護施設より電話が入った。高熱を発しているとのことで、医師の指導のもと、投薬などの対処を行ったと報告を受けた。母の状態は終に向かってさらに前進している印象があると先頃から告げられていたが、食事は今も全量を食べられていると伝えられていたこともあって、その報を受けたときでさえ、〈母は未だ生きる〉とぼくは感じていた。

しかしながら、電話口から聴こえてくる看護師の声のトーンからは、これまでとは異なる深刻さが感じられたのも事実だった。


「何時でも構いませんので緊急の連絡はいつでもどうぞ」


念のため、ぼくからそう伝えて通話を終えた。

翌12月2日──珍しく朝早くに介護施設から電話が鳴った。嫌な予感がしたが、内容は、無事に解熱したという報告だった。安堵するも、続けて伝えられた内容に、そろそろ覚悟を決めておく必要があると自覚した。


──腕の硬直が解け始めている──


もうながらく、母には腕の硬直が見受けられていた。それが解け始めてきたのは、自律神経がうまく働いていないサインであることが考えられるという。すると、今後の可能性として、血圧低下が始まる場合が有り得る、とのことだった。それは、母自身の生命維持機能が停止しようとしていることを意味する──ぼくはそう解釈した。

看護師は、あくまで可能性の話である旨を強調し、ぼくの動揺を和らげようと配慮してくれたが、同時に、すぐに面会予約を入れるよう勧めて下さった。即座に窓口へ連絡を入れ、回答を待った。

この介護施設で母を看取る──そう決めて入所したこともあり、延命処置は行わない約束を取り交わしていた。それは母の意志でもあった。しかし、意志確認ができなくなった今、母は何を希うのか? 意志に変わりはないのか? それを知りたいと思っても、もはや知り得ることはないのだ。


──あとどれくらい時間が残されているのだろう──


それは誰にもわかるはずもない──そんなことを考えているうちに、すっかり夕暮れに差し掛かっていた。希望を出した面会の段取りが整ったという報告も未だない。


(こんなときこそしっかり食べて気持ちを整えよう)


表情に現れぬ動揺をひとり静かに感じながら、食材を買いに出かける支度を進めた。着替え終わってから買いもの鞄を手に取ろうとすると、いつもの場所に見当たらなかった。家のなかを探すも、どこにもない。買いもの専用の鞄だから、どこかに忘れてくるはずも……そう思ったとき、思い出した。


──馴染みのビアバーに置き忘れた──


1週間ほど前のことだった。感染者数が激減しいていたこともあり、ぼくはパンデミックになってから初めて、育った街=新宿に出掛けた。冬支度のために、去年から愛用している暖かい靴下を買い求めに向かったのだ。ところが今季は、目当ての品の取り扱いがない様子で、そのまま諦めて、少し離れた街にある馴染みのバーへ移動した。そのとき、空の鞄をそのまま置き忘れて帰ってしまったのだ。


──これは母からのサイン──


「動揺を鎮めるために行ってきたら」


そう言われているのだと都合のいい言い訳をかざして、行先をスーパーマーケットからバーへと変更した。

10年ほど前、母を一度だけここへ連れてきたことがあった。その当時から母の身体に変調の兆しが見え始めていたこともあり、ぼくは今のうちに、母に大切なことを伝えておきたかったのだ。

母がいつか先立つとき、たとえぼくがひとりで遺されても、ぼくには気の置けない仲間たちがいる──それを知っておいて欲しかった。

さらにもうひとつ──その仲間たちにも、母のことを知ってもらいたかった。そうしたら、母が旅立ったあとも、ぼくの仲間たちの心のなかで、母は生き続けることができる──そう希ったからだった。

あれは確か、師走の寒い時期だった。期せずして同じ季節に、ぼくはひとり、抱えきれない気持ちを携えながら、またここにやってきた。そしてその夜も、この10年と変わらぬ時間を過ごしていた。

到着して1時間ほど過ぎたころだったろうか。電話が鳴った。介護施設からだった。


「お母様の呼吸、脈ともに確認できない状態になっています」


今度の嫌な予感は、遂に的中してしまった。

母の死に目に立ち会う──ぼくの唯一にして最大の希いは、こうして潰えた。


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【ぼくを滑り抜ける風──母と婚約者 ふたつの死(27)】

