主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【繋がる回路──あんたにありがとう】

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2018年10月12日


昨日に続いて、母を見舞いに行った。理由は、これである。

 

 

──金本監督、辞任──

 

 

スポーツ新聞各社全紙を手に入れようと思ったが、タイガースの記事をメインで扱っているデイリースポーツだけは流石に売り切れていた。


大阪出身の母が野球を観だしたのは、星野阪神が誕生してからだった。

 

 

「野球なんて何が楽しいのかわからん」

 

 

巨人・大鵬・卵焼きと謳われた時代には既に京都に嫁いでいて、長嶋茂雄が好きで巨人ファンだったという父が、シーズン中はテレビのチェンネルを占拠していたことが腹立たしかったのかもしれない。ご婦人によくある理由で毛嫌いしていたのだ。


母はどうやら、陽気で華のある人物を好むらしい──野球に興味がないうえに、ながらく低迷し陰気な雰囲気を漂わせていた当時のタイガースに目を向けるはずもなかったが、星野監督就任で潮目が変わった。その時期と前後して加入したケーブルテレビのおかげで、全球団の野球中継が試合開始から終了まで観られるようになると、毎晩、夕食どきは阪神戦を見守る習慣が出来上がっていった。


球団や選手以上に、同じ関西人として、愉快なファンの姿がとくにお気に入りだった。よく話していたのは、1985年、当時最強だった西武ライオンズを倒して日本一に輝いた「バース・掛布・岡田」のクリーンナップ時代の出来事だった。ある試合の中継の途中に、トラ柄にビニールテープを巻いたプラスティック製のバッドを持って掛布選手のバッティングフォームを真似ていたファンが画面に映った。その格好もさることながら、その人はなんと、赤ん坊を背中に背負ったまま応援していたのだ。今ではよくみる光景だが、当時はとても珍しかった。

 

 

「あのお父さんはお母さんから子守頼まれたのに応援に来てしもうたんやな」

 

 

母はそのシーンを思い出すたび、嬉しそうに笑いながら話をしてくれた。


阪神が優勝争いをしていた岡田監督の時代までは、毎年ほとんど全試合を観ていたのではないだろうか? 

 

 

「こんなに野球を観るようになるなんて思わんかったわ」

 

 

阪神が快勝した夜には、そう口にすることが多かった。勝利のあとに歌われる球団歌〈六甲おろし〉の様子を伺いながら、曲の終わりでロケット風船が球場全体を包んだファンの手から放たれるのを見守っていた。

 

金本監督が就任したころには、入退院を繰り返したり一時的に施設に入ったりを繰り返すようになったので、もうあまり観なくなっていた。けれど、今日、新聞を手渡して思い出すことがあった。

 

わずか1年前までは、新聞を読む楽しみもまだ残っていた。今は見出しを見て笑う…それだけになった。

 

今日も身体はあまり動かせないようだったが、表情はとても調子が良さそうだった。痰も比較的落ち着いている。

 

昨日練習した笑顔と感謝の伝え方を改めて確認した。

 

 

「看護師さんたちにお礼を伝えてる? ありがとう!って」

 

 

すると母は突然こう応えた。

 

 

「あんたにありがとう」

 

 

これまでにも何度かあった。会話は支離滅裂なのに、ある瞬間、それまで途切れていた回路が繋がるのか? ぼくにこうして礼を伝えてくるのだ。ラジオのチューニングが一瞬だけあって声が聞こえたかと思ったら、またすぐに不明瞭な砂嵐まじりの音に変わる──まさにそんな調子だ。

 

数年前に受けた脳の画像診断では、明らかに脳の萎縮が進んでいた。記憶テストも受けるたびにスコアが下がっていった。

 

それは、ぼくの苛立ちを鎮めるための儀式のようなものだった。

 

 

──これは病のせい──

 

 

母のせいではないというその事実を知ることで、感情を理屈で抑え込むことができると考えたからだった。

 

あれからだいぶ月日が経って、今は家族のことも、そして自分のこともわからなくなりつつある。

 

 

──病気が進行している──

 

 

だからといって、伝えたいことまで喪っているわけではない──時おり感謝の気持ちを口にする母を見ると、なんの根拠もなく、そう感じる。

 

 

──ただ回路が繋がりにくくなっているだけ──

 

 

元気が出てきたのだろう。母はまた、投げキッスを見せてくれるようになった。別れ際に握手をすると、いつかのようにぼくの手を強く握って引っ張ってくる。

 

ベッドサイドに設置されたモニターの数値は、心拍、血圧、血中酸素濃度とも昨日よりだいぶよくなっている。

 

退院もそう遠くはなさそうだ。

 

 

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