主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【束の間のデート】

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2018年1月3日

 

正月三が日──この時季らしさを表象する静けさを映したかのような見事な快晴の空が、連日、東京に広がっていた。

 

眠れぬ夜を過ごしようやく起き上がった午後、この空模様を確認して、この一年、習慣化している瞑想に入った。

 

目を瞑り、呼吸に集中していると、今日、始めて妙な妄想に取り憑かれる。

 

 

──ぼくが目を閉じている間、世界はいつもと同じ景色なのだろうか?──

 

 

今日は幾ばくか風が強いらしい。木々のざわめきや風が窓を叩く音が終始聞こえてくる。台所からは、冷蔵庫がコンプレッサーを唸らせている。

 

聴こえてくる世界は、いつもと変わらぬままだったが、ぼくが目を開けるまでは、ぼくに見せたこともない世界が広がっていたかもしれない──そう思うと、なんだか愉快な気持ちになった。

 

 

「大丈夫。ぼくは覗き見したりしないから」

 

 

そんな、ひとりの暮らしの、最も静かな時間を終えて軽く食事をとったあと、処分する予定の増えすぎた蔵書をまとめてから、昨日より少し遅い時間になって母に会いに行った。

 

 

「来てくれてありがとう」

「あんたが生きがいや」

 

 

ここに暮らしてからたくさん伝えてくれたこの言葉を、今日は少し辿々しく、何度も何度も口にしていた。

 

いつも通り、どうでもいい話を母と交わしていると、職員の皆さんがいろいろと声をかけてくださる。

 

 

「今日は、お兄さんと弟さん、どっちの息子さんが来てくれたんですか?」

 

 

母はこの問いへの答えを間違うことも増えてきている。いつも言うように、今となってはもう問題じゃない。顔を合わせているあいだ、母が楽しく過ごせればそれでいい。

 

 

「お部屋にお連れすると、ベッドサイドの写真をみて、この子が今日来てくれた!と、いつも指さして応えて下さるんですよ」

 

 

今ではぼくが知り得ない母の日常を、そっと伝えていただいた。

 

とても些細なことかもしれない。けれど、そのとき、どこか安堵のようなものを覚えた気がする。

 

頭ではわかっていても、心は嘘をつけない。忘却の対象となるなんて、誰も望まないだろう。ましてや自分に生を授けてくれた母に──。

 

そんな会話を挟みつつ、いつもの調子で無駄話を続けていると、母のとトボけっぷりがあまりに愉快なので、今どきらしく全世界に向けてご披露するべきか? と考えたが、無論、そんなことをするつもりはない。

 

 

──これは、母とぼくの束の間のデート──

 

 

密やかに楽しんでこそが醍醐味なのは、どんなデートだって同じだ。

 

母の居室の整理をして出口に向かうと、大広間の一番奥にいる母と目があった。右手を高く高く挙げて力強く手を振ってくれた。

 

 

──またね──

 

 

帰りのエレベーターのセキュリティロックを解除するため、いつもエレベーターホールまでスタッフの方が引率してくださる。

 

 

「4日連続でいらしてくださって、ありがとうございます」

「こちらこそ、毎日、ありがとうございます」

 

 

とても前向きな表情が印象的なあの青年をみると、いつも誰かのことを思い出しそうになるのだが、未だに思い出せない。この穏やかな雰囲気を携えた他の誰かを知っているはずなのだけれど…。きっと久しく会っていない方に違いない。いつか果たされるかもしれない再会のとき、この謎が一気に解き放たれることだろう。

 

今日、持ち帰った洗濯物が仕上がったら、また母に逢いに行こう。そのときは、一緒に夕暮れを観られる時間にしたい。母とそんな時間を過ごしたことは、たぶんこれまではなかったはず。

 

母がそのことを憶えていられなくてもいい。ぼくが憶えておくから。幼いころのぼくに母がそうしてくれたように、ね。

 

 

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