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2022年4月28日

このところまた激しく泣き崩れてしまう日が増えている。今日もそんな1日だった。

調子が崩れかけた原因は、昨夜読んでいた本の序文だったと思われる。


──悲しみは、故人と2人で癒すもの──


そんな一文を目にした途端、床のなかで嗚咽した。

一夜明けて午後からは、通い出して8年目になる漢方内科の定期受診へ向かうことになっていた。感情を揺さぶられてしまったせいか朝まで眠れず、ようやく安眠へと誘われたと思ったころに目覚ましが鳴った。

いつものように、30分間ほどスヌーズ機能と格闘しながらようやく床を抜け出したあとは、簡単な朝食を摂る。電子レンジで温めただけの白湯もどきを飲み、有機豆乳に大豆由来のプロテイン、白と黒のすりゴマ、シナモン、ナツメグ、カルダモン、アップルシードル、ハチミツを合わせただけのドリンクをいただく──締めくくりは長年の習慣通り、漢方薬を含めた処方薬を服用し、目覚めの儀を終える。その後、手早く身支度を済ませ、必要なものがすべて納められた通院用の鞄を手に取り、家を出た。


──また世界が歪んで見える──


今日も自律神経が狂っているのだろう。彼女の危篤の報を受けた翌日、前日に降り積もった残雪を踏み締めながらこの道を歩いたときと似た図が目に映っている。無論、視界の歪みはあの日ほどではない。当然である。あれほどの衝撃は、もう二度と味わうことはないのだから(もしも二度目に見舞われたら、もう再起はできない)。

駅に着いて、音楽を再生し始めた。いくつかの偶然から引き寄せられるように思い出した、青年期に出逢った1曲だった。今からもう、27年も前のことである。


──OPCELL〈光からのトラベル〉(1995)──


歌声の美しさと包み込むようなサウンドの心地よさだけで当時のぼくは満たされていた。ところが今日、一瞬にして、歌詩の世界観がぼくの胸を掴んで離さなくなった。

この死別にまつわる一連の出来事と、この悲しみを今も必死に受け止めようとするぼくに、〈やさしさ〉と〈エール〉を送ってくれているように感じられたのだ。


──彼女からのメッセージ──


そして曲のエンディングで歌われる一節を耳にした途端、ぼくの空想力がまたも暴走し始めた。


──君は……誰なの…──


彼女は、何を伝えるためにぼくの前に現れたのだろう? パンデミックという危機を共に過ごし、そして、その渦中を抜け出せる兆しを見いだせそうになっていた矢先、足速に棲み家を変えて去っていった──。


──君は……誰なの…──


その言葉を反芻していると、特急電車がぼくの傍らを通過していった。


──ぼくは、この列車に乗せてはもらえない──


駆け抜けていく車両の様を傍観しながら突然にそう感じて、ホームでひとり、嗚咽し始めた。電車が過ぎ去ろうとすると同時に、疾風がぼくを滑り抜けていく──涙が止めどなく流れ出し、あまりの孤独感に怯えたのか、ぼくは自ずと、ひとり両肩を抱き抱えながら風を受けていた。


──この風をぼくの胸に留めたい──


この手からこぼれ落ちてしまった大切なものを取り戻したい一心で、咄嗟に、そう願った。

風は止み、そして、両肩を抱き抱えたままのぼくだけが残された。

彼女は過ぎ去った。未だ謎めいたままの〈気づき〉をぼくに残して。


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【1400万人のなかのひとり──母と婚約者 ふたつの死(26)】

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2022年4月25日

彼女の葬儀を終えて火葬場へ移動する際、担当して下さったドライバーの方が労いと同時に、驚きを伝えて下さった。


「あんなに花で満たされた棺は初めてです」


遺影と共に助手席に乗ったぼくにそう話しかけて下さったとき、しばらく続いていた緊張がほんの少しだけ解きほぐされた気がした。

火葬場までのルートは、この1週間の間で見届けた思い出の場所を偶然にも巡ることとなり──絶景が見える交差点、彼女が通った小学校、2人で歩いた河川敷──この旅のエンディングにこれ以上相応しいものはないと思えた。

