【介護者生活8周年── 信じる・受容れる・自然に過ごす──無意識の決断】3/3
2020年10月21日
あれから8年──もう思い出せないほどたくさんの出来事があった。自分の身には、振り返りたくもない苦い経験までもが起こった。心を病み、何かに、そして誰かに依存し、自暴自棄になりかけては「これではダメだ」と己を鼓舞し、悶絶しながらも再び現実に戻る──その繰り返しを何度も何度も繰り返していた。
──信じる・受容れる・自然に過ごす──
これらは、段階的に果たせるものではない。ひとつの循環の輪のなかにある。このサイクルが機能し始めたとき、ぼくは真の意味で自由になれる──。
これまで、現状を乗り越えようとあらゆる手段を自らに講じてきた。自分の意識改革はもちろんのこと、脳を健やかに保つために瞑想を行ったり身体を鍛えることもした。習慣の効果を信じ毎日のルーティンも課した。もちろん、医療の力にも頼った──この2020年、史上最大の苦境に陥りながらもどうにか「今」を生きていられるのは、考えうるすべてのことを試し、自分と真摯に向き合う術を手にしていたからだと信じている。
けれど、こうして積み上げてきたものがぼくを護る「完璧な鎧」だと過信はしていない。小さな勇気を1日1日、積み上げていく──ぼくにできることはそれくらいのことだ。
このコロナ禍、ある日の朝に、ふと頭をよぎったことがある。
──今日を生きる──
ぼくたちは毎日、無意識に、こう決断している。「眠りから目覚める」とは、今日を生きる決断をしたということなのだ。こんな当たり前のことに気づくまで、およそ50年を費やしたのか・・・。
──ユリイカ──
母との日常のなかで最も長く過ごしたこの家の台所は、ぼくの心の興奮とは裏腹に、いつも通り、心地よい静けさに満ち溢れていた。
万物がそうであるように、自分の気持ちも無常なもので、刻々と移り変わっていく。恐れや不安、怒りや悲しみに自分を支配されコントロールを失うまえに、この「今日を生きる決断をした」という揺るぎない己の勇気を思い返すようにしよう。
森羅万象に善し悪しは存在しない。それは、自分の思考と感情にも同じことが言える。その移ろう感情さえ受容れることができれば、自分を信じ護ることができる。そしてそれを果たせた瞬間こそが、自然に過ごせている証となるのだ。もしくは、自分を信じることさえできれば、感情に翻弄される自分をも受容れられる。あるいは、自然に過ごすことが日常となれば、自らを受容れると同時に、信じることもできるに違いない。
──その循環の輪のなかへ──
きっと人は、生まれたとき、その輪のなかに棲んでいたのだろう。もしかすると、そこへ還るために、ぼくは「今日を生きる」という決断を無意識に50年も繰り返してきたのかもしれない。
──もとの棲家に還る──
これこそが、老いてゆく母を見守りながら、ぼくが授かった気づきである。
人は老いて、この世で背負った重荷をすべて手放していく。知識や記憶、身体、そして自分自身までも──。そうしてもとの棲家へ還る支度を進めていく。その過程をゆっくりと進めていけるのは、とても幸運なことなのだ。
「もとの棲家へ繋がる命綱」を強く強く握りしめ続ける──母が今もそうしているように、いつかぼくも、この世での生を全うする。先立っていった逢いたい人たちが「おかえり」と言ってくれるその場所に無事還るために。
──ただいま──
長い旅を無事に終えたぼくは、そう応える。とびきりの笑顔を添えて。
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