【ぼくのなかに棲む母】
2018年7月11日
午後、いつもの指定した時間帯に荷物を受け取った。ドライバーの方と二言三言交わして挨拶をする──そうした日常の何でもない瞬間に、気づくことがある。
──ぼくのなかに、母がいる──
ぼくのすべては、母からできている。母がしてきたことを見て憶えて、真似をして育ってきた。母の不在が続くこの一年半の間、生活の節々に、それを感じる機会が多くなっている。
大阪生まれの母は、当たり前のように、よく人と話をする。
「今日は暑いですねぇ」
「ほんまにぃたまりませんわ」
「配達、どうぞ気をつけて」
「ありがとうございますぅ」
夏場に酒屋さんからビールケースが配達されてきたとしたら、母はこんな風に声をかけていたに違いない。
しかし今、街中で言葉を交わしあう光景は、少なくともぼくの暮らす日常的では、もう見かけることもない。
荷物を受け取った直後の短い時間にそんなことを思い浮かべた。時計を見るとまだ午後3時前。母はこの時間、居室で横になっているはずだから、周りに気兼ねなく話ができる。施設への届けものもあるから、すぐに支度をして出かけることにした。
──要介護5──
母が入居している施設では、各種保険証を預けることになっている。先ごろ、認定調査が終わったと連絡が届いたので、そろそろ判定通知が送られてくるころと思っていた。結果は、予想通りの判定が記されていた。
この2年の間に、3段階上がって、最上位の介護度になった。利用負担額が変動することは特段気になることではないが、いよいよそういう段階になったという事実を数値化されて伝えられると、言葉にならない感情が一気に湧き上がってくる。無論それは、喜ばしくないものであることは言うまでもない。
母は、夏物として先に渡したミッキーマウスのTシャツを来てベッドに横たわっていた。入所時に持ち込んだ使い慣れたタオルケットに包まりながら、少し寒そうにして丸くなっている様子が、なんだかとても可愛らしかった。ぼくも子供のころ、こんな風にしてタオルケットに包まりながら、保育園で母の帰りを待ち侘びていたような記憶がぼんやりとある。
東京芸術劇場での仕事のこと──。
沖縄出張にいったこと──。
出発前にいろいろあったこと──。
土砂降りで沖縄に来た感じがしなかったこと──。
昔一緒に出かけた国際通りに行って、当時の面影を思い出したこと──。
市場の上階の食事処が賑わっているわりに美味しくなかったこと──。
雨の首里城がとても静かで心地よかったこと──。
今の那覇には、モノレールが走っていること──。
今日は、話したい話題がたくさんあったから、時間を持て余すことはなかった。37年前、沖縄の慶良間諸島まで家族で旅行したとき、アイスキャンデーの当たりくじを交換しにいったら、離島では輸送費がかかるから交換できないと告げられたことを伝えると、母はいつものように顔をクシャクシャにしてゲラゲラと笑った。
──母は、今もぼくの母のままだ──
老いてゆく母を見守っていると、嫌が応にも、残された時間のことを思い浮かべてしまう。それは、母のそれについてだけではない。ぼくのそれについてもまた同様である。
時間の進行に少しでも抗おうと、一ト月前からジムに通い始めた。24時間365日営業していて、しかも全国はもちろん、世界にも支店があるジムを選んだ。
──言い訳できない環境に身を投じた──
母も、40代になってからジム通いを始めた。倒れる3年前まで、およそ30年以上に渡って。週に2回、軽い筋トレやジャズダンス、それから水泳をやっていた。家に帰ってきて、缶ビールを1缶のみ干すのが習慣だった。
「運動したあとだけ飲みたくなんねや」
毎回そう口にしては、楽しそうに飲んでいた。
母のジム通いは、主人に先立たれ、幼いぼくをひとりで育てていくための決心だったのかもしれない。
あまり物事を語ったりはしない母だったが、健康を維持する姿勢については話してくれたことがある。
「あんたが二十歳になるまでは生きてなあかん」
それを遥かに超えて、さらに四半世紀以上の時間をぼくと過ごせているのだから、母の努力には脱帽である。
ぼくがトレーニングを始めたのも、似たような理由なのかもしれない。
──あと50年持つ身体を作る──