火葬場に到着すると、雄大な敷地に建てられた現代建築にまず目が止まった。素材の質感が剥き出しになったその建造物に少し冷たい印象を覚えたが、内部へ移ると、その質感がむしろヨーロッパの教会のような厳かさに似た雰囲気を醸し出していて、建物の深部──炉──に進むに連れて、何かに護られているような気配が感じられるようになった。

ほんの一ト月前、いままさに荼毘に付されようとしている彼女の立ち会いのもと、母の火葬を行ったばかりだった。


──この巡る命の輪のなかに、この地上のぼくたち全員が連なっている──


そう頭では理解できても、なぜこのタイミングで彼女が先立つのか? 未だ認めがたい感情が全身に渦巻いていた。


──誰もが死と隣り合わせに生きている──


息を吐く暇もないほどの日常を過ごすなかで、そんなことを考えていては、生きてはいけない。明日が必ずやってくるとは誰にも約束はされていないのは事実だが、「明日は来る」「明日はいい日になる」と信じていられるからこそ、ぼくたちは明日への希望を抱けるのだ。それは〈生への渇望〉と言ってもいい。


──ぼくたち2人の未来は、すぐそこまで来ていた──


2021年秋の感染者数激減は、その未来を夢にみた最後の希望だった。人の交流と往来が増える年末年始になればまた急増することは容易に予想できたため全幅の期待は寄せなかったけれど(事実そうなった)、いまこの現実を迎えた心境であの秋の再会を振り返ると、あれはまさに、この困難を辛抱したぼくたちに授けられた〈束の間の幸せ〉だったと感じられる。

彼女が荼毘に付される間、ぼくはご親族の輪のなかに混じり、食事をいただいていた。こうした席では無邪気に過ごす子供の様子が印象的だが、その場も例に漏れず、彼女の甥たちがなかなか箸を進められず親御さんを困らせていた。その子供らしさが、この悲しみを紛らせてくれる救いのようにぼくには思えた。

ところがしばらくすると、そのなかのひとりが鼻を啜り始めた。音に気づいて彼の方をみると、鼻を啜りながら天井を向いて目をしばしばさせている。


「誰かのために泣くのは恥ずかしいことじゃない」
「さっきおじさんがどれだけ泣いたか見せただろ」
「泣くのは、カッコいいんだ」


そう伝えると、少し照れた表情でぼくにこう伝えてくれた。


「オレ、〇〇さんのこと、好きだったんだ」


それを受けてぼくは、少し涙混じりの声ですぐさまこう切り返した。


「おじさんの方がもっと好きだったに決まってんだろ」


彼女と2人でパンデミックを超えて、こんな風に彼らと戯れる日がくることを、ぼくはずっと待ち侘びていたのだ。子育てという大役を放棄した無責任な身分であることは重々承知で、現代を生きる子供たちに、普通とは言えない道を歩いてきたぼくたちだからこそ、何か伝えられることがあるのではないかと感じていたのだ。


──明日のことは誰も知らない──


思い描いた通りにならないことがほとんどであることくらい、よく知っている。しかし、こんな未来は、残酷すぎやしないだろうか?

この旅で、いずれ彼女と2人でご挨拶に行くはずだったたくさんの方々と出逢えた。ひとりで挨拶を重ねるたび、無念さが募った。


──こんなはすじゃなかったのに──


彼女の骨を拾ったあと、ぼくはその日のうちに帰京することにした。帰りの新幹線のなかで、彼女の訃報を知らせる文面を書き上げた。

東京駅から在来線に乗り換えドア付近の壁にもたれかかったとき、車両全体の様子が見渡せた。その瞬間のことだった。


──1400万人のなかで、ただひとり──


この1週間に味わった体験を経て、今夜、この大東京にいるのは、このぼくだけだ。

自宅へ戻り、1週間分の郵便物を仕分けしたあと、一息吐こうとソファーに腰掛け、なんとなく時計に目をやると、指し示す時刻を確認して、また驚愕した。

帰宅して目にしたわが家の時計の時刻は、彼女の最後の意志を叶えた証として歴史に刻まれた数字の並びと同じだったのだ。


──これは何のサインなのか?──


再び街まで出て、ひとり呑み明かした。朝焼けにはまだ早い東の空は、穏やかな夕闇を先取りしたかのような瑠璃色に深く染まっていた。


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【彼女が荼毘に付された日──母と婚約者 ふたつの死(25)】

