主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【特別養護老人ホーム 内見】

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2018年4月9日

己の弱さが溢れかえって、今日に延期せざるを得なくなった内見を済ませてきた。

朝から妙な緊張感に包まれていた。身支度を整えて外に出てもその状態は続いていて、晴れ渡る春の空を見上げても心弾むことなく、こわばったまま駐車場に向けて無心に歩いていた。


──この感覚は何かに似ている──


それは、舞台本番前のあの強張りだった。

ならば、幕が開いてしまえば、自由になれる。いつも通り、努めて明るく道化を振る舞えばいい。

道中、今日のような時間を記憶に定着させないために、音楽は聴かないつもりだったが(この曲を聴くたび今日のことを思い出したくないから)、震える想いを抑えたくて、たまらず曲を再生した。

Bad English ‘When I See You Smile’ (1989)

仮面浪人時代によく聴いていた1曲。照れるほど分かりやすい歌詩とキャッチーなサビ、そして流麗でエモーショナルなギターソロが聴ける、典型的なスタジアム・ロック様式のラブ・バラードだ。


When I see you smile
I can face the world
You know I can do anything


そこはかつて、ショートステイでお世話になったことのある施設。中の様子は分かっていたつもりだったが、当時と今とでは、ぼくの視点と想像力が、まったく異なっていた。そのことを痛感し、戦慄した。

先に面談を行なっていただいた担当者に案内されたユニットに入り目にした光景は、想像した通りだったけれど、肌を通じて直接触れた感覚は、言葉にならないほど鮮烈な印象をぼくに植え込んだ。


──今の母は、入居を拒まないだろう──


それは、ある種の安心感と引き換えに、母の老いが静かに進んでいる証だ。そう思うと、胸が詰まる。

保育園〜幼稚園〜小学校──理由もよくわからず、そこに通うことになったのと同じように、母も何の理解も意思も希望もなく、そうは遠くない未来に、ここで暮らすことになる。

小学校入学の朝の出来事は、今でもよく憶えている。着物に着替えておめかしした母に、制服に着替えさせられたあと、母に手を引かれて入学式に向かった。

駅まで歩いたときの風景と空気感──教室で知らない子供たちと椅子に座らされて知らないおじさん(担任教師)の話に耳を傾けていたこと──隣の席の快活な女子と握手を交わして口ごもりながら自己紹介したこと──。

あの日のぼくが見つめていたような景色が、薄れゆく母の記憶のなかにも残されるのだろうか?

来たるべき日、身支度を整えさせて、身のまわりの品品をまとめ、車椅子に母を乗せ、きっと見送られながら介護老人保健施設を後にする。車の車窓から外をみつめながら、母は恐らくこういうだろう。


──これからどこいくんや?──


ぼくはそのとき、なんて応えたらいいのだろうか?

その日、母を送り届けたあとのひとりの家路が、今から思いやられる。今日でさえ、あんな調子だったというのに。

自宅から車でおよそ30分。のどかな風景が広がる一角に、その施設はある。隣接した大きな敷地には、近く新棟が建設され、増床予定だそうだ。

いつの時代も、家族が家族を自宅で看ることがどれほど大変なことだったのかを改めて想像してみる──誰かの献身なくしては、それは果たせなかったはずだ。

家に誰もいない今では、そんなことは到底不可能。ぼくが実質ひとりでここまでどうにかやってこられたのは、自由人だったからに他ならない。かつ、ぼくが守るべきものが、母だけだったことも大きな理由だ。


身内との永遠の別れ──その悲しみを超えるために、人は自分の家族を持つのだという。


母の老いが加速し始めてから、その言葉が頭を離れない。

無論、その恐怖から逃れるために、誰かを求めるようなことは、しない。


──愛しいと慕う気持ちに理由などあってはならない──


家路の途中、かつて母と歩行訓練をした道をひとり歩いた。揺れ動く心を鎮めようと、呼吸を数えながら進んでいると、道端の花に明るい陽が射しているのが見えた。


──花に目をやるほどの余裕がぼくにはまだあるんだな──


そう思いながら目線をやると、そこにはアゲハ蝶が止まっていた。どうやら花の蜜を目当てにしているらしい。小刻みに羽を震わせ、次々と花々を渡っていく──。

アゲハ蝶の飛来には、先祖からのメッセージが込められているという説があるらしい。


──父と叔母からの礼──


再び、今朝聴いていた音楽の歌詩が頭を過ぎった。


Everything’s alright
Everything’s alright


それは、先立った2人からの言葉──そう思うことにした。


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