主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【さよならテレビ】

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2018年9月1日

こんな日が来るだなんて…。

旧フジテレビがあった新宿・曙橋界隈で育ったぼくは、思春期のころ、隆盛する同局の勢いを目撃しながら、将来はテレビマンになりたいと思っていたことさえあったというのに。


──無常──


万事は絶えず移ろい変化していく。転換のめに大工事を施す必要のない人のこころなど、その最たるものだろう。山を動かすほど不動な想いも確かにあるが、一度覚悟を決めてしまえば、塵が風に吹き飛ばされるほど容易く彼方へ解き放たれる。


──たかがテレビ、されどテレビ──


しかし、ながらく契約していたケーブルテレビとそれに付随する衛星放送、そして、地上デジタル放送すべてを手放すまでに、さまざまな複雑な想いが交錯したのは事実だ。


──母の帰宅を信じて──


母が長期入院から特別養護老人ホームに移って、気づけばもう1年と8ヶ月が経った。その間、母が一時帰宅を果たしたのは、わずか数日。それでも帰宅するたび、母はそれまでそうしていたように、一切滞りのない所作でリモコンを手に取り、テレビを自分で点けて楽しんだ。

いつ帰ってきてもいいように、家の中の環境は、整えたままにしていた。



──母が特養に移るまでは──



特養入居と同時に、介護保険の区分は居宅介護の枠を外れる。保険適用内でお借りしていたベッドや手すりなど介護用品を返却したとき、いよいよそのときがきたことを告げられた気がした。


──もう、母がこの家で暮らすことはない──


それからぼくは、これまでよりもさらに極端に、家の中の整理を始めた。たくさんの〈モノ〉を手に入れて、それを次々に手放していく母をみて、ぼくだけ〈モノに溢れた暮らし〉を続けるのはなんだか不公平に思えたからだ。

東日本大震災が起こったとき、ちょうど40歳を迎えていたぼくは、ふと我に帰ったような感覚になった。


──生活に欠かせない〈モノ〉が増えすぎている──


子供のころを振り返った。テレビはもうあったが、家に1台だった。小学校低学年のころ、ビデオデッキが登場して、それまでラジカセでテレビの音声を録音して驚いていたというのに、今度は映像が記録できると聞いて驚嘆したことを記憶している。エアコンはまだ珍しい存在で、家にはあったが今のように高性能ではなく、「強・中・弱・送風」という設定をツマミで切り替えるだけのものだった。

小学生の終わりごろになると、あの〈SONYウォークマン〉が出現した。ショーウィンドウに飾られるトランペットに託した夢を重ねて見つめていたレジェンドのように、何者でもない巷の少年は塾帰りの夜道で電気量販店に並ぶウォークマンを物欲しげに眺めては、自室の貯金箱をひっくり返してお年玉の残高を数えていた。いつからかその役割はAPPLE iPodへと置き換えられたが、以来暮らしに欠くことのできない存在として君臨している。

内風呂にシャワーがついたのは忘れもしない14歳のときだ。夏場はちょっと汗をかくたびにシャワーを浴びる習慣がついて、こんなに無尽蔵に水を使って大丈夫か?と思ったけれど、その快適さに疑問は一瞬にして吹き飛ばされた。

そのころテレビを1人1台持つようになり、ビデオゲームが流行してその進化がピークに達しようとしたころ、パソコンがより身近な存在になっていた。電話を携帯する時代の到来は、もうすぐそこまでやってきていた。


──いつでもどこへでもいけるように──


2016年秋、母が長期入院を続けるなか、急にそう思い立って、3週間の欧州行脚に出かけた。ギターとコンピュータと限られた品品を携えての短い旅だったが、ぼくにとってそれは、わずか70キロの荷物と身体だけあればどこでも暮らすことができることを証明するためのテストケースでもあった。

帰国したのち、母は退院して3ヶ月間を自宅で過ごしたが、年が明けて自分の84回目の誕生日を迎える直前に再び体調を崩した。まるでぼくに時間を与えようとしたかのように病院に戻り、それからこの家で、ぼくの〈本当の独り暮らし〉が始まった。最初はその状態に戸惑うことも多かったが、何事も慣れが解決してくれる。今ではこの暮らしが快適すぎて抜け出せないのではないかと案ずるも、それもまた、いつかのころにはまた別の慣れがすべてを調和させてくれるに違いない。