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2022年4月25日

真の悲しみを知らずにいた蒼い時代には、上辺だけの言葉をいくつも吐いていた記憶がある。当事者になった今、痛切に思い知らされているのは、そんなことなど、到底できない、ということだ。


──前を向く──


この悲しみは、決して消えない。和らぐことはあっても、なくなることはない。一度壊れてしまったものはカタチを取り戻せても、元通りにはなり得ない──それと同じだ。

あの大雪の日に彼女の危篤の報を受けてからの1週間が遂に終わろうとしていた。


──怖くて仕方がなかった──


彼女を喪う現実を直視するだけでも持て余すのどの脅威だというのに、遺体をみつめ、荼毘に付される様まで目にすることは、ぼくにはできそうにない……ずっとそう思い恐れていたのだ。

けれど、母を送るとき、彼女がぼくのそばに駆けつけてくれたこと思うと、ぼくは逃げ出すわけにはいかなかった。そしてもうひとつ、遠い未来で果たすはずだった彼女との約束を完遂する務めがぼくにはあった。


「私は60歳くらいで先に逝くから看取ってね」


祭壇には、彼女の近影としてご家族にお渡しした写真が遺影として飾られている。パンデミック直前に撮影したものだから、ちょうど2年前のものになる。祭壇の周りには、ご自宅でのお別れ会に届けられたたくさんの花たちが供えられ、厳かな彩りと光を添えてくれている。

葬儀はコロナ禍ということもあり、ご親族だけで執り行われることになっていたが、そのなかにひとり、法的には関わりのないぼくが佇んでいる。にも関わらず、光栄なことに、弔辞を読み上げる大役を務めさせていただいた。

前夜にひとり、この1週間のことを振り返りながら想いを綴った。彼女への最後の手紙を記すつもりで──。

この世では果たし得なかった彼女の希いを、ぼくたちはこの究極の悲しみのなかで、そして想像もしていなかった思わぬかたちで果たし得たのだった。それも〈他の誰にも容易く成し得ない〉在り方で実らせたのである。その事実を、この場ではっきりと彼女の歴史に刻みたかった。


──この役目を果たせるのは、ぼくしかいない──


その確信のもと、なかば絶叫しながら弔辞を読み上げた。

住職と彼女の遺影にそれぞれ一礼をして、マイクに近づくため、一歩前へ歩んだ。スマートフォンのメモを立ち上げ、最初のひと言を口にしようとしたときからもう、既に気持ちは溢れかえっていた。ゆっくりと、そして静かに深呼吸しながら涙を抑えていたせいで、緊張感を強調させる妙な静寂が場を包んでいたに違いない。しかし、もうここが彼女の人生の最後の場面である。2度とは戻らぬこの時に先を急ぐ必要はない──そう信じて、気持ちが整うまで間をとった。

常識的な弔辞がどのようなものかはしらない。適当とされる長さも文体も調べなかった。彼女と過ごした時間に感じてきたこと、皆が奇跡の目覚めを信じていたこと、彼女とご家族とぼくと医療チームで成し遂げたことが、どれだけ尊い出来事だったかということ──そして何より、自らの命を賭してまで与えられた生を全うすることの素晴らしさを教えてくれたことへの感謝を、ぼくなりの表現で伝えた。

彼女がもう絶対に目覚めることはないと覚悟してからのこの1週間という時間は、今まで経験したなかで最も恐ろしい──母との死別を上回るほどの── 時間だった。しかし一方で、振り返れば、この時間こそが、彼女が授けてくれた奇跡だったと思えた。最期まで立ち会うことを恐れ続けていたけれど、もしもこの1週間がなければ、ぼくはこの現実を到底受け容れられなかったに違いない。そして何より、彼女の終いから目を逸らすことは、ぼくが最も望まぬ行為を自ら実行してしまうことろだったのだ。


