【貫いた辛抱──14,400時間(1)】
2021年9月24日
あれから今日まで、幾月が過ぎたのか?
今日、母と再会を果たした。
母の87歳の誕生日を施設で一緒に祝ったのは、2020年1月下旬。その後、施設は例年通り、季節性インフルエンザの流行期に伴って面会中断となった。そして、そのままパンデミックへと移り、今に至る。
──20ヶ月──
実に、1年と8ヶ月である──日数にしておよそ600日。時間に換算すると、14,400時間だ。1日の分数が、1,440時間であることを思うと、ちょうどその10倍というのは、偶然にしては不思議な因果に感じられる。
こういうとき、なぜか秒単位まで換算してしまうクセがある。計算してみた。
──51,000,000秒──
五千万、である。単位が質量であっても人口であっても通貨であっても時間であっても、実に大きな値だ。0から1秒までの間隔が無限に割れることを考えると、5千万秒だなんて、永遠とさえ感じられる。
──ずっと辛抱してきた──
そう、ぼくがこのコロナ禍に貫いてきたのは、「辛抱」なのだ。我を立てようとする「我慢」ではない。
だからこの上なく気に障るのだ。
残された時間の限られた老いゆく母との断絶を強いられていたなか、「我慢の限界」だの都合のいい言い訳を見繕って、勝手気ままに振る舞われる様を目にすることが──。日常生活の行動を制限してまで日夜対応して下さっている施設の職員の皆さんのことを思えば尚更である。各々がどんな行動を選択しようが無論自由だが、せめてこうした想いを抱えて堪えている人がいることを、頭の片隅においてもらいたい。
面会は、本来、現在も原則としてオンラインのみでの対応が採られている。しかし最近、母の変調が頻繁になってきたため、今回は特例として受け付けていただいた次第である。
感染予防は想像上に徹底されていた。入館時の検温消毒はもちろんだが、施設内の共有スペースは通らず、非常階段から上がり、バルコニーを伝って母の居室に直接入るという方法が採用されていた。こうした対応は施設ごとに考えて行われているものであるから、その慎重さに安心を覚えた。
約束の時間に到着して車を降りると、たまたま通りかかった施設長とでくわした。皆さんとも20ヶ月ふりの再会であったのだが、不思議と久しぶりな感じがしない。挨拶を交わすと、まずぼくの体型の変化に驚かれたようだ。身体を壊したかと心配されていたので、自己分析としてその原因と思われることをお話しした。
──人に会えないストレスと人に会わずに済むストレスフリーな暮らしのおかげ──
この分析は、その実、だいぶ的を得ていると思われる。体重の一割が減ったのだ。どちらか一方では、ここまでの結果にはならなかったであろう。もしくは、もっと減量していたかもしれない。
担当の方に繋いでいただき、初めて通る非常階段からのルートで母の居室へ向かった。伝えられていた様子から、かなりの覚悟を携えて向かったこともあり、現在の母の様子を直視しても動揺はまるでなかった。とは言うものの、実は、移動の道中、少しだけ緊張を覚えていた。
──再会すればこの強張りは解き放たれる──
この強張りと胸の高鳴りは、舞台の本番前と同じだ。幕が開いてしまえば、あとは流れのままに──自由になれる。
母との面会は、15分間──感染予防はもちろんだが、それが現在の母の体力の限界だった。
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【明日への願いを描く──秋分の日2021】
2021年9月23日
この30年見渡している、お隣のお庭の断片──。
自然は今年も季節を間違うことなく感じ取り、木々を色づき始めさせた。
暦とは、人が生み出した概念である。時の流れを周期化し、その日その瞬間に名前と意味を与えたからこそ、人は「今」をより色濃く感じ取れる心を育めるようになったのだろう。
一度として同じ今日などないというのに、「今日」という日をかつて体験したことがあると感じたり、誰もが経験したことのない「明日」が、何も案ずることなく自ずとくやってくるものとして捉えることができるのも、「暦」もしくは「時間」という概念がある故だ。