未だ果たすべき約束は結んでいないけれど、いつかの来たるべき時に備えたい──。
どこかでそんなことを感じていたような気がする。
母が示してくれた在り方を模範にして、そしていつか、ぼくも誰かの模範になれるように。
数えきれないたくさんのことを授けてくれた母へ、胸を張って礼を表せるそのときまで、努力を重ねていきたい。
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【母の献身に応える術】
2018年6月29日
28時──。作り置きの白菜の浅漬けサラダを仕上げて後片付けを終えたところでこの時間になった。
リハーサルからの帰り道に、疲れた身体に鞭打って買物に寄った。今夜からの食事をつくりおきたかったのだけれど、寝不足には勝てず、帰宅後、プロテインだけ摂取したところでソファに沈んでしまったらしい。
──何時間眠っていたのだろう?──
26時ごろ目が覚めて、洗濯を始めた合間に、白菜、大根、にんじん、ネギ、そして旬を迎えて値ごろになったみょうがを刻み始めてしまった。
塩もみした白菜を深い野田琺瑯に敷いて、上から次々と材料を投入。米酢、ぽん酢、みりん、酒、てんさい糖に、オリーブオイル、ごま油、さらにはアーモンドオイルまで混ぜ合わせてみた。いつも思い付きに適当な味付けながら、琺瑯のなかで一晩過ごした食材たちは、実に見事な甘酸っぱい味わいに仕上がってくれる。
今日は最後に、先日、あるホームパーティでいただいてから真似してみたデーツを添えた。もちろん、冷蔵庫にしまう前には、野菜の各階層に深々と沈めている。
ひとりでいただくにはなかなかの量だが、2週間は保存できる。無論、味は変化していくが、それもまたよい。
かつてはこんな真夜中に、4〜5時間かけて5〜6品を作り置いていたことを振り返ると、その後、暴走したのも当然の結末と言える。
──そうすることしかできなかった──
高度経済成長期に結婚して、兄とぼくを授かり、そして育て、6年前に倒れるまでの55年という永きに渡り家族を守ってくれた母の献身に応える術は、他には思い浮かばなかった。
離れて暮らさざるを得なくなってから、1年と半年が過ぎた。この家に、母が不在であることが当たり前のことになってしまった。
こうしてひとりで過ごすぼくは、いったい何のためにこの家を守るのか?
理由はいくらでもあったはずなのに、こうして黙々と台所で手を動かしていると、つい余計な思考が働き始める。
今では限られてしまった母との時間を大切にしよう。母は今も、ぼくに何かを伝えようとしてくれている。
──今の母から気づきを見いだせるかどうか?──
そっと、母の傍らで、無言の言葉に耳を傾けたい。
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【自分を映さなくなった鏡】
2018年6月29日
昨夜も眠れずに朝を迎えた。
眠れなかったのは、自分の甘さも原因のひとつであることは自覚している。その甘さを、あのとき誓った瞬間に断ち切れていれば、すべて他人事で済んだ出来事だった。
しかし、昨夜は、不覚にも、あまりに不愉快さ極まる状態に陥ってしまった。そして…さらに己の甘さを露呈することになる。
──100日ぶりのパスタ──
摂生し始めてから初めて自宅で仕上げたその欲望の塊は、この憤りを少しばかり和らげるには効果的だったようだ。
振り返れば、今年の元旦から、己の甘さを断ち切ろうと必死だった。それがなかなか果たせず、遂に今になってしまったというわけである。
──姿を映さない鏡など、ない──
ただ、その鏡の前に、ぼくが立つことがないというだけ。
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【ただそこにいること】
2018年6月26日
真夏を思わせる陽気に満たされた1日──仕事の現場下見の帰りに、母に会いにいった。
ユニットに入り、職員の方に挨拶をすると、最近の母の様子を知らせて下さった。
「毎日歌われていて、歌詞の意味も教えて下さいます」
〈誰も寝てはならぬ〉のエンディングで聴ける「勝つ」というイタリア語の歌詞のことだった。様々な記憶が遠のくなか、母は今でも、「vincero」という言葉の意味を憶えている。