──後戻りのできない選択はしない──


この場から逃げ出していたら、この時間は2度とは戻ってこなかったのだから。


「お母さまを見送らないと一生後悔する」


そうぼくに告げた彼女の言葉が今でもぼくの脳裏にこだましている。感染拡大が予想されていた師走の東京に駆けつけて、ぼくのそばにいてくれたこと──あれほど心強いことはなかった。

彼女の棺には、贈られた花々をすべて切花にして収めることになった。すべての花を敷き詰めたとき、棺はもう花で溢れかえりそうになっていた。

ぼくは彼女の頭のところに立って、彼女の額に手を当てていた。その瞬間からわずか一ト月前、母を荼毘に付すとき、彼女が別れを惜しむように、母の額に永く永く手を当ててくれていた。そのことを思い出して同じようにしてみた。母の亡き骸よりも余計に冷たく感じたのは物理的環境的理由だけではなかった。


──ぼくの支えがまもなく、かたちを手放そうとしている──


母という支えを喪ってまだ一ト月だというのに──その恐怖が、ぼくの心をひどく凍えさせようとしていた。


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【出棺の午後に舞う雪──母と婚約者 ふたつの死(24)】

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2022年4月21日

母の死から一ト月後に起きた婚約者の急逝は、文字通りあまりに突然な出来事だっただけに、未だ強いショックと深い悲しみに囚われている。

今まさしく〈はれもの〉な状態のぼくはその自覚があるゆえなのか、それとも元来そうして生きてきてしまったからか、素直に悲しみを表現しきれていない気がしてならない。特に誰かと顔を合わせているときがそうだ。苦しい心持ちを口にしたりはするけれど、過剰に心配を掛けたくない心理が働いていると自覚しているのか、言葉を選ぶのに相当苦心しているように思える瞬間がある。

最近になって気づいてきたのは、むしろ何も語らず静まっているときこそが、真の悲しみを表現しているのではないかということだ。


──あのときもそうだった──


突然に無口になったのは、堪えきれない悲しみに襲われていたからだった。そのときのぼくは、育んできた自分を俯瞰してみる習性を即座に発揮して、急に口をつぐんだことへの適当な理由を口にしていた。


──本当の感情に気づくことさえできずに──


あれから少し時間が経ったいま、あの状況になぜ深く動揺したかと改めて考えている。


──ぬぐいようのない孤独──


端的に言えばこうだ。今はもう、この世に、ぼくの絶対的な味方はいない──その不安と恐れが、ぼくの口を閉ざし、自分を殻に閉じ込めることで守ろうとしたのだ。

しかし一方で、こうも思う。


──約束を果たし得なかった魂の叫び──


彼女がぼくに伝えられなかったこころの叫び声が、他者の口を介して邪気を伴う言葉として発せられたのではないか、と──。


──イケナイ──


ひとたび悲嘆の渦に巻き込まれてしまうと、こうして拭いきれない後悔の念が心を覆い尽くし、自らを追い詰めてしまう。


──いや、そんなはずはない──


近ごろ身近で起こる出来事──ある媒介を通じて届けられる小さな希望──を振り返ってもそれは明らかだった。彼女からぼくへ、そしてぼくから彼女へ注がれた優しさは今も変わることはないのだ。

病院で意識を失ったままでもぼくを勇気づけようと、時刻や医療機器が示す数字を通じてサインを送ってくれたり、命が途絶えて棲み家を変えた後も、悲しみに暮れながら街を歩くぼくに、自分が見て育った絶景を見せようと意思を働かせてくれたのは、すべてぼくへのエールだった。生前の彼女が、あのチャーミングな微笑みを通して注いでくれたエールと完璧なまでに同じだった。


──ぼくはぜんぶ見逃さずにいたよ──


だからこそ、彼女は出棺のときさえも、葬送に相応しい象徴的なサインを送ってくれたのである。


──雪が舞う──


通夜へと送り出すため彼女が眠る棺を運び出そうと玄関へ差し掛ったときである。雪が舞っているのが見えたのだ。左右に大きく開かれた玄関扉の横長に四角い枠から覗いたその光景は、見事な借景の図だった。雪が舞う風景の向こう側に、お向いさんの親子が彼女を見送るため肩を並べて立ちすくむ姿が見えた。その立ち姿からは自ずと彼らの悲しみが伝わってくるようだった。