しかし一方で、その概念を生み出してしまったこととは、「等価交換」とも考えられる。つまり、概念の誕生は、人が自然との完全なる調和を解いた証でもあるからだ。
大いなるものを得たら、それと同価のなにかを手放す──その逆もまた、然り・・・。
このコロナ危機の真っ只中で、ずっとそのことを考えている。なぜならこの感覚は、初めてではないからだ。
──いつかの時と似ている──
あれはまさに、ギフトだった。奇跡と言ってもいい。そこに至る目前の出来事は、今の心情を写しとったものと言っていいほど、実によく似ている──そう感じられるのも「時」のおかげだ。
過去がそうだったからといって、再び似たような贈りものが届けられるという保証は、無論ない。けれど、ぼくは今、ようやくこう想えるようになった。
──明日への願いを描くために、人は「時」を発明した──
どうかその絵を描き続けていたい。その願いを叶える「時」にたどり着くまで。
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【20年前、東京にて】
2021年9月11日
幸せの総量は、決まっているのか?──。
今から20年前、その出来事を目撃することになる前夜──日本時間、2001年9月11日、夜──ぼくは自宅の寝床に横たわりながら電話をしていた。どれくらい通話していただろう? 2時間? それとも3時間? おぼろげな記憶をたどると、日付を跨ぐころまで、ずいぶんと長電話していたような記憶が蘇ってくる。
通話を終え、心が満ちた想いで、そのまま眠りに就いた。あのとき覚えた安心に抱かれたような感覚は、そのときまで味わったことがないものだった。
──こんなにも穏やかな感情があるのか?──
そう初めて知った瞬間だった。
それを幸福と呼ぶなら、紛れもなくその通りだろう。しかし20年経った今も、その感覚を的確に言葉で表現することはできない──それくらい、とてつもなく大きな感覚だった。
──世界で何が起きているかも知らずに──
翌朝目覚めると、テレビはその報道で一色だった。目を疑う光景だった。ぼくが安心に包まれているころ、世界は激震していたのだ。
以来、この日を迎えるたびに思い返す。
──幸せの総量は決まっているのかもしれない──
ぼくが満たされているとき どこかで誰かが泣いている
どこかで誰かが笑っているとき ぼくはここで闇を見つめている
今、1世紀ぶりのパンデミックの最中にある。世界中が苦しんでいる。そんな状況でも、穏やかな気持ちでいることは、恐らく可能なのだろう──どんな闇間にも、安らぎの陽光は射す。
──この地上に授けられた幸せの総量が今も保たれていれば──
幼い頃の戦争体験を母から聞かされてきた。母の語り口は決して悲劇的なものではなかった。当時、親の庇護下にあったことも大きな理由だと思われるが、やはりそうさせたのは、母の楽天的な気質と、その後の人生において、自分が望む暮らしを手に入れたことによるものだと察している。それが、当時の記憶を陰惨なものとしてだけではなく、懐かしい思い出話として語らせることを叶えたのだろう。
──過去を肯定するには、望む今を得る他ない──
創作という荒野に自ら飛び込んだ。その道程で味わった苦痛や蔑みを乗り越えていくために、ずっとこう言い聞かせてきた。そう自然と感じ得たのは、母の背中を見てきたからなのかも知れない。
ここでいう「過去」とは、「選択」とも言い換えられる。
──歩んできた道のりは、間違っていなかった──
ぼくは、そう思いたいのだ。
あの安心に満ちた夜から20年──今夜は、じつに静かな夜だ。何に満たされることもなく、何に怯えることもない──あるのは「今が間違いない」という確かな感触への欲望ただそれだけである。
そう痛感する今、思わずため息が漏れた。その感触に頼る暮らしが、今も続いているのだ。30年前の駆け出しのころと何も変わってはいない──嗚呼、ぼくは何も成長していないのだ。
しかしこのパンデミックは、その事実を真摯に受け止めるのに最も適した時期と言える。歩んできた道を肯定するために、ここから再び、望んだ「今」を追い求めていくのだ。
