主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【SOS──いつかみた無言の横顔】

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2018年4日3日

仕事の目処が付いたので、ようやく、再々破損した母の義歯修理のため、横浜の歯科医院に向かった。

このところの母は、認知機能の低下が原因か、だいぶわがままになってきている。言動が荒く、要求も多い。公共の場で静かにしていられないし、要求が受け入れられないと、かんしゃくを起こし、時には手も出る始末。


──いよいよ恐れていたことが始まるのか?──


幸いなのは、口調は穏やかだし、終始和かにしていること。相変わらず、誰彼構わず手を振って挨拶をするし、最近は、投げキッスまでし始めた。周りの人も笑顔で受け止めて下さる方がほとんどなのもありがたい。

ただ、ぼくにとっては、今日はだいぶ苦しい1日だった。

往復の道中は、珍しく渋滞にはまらず、受診時間を含めても3時間強で戻ってこられたのだけれど、母を施設に送り返したときには、完全に燃え尽きてしまった。

日に日に、全介助の比率が高まっている。身体がいうことを効かないものだから、移動の際、怖がってあちこちにしがみついてしまう。車椅子への移乗、ちょっとした段差を越えるとき、出入口の通過、椅子から立ち上がるとき──ぼくにつかまるよう求めても(その方が素早く安全に動作完了できる)それができない。

すると、近頃の母は悪態をつく──もっと丁寧にしてだの、早く下ろして欲しいだの、無理な要求をしてくる。これがぼくだけならまだいいのだけれど、施設の職員の皆さんにまで及んでいたら…。そう思うと、胸が痛くなる。

歯科医院の皆さん、施設の職員の皆さんと、いつも通りに会話をして、努めて普通に接することで、どうにか正気を保とうとしたけれど、母のわがままに、どうにも辛抱しきれなくなった瞬間もあった。


──これは病気のせいで、母のせいじゃない──


昔の過ちはもう繰り返さない。苛立ちは隠しきれなかったけれど、丁寧な口調で、母に注意を促した。今の母に、相手の気持ちを察して欲しいと望むのは不可能だ。無論、母自身が、最も苦しいに違いない。言葉にならない不安やストレスが、言動に現れているのだろう。

みまもる側は、ただひたすらに堪え忍ぶか、他の方法でうっぷんを晴らすしかない。介護者をケアする公的サービスは今のところ、ない。ただ側に寄り添ってその手で触れてくれる家族やパートナーはぼくにはいない──それもすべてぼくが下した選択──誰のせいでもない。


──いつかみた無言の横顔──


母に付添いが必要になったころ──つまり介護者初心者のころ──病院の待合でみたある表情が突然記憶に蘇ってきた。

それは、ぼくと同じように、ご家族に付添って病院にこられた女性の横顔だった。

会話はなく、並んで座ったまま、虚ろな眼差しで遠くを見つめていた。身なりも整っていて、表情は穏やかだったけれど、あのときぼくは、その女性に、何か追い詰められた空気を感じ取っていた。

あれはきっと、無言のSOSに違いない。


──決して、言葉にされることのないサイン──

 

かつてのぼくもそうだったように、気づいたころには自分を追い詰めてしまう。そんな時代は、もう越えたつもりだったけれど──。


──あの日みた表情と同じ顔をしている──


今日のぼくは、そんな風に周りに映っていたかもしれない。

それが悟られないように、いつもの調子を再現しようと、また無理に会話を始める──。


──そうして、余計に自分を疲れさせる──


道中、母はいつものように、プッチーニ作曲〈誰も寝てはならぬ〉をパヴァロッティの歌声に合わせて歌っていた。手を、膝を叩いて、子供が一人遊びをするように楽しんでくれていたので、ぼくが終始無言でも何も問題なかった。

ところが、母は、ぼくの様子がいつもと違うのを察したのか、突然、言葉をかけてくる。


「あんたが頼りや」


先の満月の夜、大仕事を終えて、その報告にいったときもそうだった。報告の内容についてはほとんど理解できなかったようだけれど、やはりあの夜も唐突に言葉を発した。


「あんたが頼り」
「あんたが頼り」
「あんたが頼り」
「あんたが頼り」


そう繰り返されて、込み上げそうになったぼくは、その場でうつむくしかなかった。

西陽を遮るためのサングラスが、今日もまた役に立った。視界は、かすかに滲んでいた。

施設に戻った時間は、ちょうど夕飯前。母によく噛んで食べるよう促して、足早に家路に就いた。


──胸が苦しい──


まるで恋でもしているかのような苦しさが、今日は絶えずあった。今朝、偶然に目にした看取りに関する記事のせいもありそうだ。

 

37歳で逝った母が、5人の子と交わした「約束」 | 看取り士という仕事 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

母は、まだ何か、ぼくに伝えようとしてくれているに違いない。それにぼくが気づくまで、母の終は、きっと訪れない。


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