そして彼女の遺影を胸に抱き霊柩車に乗ると、ぼくは気づかされた。


──雪は、彼女の自宅の門前にだけ舞っていた──


様々な想い出をこの家に遺して旅立つ彼女を祝うかのような光景に思えた。

50メートルほど進んで車が右に曲がると、今度は西の雲の隙間から夕刻に差し掛かる時間の緩やかな陽光が差し込んでくるのが見えた。その先の行く手には、雪はもちろん小雨さえも降っていなかかった。


──大丈夫、大丈夫、大丈夫──


彼女とぼくがこれから行く道は、これまでと変わらず、何も案ずることはない──そう天から伝えてくれているようだった。


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【亡き婚約者の百箇日──母と婚約者 ふたつの死(23)】

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2022年4月19日

納骨式から戻って以来、ほとんど寝込んでいた1週間だった。

帰京直後にぼくのことを案じて集ってくれた友人の輪のなかで過ごした時間もあった。しかし、安心な時間があればあるほど、その輪のなかに彼女がいないことが強調されてしまう──納骨式のために過ごした時間のそうだった──そして、ひとりの時間が再び始まった途端、ぬぐいようのない孤独に襲われた。目まぐるしく移ろう天気のように、短い周期で感情の波が変化していく──。


──これが悲嘆というものなのだな──


寝込んでいる間に、彼女の百箇日が近づいていることを思い出し、またもや記念日反応がで始めたのかもしれない。もしくは、こうして気持ちを綴ること自体が、実は相当な苦しみを自ら浴びせてしまっている可能性もある。気持ちを吐露するということは、少なからず、誰かを傷つけることにもなる。その誰かの輪に、ぼく自身をも含んでしまっているとしたら、これは全く救われない営みだ。事実、こうして文字を綴ると、身体の強張りを感じることが多い。


──何かを恐れているのか?──


科学的な視点で捉えると、こうした症状は自律神経が失調していることに由来するものだと考えている。悲嘆により自律神経が失調すると、心が反応して言葉を吐かせる──母の介護者として過ごした時代は、毎日のように言葉が溢れてきた。母の晩年に彼女と出逢い、離れて暮らしながらも穏やかで愉快な毎日を過ごすようになってからは、気持ちを言葉に変える必要が少なくなっていた。自ずと自律神経も整えられていたと考えられる。


──その調和が突然絶たれた──


今のぼくは、制御不能になった飛行機のパイロットだ。なんとか体勢を立て直そうと必死にもがいている。そうして抗う様子が、言葉に置き換えられているに違いない。

書きながら、いつもほとんど号泣している。涙は感情を整えるためにも有用だと聞く。いつか言葉さえも尽きるころ、溢れる涙も静まり、心は再び安定軌道に還る──いまはただ、そう希うばかりである。

彼女の百箇日を悼むために、その前夜となる99日目の夜に、ある街へ出かけた。彼女と東京で初めてデートした店に出かけて献盃を捧げ、節目としての儀式をひとり執り行い、安定軌道へ還るきっかけを掴みたかったからだ。

店のカウンターで偶然にも隣り合わせになった男性と自然に会話が始まると、偶然の巡り合わせに驚嘆した。聞けばその方のご親族も、大寒のころ、彼女と同じ病気で急逝されたと告げられたのである。そこから、同じ体験をしたもの同士しか分かち合えない気持ちを交わし合った。

その方は、仕事帰りにご家族から頼まれた買いものを済ませるために、この街に寄り道したのだという。今どきネットを頼ればなんでも手に入る世の中であることを考えると、その買いものを引き受ける必要もなかったのかもしれない。しかし強めの雨が降り注ぐ夜、ご家族のためを思う気持ちが、求める品が手に入りそうな街まで脚を向けさせたのだ。

そしてぼくは、思いもよらぬ巡り合わせに恵まれた。

話題は悲しみに暮れるばかりではなかった。聴いてきた音楽や見て育ったアニメの話題までにおよび、気がつくと、カウンターに揃った男性客全員が、同じ話題でひとつの輪になっていた。


