2018年8月15日
今日、当時「この日」を実際に経験した母に会っておきたかった。当日のことはよく話してくれたが、今の母が何度目かの今日を迎えて何を口にするのか? それともしないのか? 興味があった。
──やっとぐっすり眠れる──
その日、母は12歳。疎開も経験したそうだが、大阪の真ん中で育った子供時代の母にとっては、それが素直な感想だったという。空襲が来るたび夜中に起こされて、家のすぐ傍に設けられた防空壕に身を潜めるたび、子供ながらに母は感じていたらしい。
──家ごと倒れてきたらお仕舞い──
地面を1〜2メートル掘って上に土を被せただけの穴に入っても無事が約束されているわけではないことを、子供も知っていたわけである。
母の85年の歩みには色んな出来事があった。あらゆる危機を越えて今日まで無事に過ごせたことは、何より幸運なことだ。若くして夫に先立たれたことも、その危機のひとつに他ならない。
夕方、施設にいくと、母は居間でテレビのニュースを眺めていた。何を話しかけても、母は予想した通りの反応だった。今日が「その日」だということも、感知していない様子だった。
そうなったとき話題に困らないように、今日は、母がかつて熱心に勉強していたイタリア語のテキストを持っていった。細かくたくさん書き込みがあるそのテキストは、母の黄金時代の1ページでもある。
80年代半ば、浮かれた景気の波に乗って、日本人も海外旅行に繰り出すようになった時代。母は長年憧れていたイタリアにひとり向かった。そこで陽気に話しかけてくれるイタリアのみなさんと話がしたい──その一心で、以来、イタリア語を学び始めた。
ぼくが中学に上がると、今度は英語やフランス語、スペイン語までも習い始めた。当時流行っていた、いわゆる「カルチャーセンター」という場所に通って、同時に複数の語学を学びだしたのである。
家ではラジオ講座も活用していた。放送をカセットテープに録音して繰り返し繰り返し聴くほど熱心だった。身体の自由が利かなくなるまで、ずっと勉強していた。
最近まで家に中には、当時のテキストやカセット、辞書や参考書が山のように保管されていた。もう役目を果たすことのないそれらは母の不在を象徴するようで、眺めているのも苦しい。ためらうことも懐かしむことなく、ぼくはそのたいはんを処分した。
そのなかで唯一残したのが、イタリア語のテキストだった。他のどの語学のそれよりも書き込みが多く、包装紙を自分で細工してカバーまで付けていた。即座にページが開けるように見出しまで正確に設けてあった。
──この自分のこだわりを母は懐かしむだろうか?──
母に見せると、進んで手にとってページをめくっていた。想像したほど興味は続かなかったが、書き込みを指でなぞっては、自分が書いた文字だということをぼくに何度も伝えてくれた。
夕食前の気忙しい時間──滞在は、わずか25分。そのうち、会話らしい会話はなかった。
──こんな日もある──
今日は、母が押入れに積み上げたままにしたものを処分する準備をした。この家にきて27年目の夏──たった一度さえも使われないままだったものもある。
──ひとつを得たら、ひとつを手放す──
母の命も、めぐりくる新たな命のために捧げられるころが近づいている。
偶然に開いたテキストは、食事に関するページだった。それは、家族の食卓を長年守り通した母の献身の表れのように思えた。
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