主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【この恐れは何かに似ている】

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2020年5月1日

令和元日から1年が経った。

こんな日常がやってくると予想さえできていなかったのは、日々の暮らしに追われていたせい──その事実を反省しながらも、計り知れない恐れに押しつぶされそうな今、改めて自らに言い聞かせている。

「この危機に見舞われずとも、明日のことがわからないことは、宇宙誕生以来変わることのない真理のようなもの」


──だから何も恐れることはないのだ──


不安が駆け巡る脳を書き換えようと、こうして言葉を重ねている。しかし、未だ「この恐れ」を抑え込むには不十分らしい。

こうした「よくわからない想い」に決着をつけるには、ラベリングが有効であることを学んできた。


──喜怒哀楽──


人は言語を発明し、「こころ」という不可解な事象が生み出すあらゆる感情に意味づけ(ラベリング)をする。


「これが『美味しい』という気持ち」


かつての「日常」と変わることなく、西陽の当たる台所で誰のためでもなく炊き上げた極上の赤飯をひとり頬張りながら想う──。

「もしも『美味しい』という気持ちにラベリングができていなければ、きっと混乱に陥るだろう」

不可解な感情に翻弄されることなく過ごせるのは、このラベリングが果たせてのこと──そう解釈しているが故に、今ぼくは、自らを治める言葉を探している。


──「この恐れ」とは、何なのか?──


仕事を失う恐れはもちろん、生命を失う恐れでさえ、何も今に始まったことではない。どんなときも、その恐れと隣り合わせで生きているのだ。

言葉にするには、まだ時間がかかりそうだ。けれど、ずっと感じていることがある。


「この恐れは何かに似ている」


それは、かつて自分のそばに絶えずあった「ある恐れ」だ。

それが何なのか? おおよそその見当はついている。しかしもう少しじっくりと、己のこころの内を覗いてみることにしたい。「この恐れ」を消し去ると同時に、その「ある恐れ」とやらをもこの機会に手放すために。

それが果たせたら、この危機を超えた先に、望んでいた「今日」を手にできるに違いない。


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【世界一平和で安心安全な場所 ──Jくんとラザニア】

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2020年4月10日

あれは確か、小学三年生か四年生のころだった。

ある放課後、仲良くしていたJくんのお母様に声をかけられた。


「ラザニア食べに行きましょうよ」


ラザニア・・・聴いたことのない響きだった。

当時は昭和50年代半ば。今のように「イタリアン」と呼ばれる食事が街なかで気軽に食べられる時代ではなかった。「パスタ」より「スパゲティ」の呼び名が一般的だったし、家庭では、定番のナポリタンに缶詰やレトルトのボンゴレビアンコが加わって「新しさ」を感じていた時代──Jくんをコマーシャルタレントにした、今で言うところの「ステージママ」だったくらいだから、お母様は流行に敏感だったのだろう。

連れて行かれたのは、渋谷パルコだった。その中にあったレストランで食べたのが、ぼくの初めてのラザニア──しかし味はまったく覚えていない。きっとそのとき、お母様はリゾットもたのまれたのだろう。そのビジュアルが強烈に記憶に残っていて、長い間、ラザニアと言えば「米」の入っているものだと勘違いしていた。

それからラザニアを食すことは、おそらく全くなかった。母はオーブン料理は一切やらなかったし、イタリアンレストランが勃興した成人期になったころには、音楽の道で四苦八苦していたからデートに出かける余裕もなかった。そして、流行りものとは積極的に距離をとる姿勢は当時から貫かれていたうえ、何より、家でいただく母の料理が美味しかったから、外食する理由が見当たらなかった。