──それも音楽の力のひとつなのかもしれない──
母が歌うたび、そう考えることが多くなった。
今日も母は、居室で音楽を聴いていた。最近の面会では、ぼくが誰なのかを思い出すには少し時間がかかるのだが、顔をみるなり、手を挙げて迎え入れてくれた。
母の歌に耳を傾けながら、とつとつと言葉を交わしていく。母の発音は、近ごろ聞き取りにくくなっていて、繰り返し聞き返すと3回目には「もういい」と言わんばかりに、笑みを浮かべながら手を横に振り口を閉ざしてしまう。だからこちらも2度目までに聞き取ろうと、集中して耳を澄ます。それでも、いくつかの言葉はわからない。けれど、もうそれでよかった。
──言葉を交わすために会いに来ているわけじゃない──
ぼくのことを思い出してからは、ぼくが生まれたばかりのころ、どれだけ身体が小さかったのかを何度も話してくれた。
顔の前に両手を差し出して球体を掴むようなポーズを繰り返しては、「こんなに小さかったのになぁ」と、繰り返し繰り返し伝えてくれた──晩年を迎えて、遠い昔の楽しい記憶が呼び覚まされてきているのだろう。
話題も浮かばず、ただ同じときを過ごすだけの時間が流れていた。母の車椅子に腰掛けながら窓の外を眺めつつ、バヴァロッティの歌声を聴く──。
──音楽・踊り・祈り──
それは恐らく、ひとが言葉を持つ前から備えていた想いを交わす術──言葉を超えた関わりが、母が愛した音楽によってもたらされている。
母の両親のことを、ぼくは知らない。ぼくが生まれたときに存命だったのかもわからない。
それでも、母は、特にお父さんのことをよく話してくれた。子供のころ、大阪・心斎橋の近くに住んでいて、夕飯が終わると姉と一緒に3人で散歩によく出かけたこと。みんなで喫茶店に入って甘いものやらを食べると、腹巻に忍ばせた財布からお父さんがお金を払ってくれたこと。輸入車販売の仕事をしていて、横浜港に陸揚げされた車両を大阪まで陸送していたこと。戦後の混乱期に輸入が制限され廃業したこと。晩年は小学校の用務員を務めていたこと。
──いつ亡くなったのか?──
訊ねても憶えていないという──昔のことには拘らない母らしい一面だが、85年というながい人生が、自ずとその悲しみを薄れさせてくれたのかもしれない。兄やぼくの誕生もまた、それに一役買っているのだろう。
いつかぼくに家族ができて、もし子を授かったら、母がぼくに話をしてくれたように、母のことを伝えたい。
いつも陽気で嘆いたり怒ったりしたこともなく、踊りと音楽と家族を愛した母だったことを。
「いってきます。」
いつもなら、面会のあとは帰り道にある区民プールに寄って水泳をすることになっていた。でも今日は寝不足でとても泳げそうにない。でも、ただ家に帰るだけだと「またね」と挨拶することになる。そう口にして別れるよりはいいと思った。
──ここが母の本当の家になるように──
ぼくが退出するとき、母にもいつか「いってらっしゃい」と、自然に見送ってもらえるようになるといいのだけれど。
できることなら、毎日顔を出したい。そうすれば、この家にいるのと何ら変わりなくなるから。
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【もう一度、音楽のある暮らしを】
2018年6月21日
母が入居している特別養護老人ホームは、全部屋個室となっている。
ならば、その環境を活かして、母に再び、音楽のある暮らしを──入居前からそう決めていたことを、ようやく実行した。
当初は、使いやすいように、ポータブル型のCDラジカセで対応しようと思っていたが、やはり、少しでも自然な音がするシステムにしたいと考え直し、小型のCDコンポを導入することにした。
先日、品が届いたので、前回に引き続き夕食どきを狙って施設に向かった。
既に夕飯を待ちわびて居間で過ごしていた母への挨拶も手短に、足早に居室へひとりこもってコンポを組み立てた。
準備してきたパヴァロッティ歌唱による〈誰も寝てはならぬ〉の各バージョンを収めたCDを再生して音のチェック──母のお気に入りの曲だ──しかし、まだスピーカーがエイジングされていないこともあるのか、期待していた出音が鳴らない。
マニュアルをみながら音質調整を試みるが…何も手を加えていないカーステレオの方が心地よく感じるレベル──。