そのためにはまず、はっきりとした絵を描くことが必要である。この一年半、何度もその絵を描いては破棄し続けてきた。それは、この何年もの間、ぼくのなかに棲みつく「恐れ」を手放せないからに他ならない。その恐れこそをかき消し、真に望む「今」がどんな景色をしているのか? 心の底から、明らかにするのだ。
2002年──今と似た恐れに押しつぶされそうになっていたころ、こんなに巨大なオムライスを平らげていたのは、お腹を満たすことで不安を拭おうとしていたに違いない。それは単に食欲で不安を埋め尽くそうとしただけではない。食卓という、ぼくにとって最も安心で安全な場所に還ることができる幸運を無意識に噛み締めていたのだ──この危機の最中、日増しにその想いを確かにすることができた今があることを、なにより有難いこととして感謝したい。
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【着信──緊張、高鳴る】
2021年9月7日
今日は兄の誕生日。母に手紙を送るには最適な日のひとつだ。
会話ができなくなっただけでなく、面会もできぬままの状況が続いていることもあり、現在、母がどんな様子なのかまったくわからない。そこで募る不安は、ある話題から母の感情がどう変化するのかである。だから、先月の父の命日のことは伝えなかった。
誕生日の祝いと家族の無事を祝う感謝の言葉とはいえ、それをどう捉えるかは、今の本人次第・・・それでも、危機が隣り合わせにあるコロナ禍という現実と、高齢である現状を踏まえると…。
──いつ何が起きてもおかしくはない──
そんな免罪符のような言葉を言い訳にして、自分の想いを晴らそうとしているのだから、ぼくは未だ、自分の都合を優先させているのだ。
贈った言葉を母がどう受け止めたのかはわからない。そして、これはただの偶然であると思われる。けれど、まさに不安が的中したともいえ、かつ「よりによって」と思わせる時機にそれは起きてしまった。
──手紙を受け取ったあと、調子を崩した──
連絡を受けた段階では落ち着きを取り戻しつつあると伝えられている。
母の世話をして下さっている施設は、情報共有が徹底されていて安心できる。体調に少しでも変化があると、その旨、逐一報告を下さるのだ。先日も、このところ見受けられる変化の様子とその対処方法について報告をいただいたばかりだった。
母を預けることになって以来、携帯電話に登録済みの施設名が着信時に表示されるたび、一息ついてから応答する習慣が身に付いてしまった。
──覚悟──
いつかこの電話は、そのときを告げる知らせになる。それを直接受けられるのならまだ幸運なのかもしれない。何らかの事情で電話が取れず伝言メッセージで知らされることになるよりも、だ。時差なく確認できれば、思い残すことがまたひとつ減らせるかもしれないから──嗚呼、これもまた、ぼくの都合に他ならない。
この一年半のすべてが、今、ぼくを極度の疲労に貶めている。介護者として独り母と向き合い、闇に堕ちた苦い経験から、心身を保つあらゆる方法を学んできた。だからこそ、今夜もまだこうしていられるのだ。
そんなことを思い浮かべながらあるサイトにアクセスすると、6年前の記録がリマイドされた。介護者生活が丸3年を迎えようとしていたころだ。奇しくも今日と同じ、兄の誕生日だったなんて(冷静に分析的視点で観察すれば、出産は命がけであると考えると、子の誕生日は周期的に体調変化が伴う巡り合わせにあるのかもしれない)。
──何事もあきらめない──
まだそんな生易しい夢物語のようなことを思い浮かべていられた時代の出来事だった。今、あの瞬間を振り返ると、その朝目撃した母の苦しむ姿を見て、ぼくの不安は、次のステージに進んだのだ。それでも現実を直視することを拒み、在宅介護と創作を並行しようとした。「挑戦」と言えば聞こえはいい。しかし史実を追えば、あれば「愚策」だった。その結果、母は頻繁に調子を崩すようになり、以降、自宅と病院、施設を巡回するような暮らしを強いられることになった。