──彼女が授けてくれた時間──


会話の狭間のふとした瞬間に、そう感じた。

ようやく最近になってからだ。愉快なことがあったり、穏やかな気持ちにさせてくれることがあるとき、それから、落としものや忘れものに気づかせてくれたり、ぼくの身の安全を守ってくれるような出来事があると、彼女の存在をそばに感じられるようになってきている。綺麗な景色に遭遇したり、道端に咲く小さな花に気づいたり、春真っ只中の都会の街なかで草花の甘い香りに気づいたりするときにも、必ず彼女のことが思い浮かぶ。美味しいものをいただくときには、「このひと口は彼女の分」──そう思うようにしている。

彼女は、ときに昆虫に姿を変えて現れることもある。納骨式に向かう前夜は小さなてんとう虫が現れた。つい先日は、悲しみに暮れながら散歩をして帰宅すると、家の前の植え込みに咲いた花に蝶がとまっていた。雨上がりの夕暮れに、湿った羽を休めるように、そっと静かに……。


──絶望のなかに棲む小さな希望──


そのサインにまだ気づけるぼくは、やはり幸運なのだ。もがき苦しみながらも再び安定軌道へ還る可能性を見逃さずにいられるのだから。


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【果たされたわが使命──母と婚約者 ふたつの死(22)】

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2022年4月17日

また酷い抑うつ状態に陥っている。

彼女の納骨式に立ち会う間、亡くなった彼女のことを知る人たちに会えば、その時間は気が紛れるはずだった。ところが気づけば、その時間はぼくに、彼女の不在をより色濃く知らしめることになった。


──この輪のなかに、なぜ彼女がいない?──


母を荼毘に付した日、ようやく兄夫婦に彼女を紹介することができた。骨上げを待つまでの時間、待合室の円卓に4人で腰掛けていた。そのとき、欠けてしまった〈家族のパーツ〉が彼女の存在によって揃えられたと感じて、とても安心したことを憶えている。

これまでなら母が座っていた席に彼女が腰掛ける──彼女がいなければ、ここは空席となり、母の不在を鮮烈にわが家へ知らしめたことだろう。知るはずだった家族の悲しみを和らげてくれたのも、彼女の存在だった。

母を喪いひとりになるぼくの身を案じてくれていた義姉は、ぼくの傍らに彼女が寄り添ってくれている様をみて、涙を流して喜んでくれた。その涙が、こんなにも早く別れの悲しみに変わってしまうだなんて……。

東京の暮らしにも、ぼくを気遣って集ってくれる人たちは大勢いる。その輪のなかに身を置けば、その時間だけは〈彼女の不在〉をいくばくか忘れていられる。だが、そこから離れた途端、再び〈彼女がいない現実〉に引き戻されてしまう──先の納骨式を終えてから、その〈不在〉という感覚が再び呼び覚まされてしまったように感じる。

そして遂にはもう、今は何も出来なくなってしまった。


──ノックアウト──


悲しみに打ちのめされた──納骨式のあとそう感じたのは、まさしくこの状態のことを指す。それがどれだけの衝撃を伴った幕切れだったのか? 自分でも未だよくわからない。あふれるてくるのは苦しみと悲しみの感情だけ。再起を期して──いや、この状況に〈適応〉するために、自らの内側と外側から〈言葉〉を見出そうと努めるも、ここ数日は起き上がることさえ億劫になるほどの状態にある。

こうして今夜も横たわりながら、毎夜ごと、同じことを考える。


──ぼくは母と彼女を安寧の彼方へ送るために生まれた──


ぼくはもう、この世での使命を果たしたのだ。だから、これからは余生──晩年の母がすっと口にしていたとおり、ぼくも胸を張って宣言しよう。


──人生、思い残しなし──


大切なふたりの女性を無事に見送ったのだ。これ以上の務めはない。だから、思い残すことは、もうない──そう言い聞かせている。

たが、遣り残していることは、まだある。

〈悲嘆による重傷〉から未だ復帰の兆しがない夜──今はただひたすらに、それを完遂できることだけを希っている。


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