にも関わらず、今、自家製ラザニアをよく作るようになった。きっかけはあるドラマだった。


「言いそうなセリフがよくでてくる」


そう教えてもらって観てみると、料理のポイントや生きるうえで大切にしていることなど、ぼくがいいそうなことが確かによくでてくる。主人公の男前度合いと主夫力もぼくを映したようだ…と、得意の冗談と妄想を働かせて存分に楽しみ、すっかりハマってしまった。物語の本質も去ることながら、ぼくにとっての一番の見所は、食卓を囲むことの大切さが日常風景としてよく描かれているところ。その点に強く深く共感する。それは、ぼくが母から自ずと学んだことと同じだからだ。


──食卓こそが世界一平和で安心安全な場所──


だからここでは、どんなときも笑いに包まれていたい。仕事の話はもちろん、愚痴や悪口なんてもっての他だ。ぼくの愛する映画《ゴッドファーザー》でもそれを表象するかのようなシーンがある。


「パパは食事の席では仕事の話はしなかったわよ」


おかげで、ぼくは仕事の現場での食事の席が苦手になった。ランチミーティングなんて誘われることもなくなったが、以降お声が掛かっても食事とミーティングは別にしていただく提案をするだろう。


──食事のときは、目に前の料理とその相手に集中する──


プライベートでは、それが敵う相手としか過ごさない。


いまはそれさえも叶えられないのだけれど…。


ラザニアをよく作るようになったのは、作りおきができると分かったからだ。大きな器で焼き上げて、8等分にカット。電子レンジに対応しているタッパーに個別に移して冷蔵庫で保存すれば1週間程度は持つ。手作りするには手間のかかるミートソースは今回、2回分を一度に作り、現在冷凍庫のなかで寝かせている。

自主隔離生活前半は、ラザニアを毎日食べることができる。母の介護がきっかけで料理をすることになったのだが、こんな形でも役に立つとだなんて…無論、本望ではないが、改めて、この幸運をありがたく思う。また母に会える日が来たら、感謝の気持ちを伝えたい。

その日がまたきっとくると信じて──。


#ラザニア
#8食分
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#自家製ホワイトソース
#2回分のミートソース=2キロ超
#総調理時間=3時間超
#きのう何食べた?
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【我が愛器からの忠告】

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2020年3月27日

3月21日──その日の夜は意気揚々としていた。厳戒態勢のなか行われたあるリハーサルは順調に進み、ようやく音楽の全体像が見え始めていたからだ。帰宅後、予定どおりアサリのパスタを作り満足な夕食をいただくことができたのも、気分が高鳴る要因のひとつだったと言えよう。


「いい流れだ。このまま仕事に取り掛かろう!」


食後、いつも通り作業を始めようとマシンを起動するも、外部ハードディスクの認識が不安定になっていた。これはリハーサル中からでていた症状ではあったが、たびたび起こるため、回避方法は既に把握済みだった。

手慣れた手順でメンテナンスを進めていると、突然のシャットダウン…嫌な予感がした。


──覚えのある症状だ──


再起動を試みるも、案の定だった。

ビデオボードの故障──この機種が抱える不具合として2016年秋にリコールを受けていたが、同じ問題が再燃──ここから再起動ループに陥ってしまった。


「このところ過酷に働かせていたから」


知られている修復作業を一通り試みてはみたが、もちろん回復せず。バックアップマシンの準備を進めつつ、修理の情報を集めることにした。

その間、ふと我に帰った。


「これは、ぼくに対する忠告に違いない」


母の介護に直接関わることがなくなった去年から、自分でも信じがたいほどの勢いで制作を勧進めてきた。無理がたたったのか気力体力の限界を迎えたのか、昨秋から重ための気管支炎を患うほどにまでなった。それでも身体は意外にも動いてくれて、この年始からは再び全力だった。


──ロックとオーケストラの融合した映画のような音楽──


多くのロックスターたちが実践してきたようなアイデアをひとりで実現するため、愛器と共に無意識に「暴走」していたに違いない。コンピュータのファンは絶えず唸りを上げていたが、それでも持ち堪えてくれたので、つい無理をさせてしまった。故障する直前も、並行していた作業が3つほどあったから、余計に負荷が重なったのだろう。