「誰かがこの家に暮らし始めてテレビが必要だと求めたらまた工事をお願いします」


訊ねられてもいないのに、そんなことをぼくは得意の独り言のように担当者に話していた。

テレビを手放したこの空いた場所に、違うなにかがそっと入りこむ──そんな明日が来たら、それはきっとテレビをぼんやり眺めているよりも愉快な毎日になるだろう。

今日のその独り言は、そのときを今も夢みる希望の言葉だったのかもしれない。


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【自分で自分のために救急車を呼ぶ朝】

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2018年9月1日

この疲れは、侮れなかったようだ。

昨日の夕方に感じた違和感が、その後も明け方まで断続的に続いた。


──左胸が苦しい──


思えば二ヶ月前から喉が痛い。一ト月前からは左肩も痛む。


──これはまさか──


救急車をお願いするのは、母にために何度も実行したので慣れたものだ。しかし、この症状で呼ぶべきものか? 歩けるし自分で病院に向かうこともできる。


──救急相談#7119──


しっかりその番号を携帯電話に登録していた。迷わず発信する──。

電話対応して下さった看護師の方よりはっきりと、「お一人で病院に向かわずに救急を呼んでください」と告げられ、そのまま119番へ繋げてもらった。

救急車が到着する前に、必要なものを手早く揃えた。これも、母の対応をしていた頃の経験が役に立った。

わずか1〜2分に間にすっかり支度を整えて、いつでも外出できる状態でぼくは玄関に腰掛け救急隊の到着を待った。じきに電話が鳴り、近くまで来ている旨の連絡が届くはすだ。そのあとは、表通りまででて救急車を呼び止める──何度となく母のためにこなした役目を、今朝は自分のために実行した。

戸締りをしてセキュリティロックを施し、よろめきつつも自力で歩いて救急車に近づくと、既にストレッチャーを準備中だった救急隊は拍子抜けした表情でぼくに問いかけてきた。


「おひとり? ご家族は?」


その問いかけは、至極、当然であった。

乗車するよう促されたのだが、つい、これまでの習慣で付添いのものが乗る座席に座ってしまった。

病人が乗るのは、無論ストレッチャーのうえだ。すぐさま移動し横たわると、手際よく血圧、心電図、サチュレーションなどを測定された──つい1時間ほど前に薬を服用したにも関わらず、血圧がだいぶ高い──それでも不思議と慌てることもなく、相変わらずぼくは淡々としていた。この質だけは、子供の頃から変わりない。そればかりは、自分でも謎だ。

搬送先は、母がお世話になっていた病院に決定した。ほどなくしてERに到着して採血、点滴、サチュレーションモニターが施された。そこまで終えたところで、今夜の当直医を呼ぶよう現場に指示が飛んだ。

その名前を聴いて、ぼくは天井を仰ぎながら苦笑した。

それは、母の主治医の名前だった。


「母が特別養護老人ホームに入所したご報告を先生にそろそろしないとなぁ、と思っていたんですよ」


自分が担ぎ込まれたERでも、カスれたフラフラの声で、ぼくは相変わらずの無駄口を叩いていた。それは無意識に、少しでもいつもの自分のペースでありたいと思っての業だったのかもしれない。

救急隊から伝えられた症状だけでなく、主治医は母とぼくのこれまでのことを察して下さっていた。即座に必要な検査を手配いただき、ぼくは全幅の信頼を寄せて、身を任せた。

検査結果は、完全なる白──案じた要素はひとつもなかった。撮影された画像はすべてクリアで、現在のところ一切の不安的兆候はないとのこと。この症状は、極度の疲れによるものと診断された。

点滴も途中で外され、帰宅許可が出た。病院の会計業務が始まる前は、預かり金を託して後日精算というのが常だが、時間はまもなく始業のころ。じきに会計が始まる旨伝えられて、そのまま待合に腰掛けてぼんやりしていた。

