主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【体験と経験の違いとは何か?】

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2017年7月11日

 

松葉杖での移動は想像以上に堪える

 

──身体に、そして心に──

 

腕の力で身体を支えながら歩く…これがこんなに難しいとは思いもよらなかった(太ももの方が大きな筋肉が付いているのだから、二足歩行の方が楽なのは当然か?)

 

おかげで体重が減った。減量しようと鍛えていたら無理をして故障し、松葉杖生活を強いられた挙句、求めていた結果が得られるだなんて…己の愚かさに閉口せざるを得ない。

 

電車の到着待ちの間は、大抵こんな風に足下を見つめながら松葉杖に全体重をあずけて休んでいる。この体勢を再現するためだけに松葉杖があってもいいと思うほど、このときばかりは自立しているときにはない安堵感を覚える。

 

ひとたび電車が到着すれば、なるべく周りにプレッシャーを与えないポジションに空きはないか? と、センサーがフル稼働。

 

邪魔にはなるが出入口付近にいた方が「座席を譲って欲しいな」という圧力を与えずに済むことが最近わかってきた。

 

いや、今どきの東京じゃ、座席を譲るなんて思考はないのかもしれない

 

──事実一度も声を掛けられたことがない──

 

近頃、エスカレーターの片側を空ける慣習を止めようという声が上がりつつあるが、全くもって果たされる気配を感じない。

 

大して混雑もしていない時間帯、頑なに片側を空けるばかりに行列ができてしまっている光景をみると、

 

「輸送量半分になってエネルギーの無駄だ」

 

とつくづく思う。

 

手術を受けて左手が使えなかったときには、

 

「今、この駆け下りてくる輩にぶつかられたら…」

 

と不安が募った。

 

駆け込み乗車を試みた男性に体当たりされたこともある──

 

「ぼくがこの体型だったからよかったけど、お年寄りや身体の不自由な方だったらどうなっていたかな?」

 

そう、彼に問うてみたけれど、何か変化はあったろうか?

 

──何より、移動している本人が最も危険と隣り合わせになっていることに気づいていない──

 

あまり報道されないようだけれど、エスカレーターでの事故は増えているという

 

──この「想像力を欠いた世界」は、どうなっているのだろう?──

 

自由というのは、制約のうえにあることを忘れちゃいないか?

 

階段の右側/左側通行の指定も、不自由な手足がどちら側かによって困ることにも今回ようやく気づけた。

 

今は左手で手すりに頼りたいのだけれど…右側通行の階段では、人の波が途切れるまで待つことを選択する他ない

 

(手すりが真ん中にあったらいいのに)

 

エレベーターやエスカレーターが都合のいいところにあるとは限らないし、そこへ向かおうにも混雑している時間帯は、黄色い線の外側しか歩ける場所がない。

 

階段付近の、通路が狭くなっているところで電車を待つ見た所いい歳をした大人が溢れるほど駅にはいるが、もしかしてみんな中学生くらいの想像力しかないのだろうか?

 

松葉杖姿で歩きながら自分もそんな景色の一部となり、「誰かを想う気持ち」を育んでくれたこの人知れず波瀾万丈な日々に感謝の念を抱いた。

 

──故障はだいぶ癒えてきている。

 

それだけでもどれだけ幸運であるのかを、今、改めて感じている。

 

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