主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【自分で自分のために救急車を呼ぶ朝】

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2018年9月1日

この疲れは、侮れなかったようだ。

昨日の夕方に感じた違和感が、その後も明け方まで断続的に続いた。


──左胸が苦しい──


思えば二ヶ月前から喉が痛い。一ト月前からは左肩も痛む。


──これはまさか──


救急車をお願いするのは、母にために何度も実行したので慣れたものだ。しかし、この症状で呼ぶべきものか? 歩けるし自分で病院に向かうこともできる。


──救急相談#7119──


しっかりその番号を携帯電話に登録していた。迷わず発信する──。

電話対応して下さった看護師の方よりはっきりと、「お一人で病院に向かわずに救急を呼んでください」と告げられ、そのまま119番へ繋げてもらった。

救急車が到着する前に、必要なものを手早く揃えた。これも、母の対応をしていた頃の経験が役に立った。

わずか1〜2分に間にすっかり支度を整えて、いつでも外出できる状態でぼくは玄関に腰掛け救急隊の到着を待った。じきに電話が鳴り、近くまで来ている旨の連絡が届くはすだ。そのあとは、表通りまででて救急車を呼び止める──何度となく母のためにこなした役目を、今朝は自分のために実行した。

戸締りをしてセキュリティロックを施し、よろめきつつも自力で歩いて救急車に近づくと、既にストレッチャーを準備中だった救急隊は拍子抜けした表情でぼくに問いかけてきた。


「おひとり? ご家族は?」


その問いかけは、至極、当然であった。

乗車するよう促されたのだが、つい、これまでの習慣で付添いのものが乗る座席に座ってしまった。

病人が乗るのは、無論ストレッチャーのうえだ。すぐさま移動し横たわると、手際よく血圧、心電図、サチュレーションなどを測定された──つい1時間ほど前に薬を服用したにも関わらず、血圧がだいぶ高い──それでも不思議と慌てることもなく、相変わらずぼくは淡々としていた。この質だけは、子供の頃から変わりない。そればかりは、自分でも謎だ。

搬送先は、母がお世話になっていた病院に決定した。ほどなくしてERに到着して採血、点滴、サチュレーションモニターが施された。そこまで終えたところで、今夜の当直医を呼ぶよう現場に指示が飛んだ。

その名前を聴いて、ぼくは天井を仰ぎながら苦笑した。

それは、母の主治医の名前だった。


「母が特別養護老人ホームに入所したご報告を先生にそろそろしないとなぁ、と思っていたんですよ」


自分が担ぎ込まれたERでも、カスれたフラフラの声で、ぼくは相変わらずの無駄口を叩いていた。それは無意識に、少しでもいつもの自分のペースでありたいと思っての業だったのかもしれない。

救急隊から伝えられた症状だけでなく、主治医は母とぼくのこれまでのことを察して下さっていた。即座に必要な検査を手配いただき、ぼくは全幅の信頼を寄せて、身を任せた。

検査結果は、完全なる白──案じた要素はひとつもなかった。撮影された画像はすべてクリアで、現在のところ一切の不安的兆候はないとのこと。この症状は、極度の疲れによるものと診断された。

点滴も途中で外され、帰宅許可が出た。病院の会計業務が始まる前は、預かり金を託して後日精算というのが常だが、時間はまもなく始業のころ。じきに会計が始まる旨伝えられて、そのまま待合に腰掛けてぼんやりしていた。

ここは、母と何度となく通った場所。ここで覚えた感情は希望的なものはほとんどなく、苦痛と苛立ちと焦りばかりだった。それでも、今こうしてたったひとり、弱った自分がただ遠くを見つめて時間を持て余しているよりよかった。


──とっても疲れているんだ──


救急隊にも介護をながらくこなしてきた旨を伝えると、横たわるぼくに同情するかのような眼差しと言葉にならない声が寄せられた。早朝から救急対応を迫られたスタッフのみなさんも、ぼくの気持ちを少しでも和らげようと、暖かく穏やかな雰囲気でその場を満たしてくれる。


──ぼくは結局、誰かに甘えたかっただけのかもしれない──


帰ってきた今も、胸のつかえは消える気配はない。この動悸が明らかに「恋」によるものではないことが何より残念だが、身体機能的な不安が一切ないことを今知れたことは何よりだった。

ようやく眠気が差してきた。午後の約束まで少し眠ろう。


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