ここは、母と何度となく通った場所。ここで覚えた感情は希望的なものはほとんどなく、苦痛と苛立ちと焦りばかりだった。それでも、今こうしてたったひとり、弱った自分がただ遠くを見つめて時間を持て余しているよりよかった。


──とっても疲れているんだ──


救急隊にも介護をながらくこなしてきた旨を伝えると、横たわるぼくに同情するかのような眼差しと言葉にならない声が寄せられた。早朝から救急対応を迫られたスタッフのみなさんも、ぼくの気持ちを少しでも和らげようと、暖かく穏やかな雰囲気でその場を満たしてくれる。


──ぼくは結局、誰かに甘えたかっただけのかもしれない──


帰ってきた今も、胸のつかえは消える気配はない。この動悸が明らかに「恋」によるものではないことが何より残念だが、身体機能的な不安が一切ないことを今知れたことは何よりだった。

ようやく眠気が差してきた。午後の約束まで少し眠ろう。


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【リブート──コーヒーと珊瑚とケーキの記憶】

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2018年8月30日

 

夕刻、帰宅して丸3日が経とうとしていた。

 

ようやく「コーヒーでも淹れてみようか」という気持ちが湧いてきたので、自分のために買った唯一の土産=35 COFFEEを手に取った。

 

 

──摂取したカフェインが脳を叩くまで20分──

 

動ける気配が全くないままのとき、何度となくそう思い出して、再起動のためにコーヒーの力を借りたかったのだけれど、普段の無駄なこだわりがこんなときには仇になる。

 

我が家には、挽いた状態のコーヒー豆がなかった。付け加えると、ミルも手動のタイプを愛用していた。

 

 

──豆を挽く余裕さえない──

 

 

コーヒーを淹れようだなんて、だいぶ疲れも癒えてきたのだろう。

 

那覇空港で目にしたこのコーヒーは、7月の会場下見の帰り道、那覇市内を走るモノレールの駅のスタンドで味わったものだったが、名前の由来が「珊瑚」であること──ローストするのに風化した珊瑚を高温に熱して用いていること──売り上げの3.5%を珊瑚の再生活動に活用していることを、今回初めて知った。

 

珊瑚と言えば、37年前に家族で沖縄の慶良間諸島に行ったときの様子が目に焼き付いている。現代でいうところのハイビジョン映像で見られるような、白い砂浜にスーパークリアな浅瀬に泳ぐ絵に描いたような熱帯魚たちの戯れに驚いた記憶と同じくらいに、少し沖合にでたところに群生する珊瑚礁は、だいぶ痛んでいた。

 

そんな話を、今回、タクシーの運転手さんにしたところ、「離島にもたくさん人がくるようになって、だいぶ様子が変わっている」と現状を伝えて下さった。

 

ぼくが10歳当時と言えば、ちょうど1980年──沖縄が返還されて8年目だ。それから40年近くの時間が過ぎて今もまだ自然が残っているのは奇跡と言っても過言ではないだろう。同時に、人々の努力の賜物であるとも言えるはずだ。海にも、里山と同じように、ある程度人の手が入ってこそ整えられる環境があるのだろうか?

 

 

──50年近く生きてきてそんなことさえ知らずにいたことが恥ずかしい──

 

 

空港で販売されていたパッケージには、よほど回転がいいのか、煎りたてに限りなく近いフレッシュな豆が封入されていた。これは、コーヒーを淹れるものだけの醍醐味だが、湯を注ぐと立派に膨らんでいく様子をみるだけで、不思議と気持ちがほころんでいく。

 

浅煎りを思わせる色合いをした豆は、想像よりも酸味は少なく、とても飲みやすい味わいだった。ホットでひと口味見したあとは、氷でたっぷりと満たしたグラスに一気に注ぎ込み、アイスコーヒーにした。昔、わずか2年間だけ喫茶店をやっていた母が教えてくれた「冷コー」の淹れ方だった。

 

淹れたての風味を味わったとき、この夏、モノレール首里駅でいただいたこのコーヒーの記憶が蘇った。あのときあいにく小銭がなく、大きな札を出してしまったぼくに、高校生アルバイトと思しき若い店員さんが「細かいのありませんか?」と訊ねてきた。その様に、とても懐かしい昔の記憶が呼び覚まされたような気がした。今ではどこもかしこもいかなるときも準備が整っていて、釣り銭に困ることなどほとんどない。電子マネーも普及している昨今、レジで言葉を交わす必要もますますなくなってきている。

