2017年11月24日
時間にすれば僅か3分間ほどだが、母が暮らす施設に隣接したこの森を抜けて面会に行くのが最近の楽しみになっている。
森といっても当然、人の手によって造られたものではあるけれど、それが植物の放つ力なのか、そこをくぐり抜けるだけで気持ちが穏やかに感じられるから不思議だ。
秋深まる森の中、落ち葉を踏みしめる音に耳を澄ましながら空を見上げると、今度は鴉の羽ばたきと鳴き声が聞こえてくる。きっとここを寝床にしているのだろう。そろそろ皆、羽を休める時間だ。
面会に行くと、広間のいつもの場所に腰かけた母は、いつものように右手を高らかと素早く挙げてぼくを迎えてくれる。
「よぉ来てくれたなぁ」
「あんたが来てくれると嬉しいぃ」
聴き慣れた母の大阪弁が心地よく耳に触れる。
今日はちょうど、簡単な計算ドリルをこなしている時間だったから、おしゃべりする前にまずは課題に向き合ってもらおうとしたけれど、すぐさま集中は途切れてしまったようだ。
「あんたが来てくれて感動したから、もうやりたくない」
──実に都合のいい言い訳である──
「子供はそうして宿題から逃れるんだよ。親はそれをどにかさせようと必死になる。昔とは逆の立場だね」
そう伝えると、母は期待した通りいつもの間合いで笑顔を返してくれた。
途中で止めるのも中途半端なので、見開き2ページ分、100問近くの足し算、引き算、掛け算を、同じ調子で何度も中断しながら、どうにか解いてもらった。一桁の簡単な問題とはいえ、割とスラスラと解答していたのには感心したが、以前よりも間違いが増えてきている。
とはいっても、間違いのパターンがあるようで、足し算と掛け算を見間違えることが多い。例えば「7+7=49」といった具合に。掛け算だとしたら正解していることになるので、脳の計算部門はまだまだ処理能力を維持しているのか?
計算の最中も何度も繰り返して
「あんたが来てくれて感動している」
という母──。
「そんなことを言って来くれるひとはいないから照れるよ」
と返すぼく──。
すると母は、笑みを浮かべながら小指を立ててみせた。
「おらんのか?」
そんなところも、まだ記憶にあるらしい。
それは人の最も根源的な部分ゆえの…というよりも、「親として」なのかもしれない。
ぼくが帰るころまで、母はずっと「感動している」と繰り返した。別れ際、手を握って席を立ち出口へ向かった。いつものように角のところで振り返ると、やはり母もいつものように、ぼくが見えなくなるまで手を振っていた。
──幼いころ、ぼくもこんな風にして忙しかった母を見送っていたのだろうか?──
あまりに遠過ぎて、そんな記憶は蘇って来そうにはなかったけれど、きっとそうしていたに違いない。
母のいつかの気持ちを今、ようやく想像できるようになった気がする。
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