主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【介護者生活7年を過ぎて──令和元年大晦日】

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2019年12月31日

2019年を終えようとしている。

2016年から2019年初頭まで費やした「我が改革」の成果を見届けようとした今年──新しい門出を迎えるに相応しく、元号も新たになった。

この1年、主に取り組んでいたのは、まず何より、全力で創作に没入すること。その願いどおり、多くの作品に関わることができたのはなによりだったが、その影響が身体に及んでしまったのが残念であった。

重たい荷物を背負っての出張が続いたせいか、秋口から胸椎にズレが生じて、背中から首にかけて激痛が走るようになった。それから2か月余り、治療を重ねて、この年の瀬にようやく痛みから解放されるも、11月の大型出張で患った気管支炎を今も拗らせたままだ。

深夜の宿泊先で、突然、生まれて初めて「呼吸困難」という症状を味わうも、相変わらず人知れず冷静に対処していた自分をどこかで俯瞰して眺めては、そっと苦笑を浮かべていたことを、今、改めて想い出している。


──先立つわけにはいかない──


願えば叶うものでもないが、「そのとき」を迎えるまでたったひとつ望むのは、そのことだ。

2019年、母と会う時間を意図的に制限してきた。昨年末に特別養護老人ホームに正式入所してからこの1年間、最長で3ヶ月間連続で面会をしなかった。年間を通じては、半年以上、母と顔を合わせなかったことになる。

そうした理由をときおり考えるも、結論はいつも同じだ。


──そのわけは、ひとつじゃない──


思い浮かんだ理由はすべて真実であり、言い訳でもある。

でも、それでよかったと思っている。

介護者として母と過ごした日々は、先の10月で丸7年を迎えた。昔のことは、もうだいぶおぼろげな記憶になってきている。忘却を果たせたのは、塗り固めてしまった苦痛から遠のくためであると同時に、母との日々で得た人生観や生死感、あるいは宗教観ともいえる物事の捉え方や気づきによって、過ぎ去った出来事への執着から解き放たれたからではないかと感じている。


──昔のことは忘れろ──


後戻りしそうになってしまったとき、心のなかで即座にそう自分に語りかけている瞬間を、今年、何度も味わってきた。

晦日を迎えた今日、先祖の墓参りと母との3ヶ月ぶりの面会を果たしてきた。

クリスマスのために手に入れた品は、母がかつて毎年のように観ていたニューイヤーズイヴコンサートの映像記録集。当日はぼくの体調が優れず面会を断念したが、むしろ今日渡せてよかった。母がどこまで感じることができているのかはわからないけれど、こうした時間が今もあることが、とても嬉しかった。


──母も同じ想いでいてくれたら──


母のベッドの足元に腰掛け、ぼくはただただ、そう願うばかりだった。

母の手を握る──面会まで眠っていたせいもあり、とても暖かかった。手は、筋力が衰えてきたのか、これまで感じたことのないほど柔らかかった。

オーケストラの演奏を見つめながら30分ほどの面会──今日は遂に、母がいつもの台詞を口にしなかった。


「起こして! 起こして!」


すべては移ろいつつある。それでも、いつもの屈託のない母の笑顔が今も変わらずあるあることが、何より──。

母と会うたび想うのは、我が家が幸運に恵まれていること──ただそれだけだ。


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