主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【久々に車椅子を押した日】

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2020年12月15日

この街に身体のメンテナンスに通うようになって、もう1年以上が経った。いつも通り、午後のゆるめの時間に治療を終えて、今日も日用品を買い求めに周辺を歩いた。

30分ほどで用事を済ませたあと、ふと街の喧騒から離れたくなって、ひと気の少ない方へ足を向けた。するとそこには、まったくといっていいほど必要とされていない空気に満ちた空中広場があった。病院が併設された駅ビルの共有スペースとして設けられた場所のようだが、いかんせん、建物の北側にあるため、この時期、誰もここに足を向けない。けれど、そんな「都会の穴」こそが、ぼくには貴重な深呼吸できる場所になる。

地上4階ほどの高さのあるこの場所まで階段で上がったが、今日は息切れもほとんどない。この1年苦しめられた呼吸の問題がさらに改善されてきている証だ。パルスオキシメーターの数値に近ごろ改善傾向が見受けられることからもそれは明らかなのだが、この瞬間、身体の感覚でデータの確かさを証明できたようで、少しだけ気分が高揚した。

残りの用事を済ませに次の目的地へ移動するため地上に降りると、ちょうど目の前で、車椅子に乗った男性が歩道の僅かな高低差に立ち往生されていた。


「お手伝いしましょうか?」


自然と目があって介助することになった。目的地を伺うとすぐ近くだったので、建物の入口までお供することにした。駅前の歩道は、見た目にはいいが、レンガを敷き詰めたような設えになっているので、自力で車椅子を操るのは普段以上に力がいると予想される。しかも、歩く身体も強張るほどのこの寒さだ。

車椅子を押しながら、この感覚が実に久しぶりだということに気づいた。


──母の車椅子を押したのは、いつ以来だろう?──


記憶を辿ると、すぐさま蘇ってきた光景があった。


──2018年5月──


あの劇場で過ごした夜が最後だ。

車椅子の押し手のハンドルの位置は、こんなに低かったろうか? だいぶ前屈みになる体制になるゆえ、押し始めから一瞬にして腰に痛みを覚えた。いや、この方が使われているモデルがたまたま低い位置に付いているのだろう──そんなことを考えていたら、テコの原理が働いて、前輪が浮いてしまいかけた。きっと怖かったろうに、特別なにも言わずにぼくの慣れない介助を受け止めて下さって恐縮した。

目的地までは、1〜2分の距離。けれど相変わらず黙っていられないぼくは、すぐさま世間話を始めた。


「いつもお一人でこられるんですか?」
「ええ仕事帰りに」
「今年は大変でしたから師走を迎えられて何よりですね」
「そうですね」
「生きてるだけでラッキーですよね」


最後は、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。

エレベーターで別れると、男性は「すみません」と「ありがとうございます」を繰り返し繰り返しぼくに伝えてくれた。

ひとはみな、誰かを頼って生きている。


──なんでもひとりでこなせるだなんて大間違い──


ぼくにそう教えてくれているようだった。


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