主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【ながく生きろ】

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2017年12月17日

 

父の墓参り──。

 

例年、真夏の命日とぼくの2日後だった父の誕生日に墓前に向かうことにしていたが、インフルエンザ・キャリアは人と接触できないため(熱が下がっても数日間はウィルスが残っている可能性がある)、「人のカタチをしていなければゆるされるだろう」と、いつもの都合のいい言い訳を即座に思いついて、我が身の経過を観察していた。

 

誕生日当日、期待した通り平熱に戻ったが、一歩外にでれば、見知らぬ誰かとの接触は避けられない。ぼくがどこかに触れたら、そこにウィルスを残していくことになる。

 

そう思いを改めて養生に専念しようと、ひょんなきっかけから、買ったまま読まずにいた小説「博士の愛した数式」に目を通し始めた。すると、冒頭からもう、居ても立っても居られなくなってしまった。

 

 

──47歳・誕生日・父の記憶のない息子・食事・優しさ・肌触り・野球・タイガース・10歳──

 

 

ぼくを突き動かす「記憶に残る言葉」が連なる──。

 

携帯用消毒液を持ち歩いて都度手を消毒する・口元や目元など粘膜には触れない・手すりつり革は使わない・人と接近するエスカレーター・エレベーターも使わない・ドアに触れる前後に除菌・もちろんマスクは常時装着

 

そのルールを課して、結局、墓前に向かうことにした。

 

母とこの坂を歩いて下った記憶は2度しかない。建立したとき(今振り返れば、あのときが十七回忌だった)と、確か三十三回忌(最後の法要として仏殿でお経を上げてもらって焼香した記憶がある)。以降母は、ぼくが車で連れ出すまでは墓参りさえ行かなかった。

 

そもそも、父の遺骨は今も京都にある本家の墓に眠ったままだし(母がそれを望んだ)、自宅の仏壇も命日以外は閉じられていたほどだから、どんなときも母は振り返ることなく「今を生きること」に専心していたのかもしれない。

 

ここに我が家の墓が建てられて30年。都心のど真ん中のひっそりとした寺町は今、「聖地巡礼」をうたう某映画ファンの間でブームになっている。今日もその様子を見つめながら街を歩き、ぼくらが直接的な関係もないのに、世界の遺跡や教会に出かけていくことの不可思議さを想像した。

 

 

──「常に、第三者の視点を」──

 

 

そう思うと、不思議とその様子に何の感情を抱くことなく、記憶に残ることのない風景としてとらえられる

 

 

──「行くべきことがあるんだ」──

 

 

もう暮れた時間だったけれど、暮石がだいぶ汚れていることがわかった。備え付けのタワシで磨くも、洗い流す水が足りなかったのか、わずかに汚れた残った気がした

 

「苔も汚れも浮世である証」

 

そう言い聞かせて、いつも通り、ハイライトとアサヒビールをお供えして、線香に火を灯そうとすると…ガスを補充してきたはずのバーナーライターの焔が一瞬にして消え去った

 

「そうか、汚れを洗い流せということだな」

 

最寄の商店でライターを手に入れ、寺の門前にある井戸で手桶に水をいっぱいにして、ふたたび墓前に立った

 

「手入れぜずに済むように、いい石を選んどいたで」

 

母は建立の際そう言って、それから墓は手付かずになりがちだった。でも母の選択は正しかったようで、今も周りと見比べてもみすぼらしい感じは一切しなかた。

 

 

──自分の番に備えているのか?──

 

 

手に入ったライターが普通の型だったせいもあって、案じた通り、なかなか点火しない。

 

「引き止めているのか?」

 

わずかに灯った種火を増やそうと、手首を効かせて風を送り、先端がわずかに灰になってきたところで、顔を近づけて息を吹きかける。もはやぼくも老眼を患う歳。目元で今まさに点火しようと勢いを増す生命の息吹の迫力を完全に目視はできないけれど、伝わる音と光の強度、それから熱の威力によって視覚以上の体感を得た。

 

 

──「この感覚は久しぶりだ」──

 

 

それは本当にわずかな時間だった。けれど、どんな嗜みよりも魅惑される瞬間だった。自分という小さな器に宿した歴史を超えて、どこかへ誘われるような…過去でも未来でもない「今」という悠久な営みの奥深くへ──線香を供え、合掌し、目を瞑った。

 

今年、施設のベッドに横たわる母に尋ねたことを思い返した。

 

「余命が宣告されて幼子を残すとわかって、何か遺した言葉とか、なかったの?」

 

母は微塵も哀れむ様子もなく、また秘密を守り通そうとする気配もなく、いつもの和かな調子で応えてくれた。

 

「知らん」

 

当時は、本人への告知はまだ行われていなかったらしい。京都一の病院で執刀してもらったけれど、回復してそのまま閉じられたと母から伝え聞いている。胃癌だったそうだ。それから8ヶ月も生きたのだから、人の生命の神秘は、科学の真理を超えているのだろう。その奇跡に、ぼくの誕生も手を貸したのかもしれない。

 

東北の震災があった年、母が初めて、これまでなかった身体の不調を訴えた。70代も終わりに差し掛かるころ、そろそろいつ何があってもおかしくないことくらい頭ではわかっていたけれど、ぼくはどこか不安だったのだろう。今夜のように墓前に手を合わせ、届かぬ声を待ちわびていた。

 

 

──「ながく生きろ」──

 

 

声が聞こえたわけではない。ぼくと入れ替わるようにして先立った父は、きっとそう願っていたに違いない。

 

今思えば、あれは、それからあとの母に起こる様々な出来事に向き合うための、ぼくの宣誓だった。

 

今日もまた、同じことを想った。不摂生で倒れるだなんて、放蕩にもほどがある。そのせいで、今日を無事に迎えられた感謝を、母の面前で伝えることさえできなかった。

 

 

──「明日は誰にも約束されていないのに」──

 

幸いにして、症状の経過は良好だ。自然に抗おうとする人類の叡智に慄きつつも、今その恩恵に浴することができる幸運に感謝している。

 

1日も早く全快して、母に今日の報告をしたい。そして、ながらく遠のいている叔父と叔母の墓参りに行きたい。

 

こうした身体の不調は、きっとその知らせでもあるはずだから。

 

 

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