主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【愛のかたち】

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このところ、この丼ぶりを毎朝、母と食べている。

 

納豆・豆腐・枝豆を混ぜ合わせて、もち麦入り雑穀ご飯にのせたもの。どこかのテレビ番組で紹介されていて試してみたらとても美味しく、卵黄をのせたり、チーズを混ぜたり、おかかを振ったり…今日は、焼鮭もほぐして入れてみた。どんなアレンジをしても美味しくいただける見事なレシピである。

 

母とのいまの暮らしが始まって3年半。去年の今頃は、脳梗塞発症後、入退院を繰り返していて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあるころだった──今年の春こそは、穏やかに迎えたい──そう誓って、母と二人三脚、いや、二人一脚というのが正しいだろう。どちらかが倒れたらおしまい…そんな危うい綱渡りをしているような日々を過ごしながら、どうにか無事、今年の春を迎えた…はずだった。

 

昨冬から気になることが起こり始めていた。週3回、懸命のリハビリを行ってきたわりには、体力の回復がなかなか見込めず、ほんとんど家の中だけで過ごすことになった。冬場には、わずか30メートルほどあるけば息が上がってしまうようになり、体調の波も激しく移ろうようになっていた。筋力はさほど衰えていないのに…やはり、持久力を回復させるには時間がかかるものだな、と、素人目線で見守っていたのだが、状態を案じたリハビリの方から、循環器内科の受診を勧められた。血圧の乱高下も続き、上が160近くあったかと思えば、突如100を切ることもしばしば起こった。寒さのせいか? それとも薬のせいか? と、あらゆる検証をしていていたころだった。

 

長年の高血圧体質が祟ったのだろう。ながい間、投薬治療をしてきたけれど、心臓は想像以上に疲弊していた。以前から患っていた心臓弁膜症もより重症化し、さらには、案じていた通り、心臓冠動脈瘤も多数見受けられた。

 

医師からは、さらなる詳細な検査を勧められた。しかし、検査そのものにも、わずかならがリスクが伴う、という。検査を受けるかどうか、判断を少し待ってもらうことにした。

 

より詳細な心臓の状態がわかったところで、その先にどんな治療方法があるのか訊ねたところ、明快に回答をいただいた。

 

・人工弁膜置換手術

・冠動脈バイパス手術

カテーテルによる冠動脈瘤除去

 

どの方法が選択できるかは、検査後の判断になるそうだ。

 

結果は、誰にもわからない。

 

本人も十分だというほどながく生きてきて、もうこの浮世で背負った重荷などは、もう下ろしたいであろうはずなのに、いまから胸に大きな傷を残してまで、そして身体にも心にも負担を強いってまで手術を受けさせるべきか? それとも、いつ起動するかわからない「心不全」「心筋梗塞」という爆弾をかかえたまま、あとどれだけ残りの時間があるかわからない余生を過ごさせるのか? 簡単に選択することなど、ぼくにはできそうにない。

 

このまま何もせず、ほとんど家の中だけでの暮らしを強いられる毎日を選ぶのか? 

それとも、いくつかのリスクを承知のうえで、手術を受けるのか? 

 

手術を受けたあと、どんなことが起こりうるのか? そしてそもそも、手術を受けること自体、可能なのかどうか? それを知るためにも、検査だけでも受けるべきなのではないか?──いまは、その考えにまとまりつつある。手術を受けるかどうかは、そこから決めればいい。

 

手術が、想像以上に母の心身に負担をかけるようなら、このまま養生しながら生きる道を選ぶ──少しでも回復して、近所を散歩したり、買物にでて食べたいものを自分で選んだり、着たい洋服を見繕ったり…そんなことが、またできるようになる可能性が大きいのなら、前に進む──たぶん、そういう考えるのが、この場合、自然なのだろう。少なくともいま現在は、寝たきりになってしまわないように…どうかそれだけでも果たさせてあげたい。そのためにできることを、ぼくがすればいい。そう思っている。

 

無理な延命をさせるつもりは毛頭ない。それは本人も望んではいないことだから。今回の場合、仮に「余命いくばくもありません」と告げられたのなら、即、現状維持を選んだはずだ。しかし、あとどれだけの時間が母に残されているのか? そして、母が望むような、寝たきりにならず、なるべく苦しまず、周りに迷惑をかけないような終が、どうすれば迎えられるのか?──手術を受けようと受けまいと、明日のことなど、誰も知らない。

 

今朝、もう既に作り慣れてきたこの丼ぶりの支度をしながら、感じたことがある。

 

──こんな時間が、いつまでも続いたらいいのに──

 

仕事もろくに捗らない、社会との接点も気薄になりつつあるこんなときだというのに、ぼくは、そんな夢見がちなことを思い浮かべていたんだ。やっぱり、どうかしている。

 

切っても切れない親子という関係──それは、夫婦や家族という関係とは、全く異なるものだということを、今朝、この歳になって初めて実感したような気がした。「仕方なくやっている」という感覚は、不思議と微塵もない。言葉にならない何かに突き動かされるように、目の前の状況を少しでもよくするために、できることなら解決するために、自分のことを後回しにしてでも、ただただ全力を尽くす──。

 

それを、ぼくが今知り得る言葉で表現するなら、「愛」というのかもしれない。

 

──決して逃げ出すことなく、どんなときも苦楽を共に──

 

ぼくもいつか、そんな自分の家族を築いてみたい。