主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【これを愛と呼ぶのか?】

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2018年12月15日

午後、窓を開けて家の中の空気を入れ替えながら、食事の作り置きを始めた。

このところ絶やさず作っているキノコとホウレン草の煮浸しには、最近の手間の掛け方通りに昆布と鰹節の合わせだしをとって仕上げた。ホウレン草を湯がくための湯を沸かしながら合わせだしを温め、手元ではキノコたちを刻んでいく。開け放たれた窓から吹き込む冷気で手はかじかみ、頰を滑る風も冬場そのものだ──そんなとき、ある記憶が蘇ってきた。

60年以上前のこと。母が京都に嫁いだ先の家には、大きな土間があった。家で商売をしていた都合か、その土間はバイクや自動車の駐車場にも使われるほど広さがあった。ぼくの記憶のある時代には既に居間近くに移されていたが、嫁いだ当時、その土間に炊事場があったらしい。それはまさに昔ながらの光景だ。足元から立ち込める冷気に歯を食いしばりながら、大家族の長男の嫁として、家業を手伝いながらも家事をこなしていたという。近代のように蛇口を捻ればお湯が出せる給湯器もなければ、育児や家事に協力的な超近代型の家人はいるはずもない──そんな時代の話だ。


──こうしてぼくは育ててもらった──


母の留守の間にも母から譲り受けた料理という営みを自分のために続けていることが、時おり不思議に感じられる──それも今では出汁までとっている──。

母はよく口にしていた。


「自分のためには料理は作らん」


それは、料理に限ったことではないのではないかと最近感じるようになった。


──誰かのために生きる──


生命を始めとして、生きていくために不可欠なものごと──身体・精神・思考・感情・勇気・忍耐・誰かを想う心──を育むために食があるのなら、料理という営みは、全ての源と言える。その大切さを語らずして教えてくれた母を、かじかむ手で食材を刻みながら想った。そしてそのとき、感謝という想いを超えた何かを感じたのだ。

その或る想いは、時間と共に育まれていく。それが満ち満ちた時、明るめられる感情に気づかされる。


──これを愛と呼ぶのか?──


それが、母から授かったすべてだ。


──己を律する──


もう一度、初めからやり直し──。
それしか、母の愛に応える術をぼくはしらない。


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