2018年2月5日
おはよう・いってらっしゃい・きをつけて──。
おかえり・おやすみ・またあした──。
あれはいつだったか、とある取引先に打合せに出かけたときだった。現場に出て行くスタッフに、ある教育係的存在の方が声をかけた。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
大きなフロアに、その言葉がなかば虚しく響いていた。他の誰も、自分の仕事に精一杯なのか、声をかける気配がなかったのだ。
外出していく方の背中が見えなくなりそうになったころ、怒号が飛んだ。
「お前ら、しっかり見送れ!」
「行ってらっしゃい、気をつけてを言え!」
若いスタッフが多いその広大なフロアは、予想した通りの反応だった。
(えっ? 何か問題かな?)
(仕事に集中してたんだけど)
(あの先輩マジうぜえな)
そう言わんとする空気で、なぜ叱られたのかわからぬまま、ポツリポツリと、弱々しい声で見送る言葉が漏れ聴こえてきた。
そのとき、ぼくには、その教育係の方が言わんとすることを察することができた。
──無事を祈る──
今、目の前にある無事は、永遠に約束されたものじゃない。
親はいつだって、子をそうして送り出す。
「慌てて駆けたりしないで、気をつけるんだよ」
「行ってらっしゃい〜ご飯までには帰っておいでよ」
勢い勇んで遊びに出かける子供たちの耳に届くように大きな声で、どんなときもそう声をかけてくれる。
──それと、同じこと──
今日も目覚めた奇跡に──おはよう。
平穏を祈り──行ってらっしゃい。
安全を期して──気をつけて。
無事の帰宅に──おかえり。
安らかな夜に──おやすみ。
次に会えると信じて──またあした。
もう、日常のなかで何度も何度も繰り返し使う言葉は、いつしか定型化されて、本来の想いや願いが削がれてしまう。
感謝や謝罪の言葉もそうだ。
ありがとう──。
ごめんなさい──。
これほど大切な言葉を、口癖のように無意識に使ってしまってはいないだろうか?
──どうしたら、本当の気持ちを伝えることができるのか?──
それは、送り手だけの問題ではない。受け手側にその言葉を真摯に受け止める「こころ」があって初めて成り立つものだと、ぼくは確信している。
そうしてこころを交わし会えたとき、ひとは初めて「安心」を得るのかもしれない。
そんな大切なことを、改めて感じさせてくれたこの奇跡の出逢いに、今夜、感謝の気持ちが溢れている。
いつからか、夜、眠る前に胸に手を置くようになった。鼓動を感じながら呼吸をしていると、毎回、不思議に思うことがある。
──なぜこんなに胸は暖かいのだろう──
その理屈くらいは理解している。けれど、科学が解き明かしたそれが唯一の解とは限らない。
──こころがここにあるから──
いつか問われるときがぼくに訪れたら、そう伝えたい。
未だ見ぬ君に、希望の未来を託して──。
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