不甲斐ないぼくに、母は施設のベッドの上から柔かに伝えてくれた。
「あんたが頼りや」
そう何度も何度も、時には額の前に手を合わせて伝えてくれた。
ぼくは、やれるだけのこと以上のことをやった。それはぼくにか評価できないことだが、ここまでやる事例はかなり稀だと思う。そんなにまでしても、もっと上手く立ち回れたら…そう想う気持ちは未だ拭えない。
ぼくの事情を知る周りの方は、そっと優しさを運んで下さる。でも、その拭うことのできない気持ちが、ぼくの心を閉ざしてしまう。そっと寄り添って下さるお気持ちを有り難く感じると同時に、この想いは、どうしたって共有することはできない──今も未だ、ぼくはそう捉えている。それはきっと、そう捉えることでしか、自分を保てないと感じているせいだろう。
介護に限らず、窮地に追いやられている多くの方が口を閉ざしてしまうのは、「わかることなど有り得ない」という経験があるからに違いない。
──ただそばに寄り添うこと──
母の介護者として授けられた最も大きな気づきである。
それ以外なにもできないし、それ以上なにも望まない──在宅介護者として覚えた喜怒哀楽すべての感情を通じてそう知らしめてくれたことが、母からぼくへの至上の贈りものとなった。
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【父の五十一回忌】
2021年8月4日
今朝、浅い眠りの最中に、どいうわけか、素数について考えていた。「1」とそれ自体を約数に持つ数字のことである。目を瞑ったままおぼろげに数字を数え始め、50の台まで計算をした。
「51は、もしかして素数なのか?」
そう思って起きてから調べると、3×17=51であることから、そうでないことが判明した。そして、そのことに気づくまで、今日が父の五十一回忌であることを思い出せずにいた。
ぼくがまもなく生後8ヶ月を迎えようとしていたあの日から、ちょうど50年が過ぎた。
呼び覚まそうと思っても巡ってはこないその日の記憶──その日のぼくは、葬儀に奔走する母に代わって、誰かに預けられていたのだろう。真夏の京都はとにかく厳しい暑さだと言われているから、わざわざ乳飲児をその場へ連れて行くことはなかったはずだ。
生家の裏手にあった臨済宗大本山、妙心寺にて行われた父の葬儀は、当時の家業の関係もあり、実に盛大に催されたと聞かされている。喪主として一切を仕切っていた母は、文字通り「気丈」に振舞っていたそうで、あまりに感情をあらわにしないその様子から、参列者から揶揄されもしたらしい。
──遺影にすがり啜り泣く未亡人──
映画で描かれるようば光景を誰もが期待していたに違いない。
──「それどころじゃなかった」──
母はそう教えてくれた。38歳で見舞われた家族の一大事に、泣いて叫んでも何も変わらないことを、母は誰よりも知っていたのだ。
そんな母も、涙を流さなかったわけではなかった。ぼくを身篭りながら、父の余命を聞かされたのである。溢れるものがないはずもない。そしてそのときの感情は、たとえ同じ経験をしたことがある相手であったとしても、決して母の気持ちに触れることはではない。
──わかって欲しい──
母は多くを語りながら物事を知っていくタイプではないとぼくには感じられるが、そんな欲求が満たされるはずはないと、本能的に知っていたのだと察している。
これまでも何度か綴ってきた我が家の史実を改めて思い返していると、あれから50年経った今日、ようやく気付かされたことがある。
──その宣告のとき、ぼくは母と共にいた──
母は独りではなかったのだ。
母の胎内で、その日その瞬間、宣告がなされた場の空気感を、母が抱いた感情を、ぼくは共有している。
それに気づけるようになるまで、50年を費やしたのか・・・。
1971年8月4日──高度経済成長の真っ只中、昭和の後半に差し掛かっていたあの日から50年後の今日、41歳で早世した父が存命であったら何を語るのか? あの日を見守り、そして今、特別養護老人ホームで暮らしながらも、その晩年に差し掛かり家族と顔を合わせることさえできない母は、この時代を生きて何を想うのか?