 

 

──当たり前のことが今も当たり前のようにある日常──

 

 

それがなんだか微笑ましかった。

 

ついさっきまで、豆を挽くことさえ拒んでいたのに、早速カフェインが脳をヒットしたのか、途端に元気が湧いてきた。続けて同じ手順でもう一杯淹れるころには、すっかり覚醒したように思えた。そこでこのときとばかりに、馴染みの酒場の店主たちに土産を持っていくことにした。このまま土産を手元に置いておくと、すべて一人で食べ尽くしてしまいそうだったからだ(事実、土産を理由に久しぶりに会おうとしていた方々の分は「疲れを癒すため」という大義のもと、みな食べてしまった)。

 

相変わらず、アルコールは絶ったままだ。酒場でもコーヒー、お茶、牛乳などを飲んでいる。それでも歓迎してくれる場があることを、とてもありがたく思う。

 

そして今夜は、偶然に友人の誕生日を祝う場に遭遇した。

 

 

──誰かのためにこんなにまでしてあげるのか?──

 

 

その測ることさえできない巨大な誰かを祝う気持ちに驚きながらも、かつて自分にも、それくらい大きくて深い想いで誕生日を祝ってもらったことがあったのを思い出していた。それも2回もだ。

 

あれは、大厄から抜けたときと、自分で主催した誕生会でのことだった。それぞれ大きな大きなケーキが目に前に現れたのだ。もちろんそれは、見事なサプライズだった。

 

今日、偶然に観た映画のワンシーンに、誕生会のシーンがあった。そこにも巨大なケーキが登場していた。

 

 

「誕生日は残されたもののためにある」

 

 

いつかこの台詞の意味を今日よりも強く思い返す日が訪れるような気がした。

 

 

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【シャットダウン】

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2018年8月30日

起き上がれない。

いや、「起き上がりたくない」と表現するのが正確かもしれない。


──完全なる活動停止──


出張による極度の疲労と母の受診付添いによる気づかれのダブルパンチを喰らった。今できる限りの栄養を摂取してひたすらに眠ったお陰で疲れのピークは過ぎたようだが、未だに動く気力が湧かない。もちろん外出なんて考えられない。こうして指先をちまちまとタップするくらいが限界だ。脳も想いを綴ること意外には上手く働かない。

緩やかな陽が射し込む寝室の天井を仰ぎ見る──いつか今の母のように身体が不自由になったとき、どこかの天井を仰ぎ見て何を想うのか?

遣り残したことを悔やむのか?
それとも、この母との6年に渡る日々を想い出すのか?
または、満たされた過ぎし日を誇らしく振り返るのか?

そんな優雅な時間は、そのときが訪れたらたっぷり味わったらいい。

それまで、今を全力で生きよう。そのためにも、この疲れを一刻も早く取り除くことに専心したい。


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【母の乱心──叩く・蹴る・噛む・抓る】

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2018年8月29日

沖縄出張から戻って中1日で横浜に向かった。母を歯科受診に連れて行くためだ。疲れはまったく収まる気配はなかったが、1日でもはやく、母の義歯調整を進めたかった。

下歯の義歯が破損してからもうだいぶ時間が経ってしまった。それだけが原因ではないにせよ、最近の母の認知力の低下は著しかった。記憶が遠のきぼんやりするだけならまだ良かったのだが、認知症患者に多く見受けられると言われる暴力的傾向が少しずつ強まってきている印象がある。

今日は、道中の車の中で、わがまま放題になり、一時取集がつかない状況に陥りそうになった。構ってほしい欲求の表れなのかもしれないが、高速運転中だったこともあり、久しぶりに怒号を飛ばし威嚇するようにして収束させた。不本意だったが、あの瞬間はそうするしか方法が浮かばなかった。