けれど不思議なことに、そのいずれの案件の進捗は、ちょうどキリの良いところだった。提出期限が迫っていた事案は、なんと故障前夜に完成。特にそれは、この14年分の想いが詰まっているもので、お世話になった方のためにもどうにかこのチャンスをものにしたいというそんな強い気持ちがあった。

身体は辛かったはずなのに、今も苦しさはあまり感じていない。母が授け育んでくれた強い身体のおかげであることに加え、病いも回復傾向にあるゆえだろうと冷静に現状を分析していたが、しかし、あのまま続けていたら…大事に至っていたもしれない。

愛器は現在、修理にでている。古い機種ゆえ治せない可能性もある旨、受付時に確認しあっているが、いまのところ業者からの連絡はない。順調であれば週明けにも帰ってくるはずだ。

故障以降、連日、バックアップマシンの環境構築を進めていた。マシンスペックがだいぶ劣るため、同じような作業をするには時間がかかりそうだが、これはあの《LIVE BONE》を制作したマシン。この危機的な時期に、再びこのマシンと向かい合うことになったのは、実に不思議な運命だ。

《LIVE BONE》は今年で初演から10周年を迎える。何の当てもなく始まった試みが作品へと成長し、幾度も上演の可能性をいただけていると思うと、深く深くありがたくおもう。と同時に、明日の事は誰にもわからないという普遍の真実について改めて想いを馳せることになる。


──今を越えて、望む明日へ──


マシンの復元は、慎重に慎重を重ねて行った。そして今朝、ようやく本格的作業に移れそうなレベルに達した。


──よし! 今から全力!──


とならないように、我が愛器はまさに身を身を挺してぼくに示してくれたことを忘れてはならない。

気づけばだいぶ疲れを感じている。当たり前だ。あんなに全身全霊を投じたのだから。身体は未だ万全ではない。今日は休む──これで決まりだ。


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【自然から学ぶ──再び】

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2020年3月26日

案の定、混乱時にかならず起きる「いつかみた様相」を呈してきている。


──他者の言動を批判する──


人が会うことを制限されているにも関わらずそれが目につくというのは、まさしく現代の象徴である。


今こそひとつになるときだというのに…。


もしもウィルスに意思があるのだとしたら、その命を脅かす猛威以上に、人類がいがみ合い自滅する道を歩ませようとしているに違いない──そんな妄想さえ浮かんでくる。

我が家の窓辺から見える隣家の桜は、今年も静かに、準備を整えつつある。


「満開のときを誰にも見届けてもらえなくても構わない」


そんな勇ましい姿勢を感じる。


──自分にできることをする──


ぼくのそばで佇む桜を見上げながら、そのことを問い続けていこう。


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【今日という名の贈りものを再び】

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2020年3月25日

「この危機を乗り越えて生き延びることができたら何をしようか?」

風水的には全く勧められないらしい西陽の射す台所でコーヒーを淹れるなどしてひと息つきながら、近ごろ、よくそんなことを思い浮かべる。

ここはぼくのお気に入りの場所。介護者として母と過ごした日々に昼夜問わず独り過ごし、多くのことを授かった「気づきの場」でもある。今日もこの場所で、「気づきのとき」が訪れた。


──何か特別なことはないだろうか?──


例えばスカイダイビングをやってみるとか、これまでしたことがなかったことは楽しいだろうか? と想像を巡らせるも、実際のところ、少しも興味が湧かない。

ではこんなのはどうか?