呼び覚ますことさえできない父の声は、ぼくに届くはずもない。母の声は、意思確認が取れなくなった今、言葉として伝えられることもない。
コロナ禍となって以来、私的に誰とも顔を合わせることなく過ごしてきたぼくは、7月中に2度のワクチン接種を終えた。8月を迎えてぼくの身体が上手く反応してくれていれば、既に抗体を獲得できているころである。接種の予定が決まった頃は、「これで少しは自主制限を緩められるかもしれない」と淡い期待を抱いていたが、現在、他の変異株の感染が拡大する最中となり、最新データから判断すると、ぼくの期待は文字通り「淡いもの」となった。
──今年は墓前で手を合わせたい──
我が家の墓は、現在の居住地と同じ東京にある。それでもぼくは、今年もここで手を合わせている。ぼくには、何も確かなことがわいらない。だが、ここにいて誰にも会わないことが、他のどの可能性よりも安全であることだけは確かだ。例えばそれが「比較的」のレベルであっても、である。
去年の命日も、この仏壇にひとり手を合わせた。乳の流儀に倣い、花は用意せず、替わりに父が愛したというハイライトとアサヒビールを供えるのが常だった。しかし、今年はあえて、何も供えないことにした。
──ぼくが今日も無事でここにいること──
それが父にできる、一番の報告──それに優るものは、ない。
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【謝恩】
2021年7月19日
酷暑が続いている。だから昼間からビールを飲んでいる──そんなわけでは、もちろん、ない。
事情を説明したところで、ぼくが抱えることになってしまった想いは、理解されようがない。いや、そもそも今のぼくでさえ、自分の感情がいかなるものか、計りかねている。
この感情を言葉にできるなら、少しは楽になれるのかもしれない。
このビールは、君への謝恩のつもりだった。
元来、ひとりで家で呑むことはほとんどない。その理由は明確で、ちっとも美味しいと思えないからだ。食事もお酒も観劇もあらゆる観賞も、そしてただただ時間を過ごすことも、誰かと一緒じゃないと意味がない。共にその場その時を味わってこそ初めて「体験した」と証明できるのだ。いかなる出来事もそれをひとり知ったところで、他の誰も知らなければ「存在」を確かなものにはできない。それは、初めて人類が到達した秘境にひとり佇んでいるのと同じことだ。
「生きること」も同様──ぼくを知る誰かがいてくれるからこそ、ぼくは確かにここに存在していられる。たったひとりで「この世」と呼ばれる荒野に身を潜めて暮らしていても、ぼくは存在し得ないも同然なのだ。
だから、感謝している。仕事のことばかりだったぼくに、それ以外の交流の場を授けてくれたことを。母の介護で追い詰められていたとき、格好の「こころの隠れ家」となる気の置けないたくさんの仲間たちの渦のなかへ導いてくれたことを。もしもその時間がなければ、今ごろぼくはどうなっていたかわからない。
この時代に対応できないままの自分を、いま、とても悔やんでいる。どんなことがあっても心身の健康と生活の不安なく過ごせる状況を手にしていられたら、こんな感情を知ることがないままでいられたかもしれない。
昨日、堪えきれずに、電話をしたよ。非礼かつ非情であることを承知の上で、伝言も残した──申し訳ない。自分のことで、精一杯だったんだ。
あれだけ愛飲したクラフトビールが、今はまったく味わえない。きっと、この記憶をビールに刻みたくない──ぼくの潜在意識がそう仕向けているに違いない。
今日も無事に目が覚めた。当たり前だと思っていた毎日の目覚めがこんなにも有り難いことだったのだと、この危機が知らしめてくれたんだ。
次の日目覚めたら望む世界がやってくるとは未だ思えないけれど、それでもぼくは明日もまた、目覚めることを望むよ。
そして、
──ただ生きているだけでいい──
そう思えるようになるまで、生きる。もし、そう思えるようになる日が来たら、今度はそれを伝えるために、生きる。
それが、今の君にできる、せめてもの恩返しだと信じている。