ぼくたちだけが単独事故を起こすなら仕方がない。でも、事故は必ず周囲を巻き込む結果になる。それだけはどうしても避けなくてはならない。

そんな理屈を今に母に説明しても、事態は収まるはずもなかった。母は何食わぬ顔で同じことを繰り返した。


──黙れ!黙れ!──


怒りの感情が抑えきれなくなり、思わず2度、そう叫んだ──母は無視するように、かかっていた音楽に合わせて歌い出した。音楽を停止させようと電話の画面を操作するも、こんなときに限ってタッチパネルがうまく働かない。仕方なくケーブルを引き抜き、電話もホルダーからむしり取るようにして取り外し、母から見えないようにズボンのポケットにしまった。

多くの居宅介護の現場で、または介護施設内で、こうした出来事が日常的に起きている──運転を続けながら、そんな光景を想像した。誰かの献身なくしては成り立たない現実が、今、溢れかえっている。


──誰の目にも触れない場所で──


歯科医院に到着したときには、既に次週の受診のことを考えていた。


──施設の職員の方に同伴願おう──


周囲の安全を考えると、ぼくひとりで対応することは、もはや不可能だと判断するのが妥当だ。今日のエピソードは、まさにそのことを伝えるために起こったと言っても過言ではない。

母のわがままは、受診中も収まらなかった。その態度は、癇癪を起こした子供と何も変わらなかった──これは母のせいではない。


──すべて病のせい──


どんな認知症の本にも記されているそんな理屈では、その様子をその場で見つめていた誰もを納得させることはできそうになかった。

主治医もお手上げになりかけていたが、母をどうにかなだめて、仮で仕上がった義歯の調整を実行した。途中、上歯も全面的に作り直す必要があるかもしれないと告げられ、9月も毎週通うことになると覚悟を決めたときのあの気が遠くなる感覚は、この6年の間に何度か味わった、どこか憶えのあるものだった。

診察を進めると、上歯は維持できそうとのことで安堵したが、次週またここにくることには変わりない。

一般道も高速道も、いつでも路肩に寄せられるように常に一番左の車線を走行する──。
母が興奮しないように道中は音楽をかけない──。
水筒は目につかないところにしまう──。
気を使って構うとわがままを助長するので、一切無言を貫く──。

帰り道に実際にシミュレーションしたところ、ここまで徹底すれば安心度が高まりそうな手応えがあった。

歯科医院を出るときも、構って欲しさゆえのわがままが続いたので、じっと目を見て、ゆっくりと諭すように話をした。


「たくさんのひとがあなたにためを想って動いてくれているんだよ。いくらじゃれあいの気持ちだとしてみ、そんなひとを打ったり蹴ったりするなんていけない。子供の時代と同じように、老いた今はひとの手を借りないと暮らしていけないんだ。だから、手を差し伸べてもらったら『ありがとう』ってお礼を伝えなさい。ぼくもこうして、今、目の前にいるあなたに教えられて育ったんだ」


今の母の記憶は、点でしかない。その点同士を結びつけることも保管することも到底できない。子供が成長していく過程で備えていく「相手を想う心」を育ませることもない。


──どんな理屈も、痛みを癒すことはできない──


だからせめて、必死な態度で示したい。

今日、母を迎えに施設に到着すると、異様な光景が目に止まった。いつもはアスファルト一色の駐車場が、すっかり泥で覆われている。事務所の棚などが外に出されていて、それは明らかに浸水したあとの様子だった。一階の設えには、報道でよく見たことのあるシミが、床上30センチほどのところに残っていた。伺えば、一昨日の大雨の影響によるものだという。バリアフリーの建物ゆえの弱点を襲われたかたちだ。

母の乱心も、まるでこの頃の荒れ狂う空模様のようだ。秋の到来と共に穏やかになってくれたらいいのだけれど、それはあくまで希望的観測にすぎない。


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【美はときに人を惑わす──6日6色の東シナ海】

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2018年8月28日

 

前日の10時に現地を出て、帰宅したのは18時──それからほとんど丸一日、眠っていた。

 

帰宅後、ぼんやりしながら記録動画を自宅のテレビモニターで確認している間に、案の定、眠りに落ちた。生理現象で起き上がったのか、腹が空いて目覚めたのかあまり憶えていないが、途中で寝床へ移動したらしい。

 

いや、今、思い出した。

 

21時ごろだったか、東京は激しい雷雨に襲われていた。映像記録のなかに収めた花火の音なのか、それとも雷の音なのかわからず、うつらうつらとしていた記憶がある。そしてある瞬間、閃光と共に、電気機器がすべて止まった。

 

しばらくすると、自動的に電源が再供給され始めた。ブレーカーは手動で入れ直す必要があるから、この現象はなんだろう?

