主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【present】

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2016年1月22日

 

母との変わらぬ日常が続く──。

 

寒さが厳しくなるこの1月下旬、母の脳梗塞発症から1年が経過しようとしている。過去3年、調子を上げては奈落の底に突き落とされた経緯があるものだから、こんな元気な様子を見せ付けられると、安堵を通り越えて、嫌な記憶が蘇ってしまう──。

 

病院の待合での一コマ──午前はこんなに元気だったのに、午後、家に帰った途端、疲れたのか、血圧も低下しぼんやりしはじめた。

次の瞬間、何が起こるかわからないのは、みな等しく与えられた定めだ。それでも、多くの場合は、今が継続していくはず。

 

しかし…老いは、当たり前の明日を約束してはくれない。定めに抗うつもりはない。それでも、ゆるぎ出した当たり前だった毎日が、こんなにも不安だったなんて…目の前で経験するまでは、わからなかった。

 

その不安から逃れようと、またいつもの場所に逃げ込んだ

 

──こんなとき、正論はいらない──

 

するべきことはわかっている。

 

それでも…それでも…それでも…。

 

#主夫ロマンティック #介護

 

 

 

2017年3月18日

 

そろそろこれまでのことをまとめておきたい──自分の気持ちを保つために。

 

この写真を見ると、自ずとあのときの記憶が呼び覚まされる

 

──病院の待合で母にどんな話をしたのかを──

 

1年前の母は、ぼくが手を引けばまだ自力でどうにか歩けていた。

 

しかし、このあと、5月下旬から5ヶ月におよぶ入院〜リハビリ生活を迎えることになる。周りの予想を覆し、悲願の自宅復帰したのが10月半ば。それからおよそ3ヶ月、ぼくはぼほ付きっ切りで母と毎日を過ごし、どうにか自宅での生活を送れるように努めた。

 

それでも遂に、限界が訪れた。

 

 あの日の出来事を、自宅に設置したみまもりカメラの動画記録で見たときには、まさに背筋が凍る思いだった。そして同時に…筆舌に尽くしがたい後悔と自責の念、己の無力さに支配された。

 

振り返れば、 介護者としての暮らしは、後悔の連続だった

 

──あと10秒、集中力が続いていれば──

──あと1時間、気づくのが早ければ──

──あの朝、もう少し早く目覚めていれば──

 

もしくは

 

──あの夜、もう少しだけ気づくのが遅ければ──

 

母のことを、こんなに苦しめずに済んだかもしれないのに…。

 

 

あれから丁度1年後、今年の1月半ばに、母は再び病院へ戻ることになった。

 

早くも入院生活は二タ月を越えた。

歩行訓練がようやく再開されたとのことだが、

おそらくもう、ここへ戻る日は…。

 

いや、未だ起きてもいないことを案じるのはやめにしたはずだ。

 

目の前にあることをただ見つめる──

 

present

 

──だから「今日」という日は贈りものなのだと、ある先人は語った。

 

 

望むと望まないとに関わらず、ただただ「今」を見つめる

 

 

それが叶った日、ぼくはようやく、自由になれる。