「五十路からのダンサーデビュー!」


こんな風に得意の妄想力を暴走させてみても、なんら高揚しない。いまこの瞬間、心から思い浮かんでくる「本当に欲している出来事」はみな、特別なことではなかった。



馴染みの酒場で気のおけない仲間たちとどうでもいい話に興じたい

大切な人と延々とダラダラ過ごしたい

まともな会話はできずとも母に会いたい

変わらぬ日常を丁寧に生きたい


──すべては今まで通りのことだった。


しかし今となっては、「奪われてしまった日常」のこととなった。


──「日常」こそが特別──


気づきのときが訪れた。

誰かの言葉にこんな一節がある。


「今日は贈りもの。だからプレゼント(present)というのさ」


昔、誰かが教えてくれたその言葉を思い出し、深く深く、いま生きている幸運を噛み締めた。


──この危機に見舞われている今も贈りものなのだろうか?──


人はいつだって、特別な日常がそばにあることを忘れてしまう。それをこんなに極端にかつゆっくりと迫りくる形で再び痛感させてくれたことを「教訓」という名の贈りものだと捉えよう。困難から学び前進できる能力こそが人類の叡智に他ならないのだから──。

生き延びることさえできれば、ひとはどうにかする。歴史が物語る通りに。


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【チーズケーキを頬張り「いまこのとき」を想う】

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2020年3月8日

この冬は、ずっと調子を崩したままだ。

昨晩秋の出張中、突如襲われた呼吸困難──主治医によれば、肺の音を聴く限り肺炎や喘息ではないという。逆流性食道炎による食道への胃酸上昇で刺激され気管支炎を起こした・・・と考えられるとのことで、胃薬など処方され経過をみている。

日常生活にはさほど支障はないうえ、状態はゆっくりと良くなっている。なのであまり心配はしていないが、そんな最中、世界は大きく揺るがされ始めた。

「健康体であれば過剰な心配はない」と言われているが、いまの自分がいるのは、その枠の外。


──外部との接触は最小限にすべし──


自らそう決めて、最近は、外出も食材の買いものにでるのみとなった。

日ごろからあまり出歩く方ではないが、こういう状況でやはりどこか負担を感じているのだろう。その憂さ晴らしか、遂にこんな嗜みに手を染めた。


──チーズケーキを作る──


母の介護がきっかけではあったが、料理をするようになって、日々、驚きと気づきを得ることが多くなった。


「まさかケーキを作る日が訪れるだなんて」


仕上がった品を頬張り、改善点を考えながらその驚きにひとり静かに興奮していると、いつもの思索癖が暴走し始める。


「次に何が起こるのか? わからない」


母の介護をしながら常々考えてきたことがまたも頭の中を駆け巡る。そしてその真実を突き詰めていく──。


「今日、こうして生きていることさえ、ぼく自身知り得なかったこと」


──今があることこそが奇跡──


母が不調に見舞われて以降、この7年半近くの間、料理をしている時間にあらゆる事象について考察を巡らせた。そこから授けられた数えきれない気づきは、まさしくぼくの宝となっている。

今まさに、明日があるかどうかさえ脅かされつつある。だからこそ、いまこのときを全力で生きたい。そのためにも、健康な心身を1日も早く取り戻す──今できることは、無理せず、そして楽しく日々を過ごすこと──ぼくにできるのはそれくらいしかない。

こんな調子でも食欲がさほど衰えなかったのは幸運だったと言えよう。強い身体を授け育んでくれた母に、改めて感謝の念が募る。

母が入居している特別養護老人ホームは、もちろん現在、面会制限中──予定日通りであれば、次に母に会う頃には、きっと桜は満開になっているだろう。母の笑顔がいつまでも朗らかであることを祈りながら、その時を待ちわびたい。


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【母の予言】

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2020年2月5日

「人生やり残しなし」

被介護者になってから、母は幾度となくこの言葉を口にしていた。月に一度行われる介護サービス担当者会議では、今月の目標を訊ねるケアマネージャーにいつもこう言い放っていた。


「やりたいことはぜんぶやった」


ぼくはそんな母の言葉を受けて、毎度、願いを込めてさらに付け加えた。


「その言葉を口にするのは、健やかにあの世にたどり着いてからにして下さい」


──まだやり残していることがある──


母にそう自覚してもらうために、である。

あれからもう、7年ほど時間が過ぎた。


午前9時──。


昼夜逆転仕事人のぼくにしては珍しく、その日の約束は朝一番からだった。

先日、母の87歳の誕生会を催していただいたのだが、その前から、熱を発したり体調が不安定な状態が頻繁に見受けられるようになったという。全体的な身体機能も衰えてきているので、いざというときのために、家族の意思確認を改めてする必要があるとのことで、医師の説明を受けに朝から施設へ向かった。