 

 

──落雷による停電──

 

 

初めての経験だった。

 

そのとき家の各所を確認するために起き上がったのだった。洗い済みの洗濯物を取り出していつも通り室内干しをし、通電を確認するようにサーキュレーターを回した。

 

それから丸一日が経過した。予定では、今夜はジムに行くことになっている。無論、こんな動くこともままならない酷い疲れに見舞われているときは身体を休めることを優先させたい。

 

滞在中記録した、ホテルのある窓辺の図を並べてみた。一週間も同じ海を見つめていると、今日の海がどれだけ澄んでいるのかがわかるようになった気がする。

 

三層に色分けされて見えるのは、きっと海底までの深さの違いだ。海は、青い波長の光を吸収する。深ければ深いほど海水の体積が多くなるのだから、浅瀬は透明に近く、沖合は青をたくさん吸収して深く色づく…そういう理屈なのだろう。

 

それにしても、その中間にあたるエメラルド色した海の美しさは、いったい誰の仕業なのか?

 

 

この窓辺が気に入ったのは、通常はあまりお客様が来ることのない場所に位置していること。

 

 

──特別な場所は、そっとしている──

 

 

賑わいの場でひとり味わう静けさ──また再び、静寂のなかにあるその興奮を楽しみたい。

 

 

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【さよならの朝に】

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2018年8月26日

早朝に目覚めて、ベッドを見つめる──。

沖縄滞在最後の夜は、こんな調子だったらしい。


──ベッドに潜り込む気力さえなかった──


打上げを終えて客室に戻ったのは、25時過ぎ。休むまもなく着替えて、24時間使えるジムに向かった。滞在期間中、2度は使いたかったが、これも予想通り、そんな余裕はまったくなかった。

昼は本番へ向けた準備、夜は部屋で明方まで記録動画の編集…。少数精鋭のチームで向かった立派なリゾートホテルでの仕事に寛ぎの時間を期待するほど、ぼくの経験値は低くはない。


──目の前の仕事はその瞬間に終えたい──


最終日、6日目の2演目の記録動画をまとめたかった。しかし、そんなトップエリートのような振舞いは、ぼくにはできるはずもなかった。

目覚ましをかけずに横になった記憶がある。ところが、夢になかで見た通り、チェックアウト3時間前に自然と目が覚めた。

既に映像素材の取込みと編集のためのフォーマット変換は終演後に終えてあった。


──まだ間に合う──


連日、記録を仕上げてきたので、6日目ともなればもう手慣れたものだ。2時間と少しで作業を終えて、動画配信サービスにアクセスした。

アップロードが完了するまでの間に朝食をいただきに向かった。毎日食べても飽きることのない充実したメニューと酸味と苦味が絶妙に混じったブラックコーヒーを今朝もたっぷり堪能──。

窓辺に映る景色と夏休みの家族連れで賑わうビュッフェの様子を眺めながら、37年前、母に連れられてきた沖縄で体験した出来事の記憶を弄んだり、かつては特別なひとのための場であった「高級ホテル」の移り変わりについて考察を深めたりしながら、過ぎた時のながさについて想いをめぐらせていた。


──生きる──


ひとはいつの時代も、生きるために必死だった。その挑戦の歴史があるからこそ、ぼくたちは今を生きていられる。

37年前に沖縄に来たとき、母は、ちょうど今のぼくの年齢と同じ、47歳だった。価値観も社会情勢も今とは異なる今、当時の心情を訊いたところで何になる? それでも、興味があった。


──母が何を想ったのか?──


母は今でも笑顔を絶やさずにいてくれる。けれど、今の母に何を訊ねても、もう応えは帰ってこない。


──ぼくがこの旅で何を感じたのか?──


これからの日々のなかで、きっと気づきが訪れるのだろう。そのためにぼくは、この歳に沖縄にやってきたに違いない。


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