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【ある不安を取り除くために──ワクチン接種1回目】
2021年7月4日
特別養護老人ホームに暮らす母の2回目の接種が完了してから、約1週間が経過した。その後、連絡もないことを踏まえると、大きな変調もなく過ごしているのだろう。
一方のぼくは、三重の基礎疾患がある身。感染拡大が報じられてから過ぎるほど厳格な予防対策を施した暮らしを続け、1年と半年を過ぎた。そこまで徹底した姿勢を貫いていたゆえか、ここ最近、明らかなエネルギー低下を感じている。
「そんなことまでして、効果があるのか?」
効果はないのかもしれない。しかし効果がないのかさえ、今は「未だ」わからない。
確かなことがない限り、できることはただ一つ。
──可能性をゼロに「近づける」こと──
現実のなかに完璧などないことことを思えば、可能性を「ゼロにする」ことも到底できない。それでも、近づけることはできる。
──Progress, not perfection──
「完璧より前進」──。
これは、昨日観た映画のなかにあった台詞だ。「可能性をゼロに近づけるため」にワクチン接種を受けた日だからこそ、ぼくはこの瞬間を何度も繰り返して記憶に刻もうとしたのだろう。
これまで、医療科学からのアプローチだけでなく、行動制限を含めた社会的取り組みまで、この都市生活を辛うじて維持できる限界に近いところまでいくつかの対策を試してきた。それでも、未だ感染拡大は抑えられていない。ぼくが暮らす東京では、人流が増加するたびに感染者が増えていくパターンから脱することができないままでいる。
それは、この方法には限界があることの証だ。だとしたら、次なる手段は、ワクチンを試すこと──感染する可能性を限りなくゼロに近づける──ぼくはその可能性に賭けることにした。
不安がないわけではない。現状を変えようと「前進」するため立ち上がって歩き出せば、同時に、転ぶ可能性が生じる。転んで回復可能な怪我をするくらいなら構わないが、後遺症が残る可能性はもちろん、それがときに、命を奪われることになる場合も考えられる。
しかし、「完璧」と呼べる確かなものは、この現実は、そもそも存在し得ない。
全世界が混乱し続けているなか、ウィルスの変異も活発化している現実──これ以上この暮らしが長引くと、ウィルスの危機だけではない更なるリスクに晒される可能性が増大していく。すると、幸いにも近代日本では見かけることが限られていた「望まない事象」を目の当たりにする危険も比例していく。そのとき傍観者でいられるのなら、まだいい。想像力を最大限に使いこなせば、ぼく自身が被害者となる、もしくは加害者になってしまうことさえ有り得るのだ。
そんなぼくの極端な妄想は、実はこのぼくにとっても、どうでもいいことだった──そう気づいたのは、今日になってのことだ。接種前までには、想像することさえなかった。
自分の感染リスクを減らし、大切なひとや他者に移してしまう不安を低下させる──そうすることで、社会全体の不安や苛立ちが軽減されていく──ぼくが接種以前に想像できたのは、ここまでである。
──他者──
今朝、突然にその言葉に違和感を覚えた。その「他者」が意味するのは、どこまでの範囲をぼくは想像していたのだろう? 仕事仲間を含め、いつもそばにいる人たちを「大切なひと」と呼ぶならば、この「他者」とは、誰のことを指すのか?
「これまで自分でも自覚できない間に、顔も名前も知らない誰かに移してしまっていたら」
症状が出ないこともあるこの感染症の性質からしてその可能性さえもゼロにはできない。
──恐ろしい──
ワクチン接種が、この恐ろしさからぼくを遠のかせてくれるのだと信じて、続く2回目の接種に望みたい。
予約は希望通り、3週間後に確保できた。ぼくの身体が見込み通り機能してきれたら、8月初旬には抗体が獲得できることになる。
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