主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【人は一人では存在し得ない】

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2018年11月5日

昨夜から昆布と煮干しを水に浸して、久々に丁寧に出汁を取った。先月、珠洲への出張の際にいただいた、あご出汁のお椀がとても美味しくて、また自家製出汁に興味が湧いているこの頃である。

あご出汁も自宅で取りたいのだけれど、まずは市販のものを手に入れて味見をした。当然だが、珠洲でいただいたあの味はでるはずもない。それでも、取り立ての昆布と煮干の出汁にあご出汁を合わせてみると、同じとまではいかないまでも、脳が冴える味がした。


──これが求める食事の在り方──


身体と心を育むには、脳の健康が絶対条件──母が55年に渡って守ってくれていた台所を引き継いでから、6年が経った。その間、自分で母の食事の世話をしながら、母の偉大さと母への感謝と共に、食の大切さを改めて実感する機会がとても多かったような気がする。

母は2年ほど前から入退院を繰り返し、自宅での生活が難しくなった。春に特別養護老人ホームに入居してから、早いもので、もう半年ほど経つ。入居前の3月、一時帰宅が叶ったときは、ちょうど父と母の結婚記念日だった。その二泊三日の間は、母の好物ばかりの品品を作った。それが今では、事実上、我が家での最後の食卓となっている。

以来、誰かのために食卓を作ったことはない。

母はよく口にしていた。


──「自分のためには料理は作らん」──


母のその気持ちを、今ではより強く想像できるようになった。

40代になったころ、人はなぜ誰かと共に過ごすのかをよく考えるようになった。人は一人では生きていけないとはよく言うけれど、それ以前に、見過ごしていたことに気づいた。


──人は一人では存在し得ない──


「ぼく」という存在は、他者からの印象によって形成され認知されてこそ、初めて存在するのだ。

科学の世界でも、人が何か対象を見つめる瞬間に粒子が集まりそこに存在として現れると考えられているという。つまり、誰かが何かを見つめるまでは、そこには何も存在していないのだ。まさに、誰かがぼくを見つめたとき、初めてぼくという存在は「ここにいる」ことになるのである。

食についていうなら、一人で食事をしても、それを食べたことにはならない──そんな気がしている。誰かと一緒に食卓を囲み、その時間を共に過ごしてこそ初めて、「いただいた」ということになるのではないか?(ひとりで食事をするということは、どこか、自ら存在を消す行為に通ずるような印象がある──誰にも邪魔されず、自分だけの時間を過ごす──それが心地よいときがあることもよく知っているけれど)。

そう思ったとき、そのときまで絶えず食卓を守ってくれた母に、なによりも大きな感謝の気持ちが湧き上がってきた。

そんな我が家の食卓が消滅して、そろそろ2年になる──果たして、ぼくは今、この我が家と呼ばれる場所に存在しているのだろうか? ぼくを見つめる誰もいないこの空間のなかで…。

そんなことを時折考えては、汚されることのない静かな時間を今も独り弄んでいる。


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