主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【いのちの選択】

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緑深まる季節を迎えた。

そして今年の春にもまた、ある選択をすることになった。

 

母の心臓の状態を詳細に調べるための検査入院をお願いすることにした。検査を行うだけでもリスクが伴うため、ひと月ほど費やしてあらゆる可能性を検討したうえで慎重に結論を出した。母の心臓は、心臓弁膜症、冠動脈瘤を併発していると思われる──暖かい季節を迎えて血管も広がり、体内の血流が良くなるにつれ、身体全体に血液を送るだけのポンプの力が心臓に足りなくなっている──わずかに歩いただけで息が上がってしまうこと、血圧の乱高下が激しくなってきていることの理由は、医師の説明によるとこうなる。

 

昭和8年生まれ。83歳。戦争も高度経済成長も大阪万博も東京オリッピンクもバブル経済とその崩壊も数え切れないほどの震災も原発事故も目の当たりにした。自身では、若くして未亡人となりながらも二人の子供を育てた。

 

「人生、やりのこしなし。あとはお迎えを待つだけ」

 

母の口癖だ。会う人会う人に伝えている。

 

人間の死亡率は100%。今までのところ、誰もが必ず、いつかは終を迎えている。どんな偉人も富豪も貴族も王様も多くの民も聖人も罪人も、区別なく絶対確実に、そのときがくる──無理に延命させる気は、ぼくにもない。願っているのは、ただひとつ──

 

少しでも苦しませずにあの世へ送りたい

 

──それだけだ。

 

しかしそう願ったところで頭を悩ませてしまうのは、その方法について、誰にもわからないということ。長らく服用している薬を止めたところでどうなるのか? いくつかの治療のための選択肢を全て放棄したところで、望んだ通り、穏やかにあの世へ行けるのか? さらなる別の症状に見舞わてしまったり、寝たきりになったりはしないのか?

 

ある選択が、次の出来事を必ず約束してくれるわけじゃない。

 

いのちの選択に関わらず、すべてがそうだ。今日と同じ明日が来るとは限らない。過去の名声が未来の安泰を保証してくれるわけじゃない(その逆もまた然りである)。誰もが皆、過去にも未来にも生きることはできず、今日、今、この瞬間にしか存在できない。そして、その瞬間瞬間にいくつもの選択を迫られる──後戻りできない選択はしない──いつかの気づきが、ぼくにそう決意させてくれはしたが、母との日々で迫り続ける選択の数々は、いつもどこか、後味が悪い感触を残してしまう。

 

そんな想いで気持ちがいっぱいになると、ときおり極端な想像をしてしまうことがある──確実にあの世に母を送る方法がひとつ、あるかもしれない──ぼくがためらいさえしなければ…だが、弱虫なぼくに、無論そんな勇気はあるはずもない。そもそも、あの世が本当に極楽なのか? それさえわからないのに、今を終えたらきっと楽になれるだなんて、それほど不確か発想もない。

 

「あの世に行ってから現世の方がましだったな、と思っても戻ってこられない」

 

長生きするのは辛い──そう母がたまに口にするとき、ぼくはいつもこう応じている。その言葉もまた、不確か極まりないものだ。あの世があるのかさえ、誰も知らないというのに…。

 

後悔しないための唯一の方法は、望む結果を導くこと。だがしかし、今回の場合は、ぼくと母の努力だけでは、結果をコントロールすることはできない。

 

望む結果とは何か?

 

おそらく、全てを終えたときにしか、それが何だったのか、わかることはないような気がしている。

 

どんなときも、どんなことでも、約束できることはただ一つ──今できることを、全力でやりきる。

 

それだけ果たすことができれば、未だ見ぬ明日の景色にさえ、いつか納得できる日がきっと来る。どれだけ時間がかかるかは、わからないけれど、今はそう信じて、一歩踏み出すほか、ない。