主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【ただそこにいること】

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2018年6月26日

真夏を思わせる陽気に満たされた1日──仕事の現場下見の帰りに、母に会いにいった。

ユニットに入り、職員の方に挨拶をすると、最近の母の様子を知らせて下さった。


「毎日歌われていて、歌詞の意味も教えて下さいます」


誰も寝てはならぬ〉のエンディングで聴ける「勝つ」というイタリア語の歌詞のことだった。様々な記憶が遠のくなか、母は今でも、「vincero」という言葉の意味を憶えている。


──それも音楽の力のひとつなのかもしれない──


母が歌うたび、そう考えることが多くなった。


今日も母は、居室で音楽を聴いていた。最近の面会では、ぼくが誰なのかを思い出すには少し時間がかかるのだが、顔をみるなり、手を挙げて迎え入れてくれた。

母の歌に耳を傾けながら、とつとつと言葉を交わしていく。母の発音は、近ごろ聞き取りにくくなっていて、繰り返し聞き返すと3回目には「もういい」と言わんばかりに、笑みを浮かべながら手を横に振り口を閉ざしてしまう。だからこちらも2度目までに聞き取ろうと、集中して耳を澄ます。それでも、いくつかの言葉はわからない。けれど、もうそれでよかった。


──言葉を交わすために会いに来ているわけじゃない──


ぼくのことを思い出してからは、ぼくが生まれたばかりのころ、どれだけ身体が小さかったのかを何度も話してくれた。

顔の前に両手を差し出して球体を掴むようなポーズを繰り返しては、「こんなに小さかったのになぁ」と、繰り返し繰り返し伝えてくれた──晩年を迎えて、遠い昔の楽しい記憶が呼び覚まされてきているのだろう。

話題も浮かばず、ただ同じときを過ごすだけの時間が流れていた。母の車椅子に腰掛けながら窓の外を眺めつつ、バヴァロッティの歌声を聴く──。


──音楽・踊り・祈り──


それは恐らく、ひとが言葉を持つ前から備えていた想いを交わす術──言葉を超えた関わりが、母が愛した音楽によってもたらされている。

母の両親のことを、ぼくは知らない。ぼくが生まれたときに存命だったのかもわからない。

それでも、母は、特にお父さんのことをよく話してくれた。子供のころ、大阪・心斎橋の近くに住んでいて、夕飯が終わると姉と一緒に3人で散歩によく出かけたこと。みんなで喫茶店に入って甘いものやらを食べると、腹巻に忍ばせた財布からお父さんがお金を払ってくれたこと。輸入車販売の仕事をしていて、横浜港に陸揚げされた車両を大阪まで陸送していたこと。戦後の混乱期に輸入が制限され廃業したこと。晩年は小学校の用務員を務めていたこと。


──いつ亡くなったのか?──


訊ねても憶えていないという──昔のことには拘らない母らしい一面だが、85年というながい人生が、自ずとその悲しみを薄れさせてくれたのかもしれない。兄やぼくの誕生もまた、それに一役買っているのだろう。

いつかぼくに家族ができて、もし子を授かったら、母がぼくに話をしてくれたように、母のことを伝えたい。

いつも陽気で嘆いたり怒ったりしたこともなく、踊りと音楽と家族を愛した母だったことを。


「いってきます。」


いつもなら、面会のあとは帰り道にある区民プールに寄って水泳をすることになっていた。でも今日は寝不足でとても泳げそうにない。でも、ただ家に帰るだけだと「またね」と挨拶することになる。そう口にして別れるよりはいいと思った。


──ここが母の本当の家になるように──


ぼくが退出するとき、母にもいつか「いってらっしゃい」と、自然に見送ってもらえるようになるといいのだけれど。

できることなら、毎日顔を出したい。そうすれば、この家にいるのと何ら変わりなくなるから。


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