元々夜型の暮らしなうえに、いくつか並行している仕事もあり、結局前夜もほとんど眠ることはなかった。このところ、寝不足のときの気づけに、熱い目のシャワーを首元に当てることがなかば習慣になっている──こんなことをしているから不調がいまだ燻っているに違いない──その日の朝も同じ作法で心身を強制起動すると、不思議といつも以上に気力に溢れた状態となった。

道中、今一度、これまでの経緯を振り返っていた。一番大切なのは、母の意思を尊重すること。その旨は、入所時に伝えている。


──無理な延命はしない──


「見取介護」をしていただけることが、この特別養護老人ホームを選んだ理由のひとつである。入所前の面談で確認したのは、真っ先にそのことだった。

それは、実際に起きた例として文献で学んでいた「我が家が望まない現実」があるからだった。例えば、まず予め考えておかなければならないのは「胃ろう」についてである。母の意思では「必要ない」とのことだったが、容態が急変して救急搬送され、入院となり、体力低下で胃ろうを余儀なくされるケースがあるのだという。命を守る使命のある医療機関では当然の対応だが、問題は、胃ろうを本人や家族が拒否した場合に起こるらしい。病院から退院後、元にいた施設へ戻る際、「胃ろう処置を施していない状態では受け入れられない」といったケースも起こりうるというのだ。

もしもそうなってしまった場合、ほかの受け入れ先を探すというのは現実的ではない。結果、胃ろうを選択せざるを得なくなり、本人の意思に反することになりかねない。

母に、何も思い残すことなく先立ってもらうためのお手伝いをする──それが介護者としてのぼくの務めだった。


──二人のための選択──


介護者として日々を過ごしながら、母にもずっとそう伝えてきた。これからの選択はすべて、二人のためのもの──そうは言っても、やはりどこかで、互いに犠牲にしなくてはならないことや辛抱が必要だった。

ならばせめて、最期は母の意思もぼくの願いも叶えたい。どれだけ準備しても必ず約束されることはない「健やかなる終」を果たし得たい──いつからか、ずっとそう思い続けてきた。

意思確認の当日、手短に状況の説明があった。初めてお目にかかる医師だったが、きちんと名乗って挨拶をして下さったのが、何よりも安心感を与えてくれた。


「見取介護をご希望とのことですが、気持ちの変化はありますか?」


そう訊ねられ、不意に口を突いた言葉に自分でも驚いた。


「そのためにここにきました」


気持ちの揺らぎは一切なかった。溢れくる想いも湧いてはこず──ここまで心情の変化は、それだけ永い時間を費やしてきた証だった。

承諾書にサインを記し、母の教えに則って、今回も実印を押して役目を終えた(本件の承諾書に実印は不要)。

その間、母は、住み慣れた施設の居間で、朝食を摂っていた。嚥下機能も低下した今では、100%ペースト状にされた食事になっているが、その日も全量食べ切っていた。もともと色白な肌は日焼けしない環境で暮らしていることもありさらに白さを増して、艶々としている。そして変わらぬ笑顔が、今もある。

和やかな空気が、今日もこの施設を包んでいる。振り返れば、まさにここへ導かれるかのようにやってきたのだ。母の変わらぬ笑顔は、この場の和やかさを映しているのかもしれない。

帰り道、ひとり家路を急ぐなか、久しぶりに気づきを得た。


「人生やり残しなし」


あの母の言葉は、予言だったのだ。このまま突発的なことが起きぬまま老衰というかたちで終を迎えられたら・・・母の予言はまさに現実となる。そして我が母なら、それを成し遂げるに違いない。


──祈ること──


ぼくにできる残された役目は、もうそのことだけになった。


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