主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【父の遺言】

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2017年8月1日

 

母が入所している老人保健施設があるこの場所は、江戸時代には城内だった場所らしい。陽当たりのいいこの丘でお殿様らがある嗜みに興じていたのだという。どおりでここは、他とは違う空気が流れているわけだ。ここへ来ること自体、苦にならない雰囲気があるのがなによりありがたい。

 

このところは週に一度ほどになっている母の面会。お陰で先週はぼくの名前を思い出せなくなってしまった。

 

「いよいよこのときがきたな」

 

いつもの調子でそう母に伝えると、

 

「あれ? なんやったっけ? でもあんたがきてくれるとそれだけでうれしい」

 

そういつもの決めゼリフを添えて、母は普段と変わらぬ様子で顔をくしゃくしゃにしてケタケタと声をあげて笑ってくれた。

 

なんだかこのところの母は、とても可愛らしく見える。例えば自分に子供を授けられたとしたら、こんな気持ちでその子を見つめるのだろうか?

 

 

──名前なんて、ただの記号──

 

 

だから忘れたって構わない。いつか顔も思い出せなくなったとき、どんな気持ちになるのか? そのときまで母を看ていられたとしたら、それほど幸せなことはない。

 

 

今日は予定されていた退所前訪問(退所日に備えて自宅でどれだけ過ごせるのかをためす機会)が母の体調不良でキャンセルになったので、様子を聞くと

 

「えっ? 体調はええよ」

 

といって、またニコニコしている

 

 

──これも変わらずいつもの調子──

 

 

売出し中のスポーツ選手のように、どんなときでも

 

「よく寝てよく食べて元気です」

 

と絶好調をアピールする朗らかな母は、施設でもとてもよくしていただいている様子だ。新しく着任した二人のケアマネージャー(老健/居宅介護支援)とスタッフのみなさんも自然と和やかな空気場に与えて下さっている

 

 

──母は幸運──

 

 

その幸運にぼくらも守られてきたことに、この5年、幾度も感謝の気持ちを抱いた。

 

真剣な眼差しで生きることを語ったりは一切しなかった母だが、思えば、まだ育ち盛りの兄と生後間もないぼくを抱えて未亡人になったのだから(それも今から50年近く前の女性の社会進出が阻まれていた時代に)、さぞ不安に駆られる日々もあったに違いない。

 

けれど

 

「それはもう大変やったでぇ」

 

という程度で、どんなときも穏やかだった。

 

生後8ヶ月で父に先立たれたぼくとしては疑問に感じることがあった。それを今まで母に問うたことがなかったことを思い出し、今日、初めて訊いてみた。

 

 

「幼子を遺して先立つ定めに直面したら、ぼくなら手紙を書くなどするけど、なんかなかったの?」

 

「あらへんよ。あの人は自分のことばかりやったからなぁ」

 

 

伝え聞く父のことは、まさにこの言葉に集約されている。

 

でも、母に聞いた話題では、友人の葬儀では誰より先に立って棺を運び出すお手伝いをするような気質だったらしい。

 

 

「あんたそんなに棺桶ばかり運んどったら、さっさとあの世に呼ばれてまうで」

 

 

そんな冗談がまさか早々に現実になろうとは、母も思わなかったことだろう。

 

 

「あの世に呼ばんといでや」

 

「お前なんか呼ぶかぁ〜彼女を呼ぶはぁ〜」

 

 

最期のときが近づいたころ、母と父が交わした会話だ。母はぼくの名前を思い出せないときがある今でも、この話しをよくしてくれる。

 

 

「それはさ、男子ゆえの照れ隠しだよね」

 

 

本当のことは、なかなか素直に表現できないもの。お陰でこうして母は、今もぼくたち兄弟のそばにいてくれる。これはきっと、亡き父の加護だと、ぼくは信じて止まない。

 

 

──それがきっと、伝えられることのなかった父の遺言──

 

 

また暑い夏がやってきた。そろそろ、父の命日が近づいている。

 

 

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