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主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

決断を迫られるのはいつもぼく──次男・浩介

2015年10月15日──家の中で転落事故を起し、左側頭部を強打。脳震盪を起こした母は、1週間の入院予定となった。頬の感覚もなく、ぼくが誰かさえわからなくなるほどの状態から、1日経過してどう変化しているのか? 入院翌日の午後、指定された時間に病室へ向かった。そのとき、随分と昔の記憶が蘇ってきた。

37歳という、当時としてはだいぶ高齢でぼくを産んだ母は、とにかくぼくが成人して一人前になるまでは生きなければならない、と、色んな準備をしていた。なにせ、ぼくがお腹にいるころに父の余命宣告がされ、生後7ヶ月半で先さ立たれ母子家庭となってしまったのだから──備えあれば憂いなし──これはまさに母を体現するような言葉だった。

その一環として、ぼくが二十歳を過ぎたころ、還暦を迎えた母は、家系的な高血圧症による脳卒中を心配して、当時まだ一般的ではなかったMRIによる画像診断を受けるといいだした。太ももの付け根からカテーテルを脳まで通し、造影剤を注入した状態での撮影となり、一泊検査が必要になるという。今より随分若かったとはいえ、高齢者の仲間入りをした身での検査だったため、ぼくは少し心配になった。

検査には付き添いが必要ということになり、当時から兄は仕事で多忙ゆえ、今と変わらず、社会との接点の希薄な暮らしをしていた自由人のぼくが付き添うことになった。某大学病院の看板診療科目ゆえ、予約はいつも満杯。検査が始まるまでの問診にも3時間ほど待たされた記憶がある。

ようやく検査の段になり、ストレッチャーに乗せられ手を振りながら運ばれていった母──1時間ほど費やしたろうか? 当日一泊入院する病室で待っていたぼくは、母が戻ってきたとき、その様子をみて驚いた。あまりの変わり様だったからだ。どんな負荷がかかったのか? と疑問がわくほどに疲れ果てた様子でストレッチャーに横たわっていた。その様は、まるで間もなく臨終を迎える老人かのようにぼくには映った。

目をつむり横たわる母の横顔を見つめながら、売店で買ったストローパックの飲み物を与えた記憶が、今、蘇ってきた。

しばらくして、撮影された画像診断の結果を知らされた──次男のぼくに──その話しの内容だけは今でもよく憶えている。

担当医から告げられたのは、脳大動脈瘤を起こしている可能性がある、という望まない結果だった。しかし補足として、血管が入り組んでいる場所にその兆候が見受けられるが、実際にどの程度の状態かは判別できできないため、今すぐ処置すべきかどうか判断できない。経過を見ましょう。と…。

本人に伝えるかどうか判断をその場で迫られ、とっさに「知らせない」選択をした。突然のことで気が動転していたため正確な記憶ではないかもしれないが、いずれにせよ、そのことを母に伝えたのは、それから20年以上の時が過ぎた2015年春。母が脳梗塞を起こして入退院を繰り返したのち、ようやく自宅に戻ってからのことだった──重大な選択は、必ず俺はひとりに迫られる──。

あの日、病院を後にした未だ成人間もないぼくは、歩きながら溢れるものを抑えられなくなっていた──親を亡くすにはまだ早すぎる。幼いころなら、記憶にも残らなかったかもしれない。産まれて間もなく亡くなった父のことは、何も憶えていないから…。

──遠い日の記憶は、実に鮮明だった。そしてその日も、やはりぼくはひとりで母の容態を確認しに病院へ向かっていた。

2015年10月5日未明 記

川瀬浩介