母が聴き込んでくれたら、きっと音も馴染んでくるに違いない。それを期待することにしよう。
設置を終えて、最近の母の様子などを職員の方に伺ってから、食事の様子を確認しに居間に顔を出した。
周りの入居者の皆さんにとっては、身体の大きなぼくは特別珍しいのか、たくさん声をかけてくださる。
「いっぱい食べるの?」
「立派なお腹ね」
「お相撲さんみたい」
「いい息子さん」
母はその言葉を受けて、いつものように和かにしながら、ぼくは次男だということを何度も繰り返し説明していた。
そのせいで食事への興味が失せたのか、途中でほとんど食べずに箸を置いたあと突然ご立腹となり、器をテーブルの中央に寄せて自分から遠ざけてしまった。
「もう食べません」
近ごろ、こうした態度がよく見受けられる。認知力の低下が影響しているのはもちろんだが、環境の変化に伴って、言葉にし得ない心の叫びが積み重なっているのではないかと、案じている。
音楽が、もう一度、母の穏やかさを呼び覚ましてくれるといいのだけれど。
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【言葉にならない意思表示】
2018年6月15日
梅雨らしい雨降りの日──母に会いに行ったのは、10日ぶりだった。
──明らかに気持ちがざわついている──
全力を出し切ったあとに襲い来るいつもの波が押し寄せてきている。これまでとは比べものにならないほど、今の波は穏やかであるのだが、なかなか母のもとへ顔を出す気にはなれない日が続いた。
「今日もまた雨、か…。」
そんな言い訳を見繕って自宅でうなだれていたのだが、夕暮れに差し掛かるころ、何だか母のことが心配になって、いよいよ身体を起こした。
施設に到着したのは、ちょうど夕食どきだった。
初めてその時間帯にここへ来たが、とても美味しそうな香りが充満していることに驚いた。
──本当に、いい住処ににたどり着くことができたんだな──
そう感じながら母の住まうユニットに入る。食卓をみなさんで囲んで居間にいるはず…と思うも、母は車椅子に腰掛け、居室でひとりで過ごしていた。
配膳などで忙しくされていた職員の方がぼくに気づいて駆け寄ってきて、事情を説明してくださる──。
どうやら、駄々をこねて周りに迷惑をかけてしまったらしい。このところ、聞き分けのない言動が時おり目に余るようになってきていたので、少し心配していたのだが、その事情を伺って、自分にも責任があると感じた。
──言葉にならない意思表示──
今の母にだって、伝えたいことがたくさんあるに違いない。
──それを受け止める相手は、ぼくだ──
母が食事をする様を見つめながら、まだぼくが幼かったころ、仕事で長らく家を空けていた母の帰宅を、ただひたすらに、まさに指折り数えて待ちわびていたときのことを思い返していた。
「もういくつ寝ると、チャーちゃんが帰ってくるからね」
面倒をみてくれていた叔母が、よくそう言ってぼくを慰めてくれた。
今の母は、顔を合わせても、すぐにはぼくが誰だか思い出せなくなってきている。しばらく話をしているうちに記憶が蘇ってくると、少し瞳を潤ませて、ぼくに微笑んでくれる。
あまり思い出せなくなっても未だ「逢いたい」と感じてくれているのかもしれない。
「私があの世へ行くまでよろしくお願いします」
こんな風に、いつもの母の調子で冗談が出始めると、自ずと安心できるから不思議だ。
終の住処に母を送り届けたからといって、大きく変わったことは未だ何もない。日々の介助と絶え間ない気持ちの揺らぎに直面しないというだけで、こうして独りの時間を過ごせば、今までと変わらず、あらゆる感情が全身全霊にこだまする。
──万事が常時になるように──
荒れ狂う波間に佇んでいようとも、それが常であれば、それもまた凪たる時──。
壁掛けのカレンダーに記された詩を見つめる母の姿は、まさに凪ぎたる心のあり様だった。
母の日に贈ったタヌキは、今日も立派な腹太鼓を携えて、終始和かな笑顔をみせている。母は前の施設にいたころのように「タヌキちゃんタヌキちゃん」と声をかけて、笑顔を浮かべている。ふとこちらを向いた母の口元には、デザートの杏仁豆腐がこっそり隠れていて、そろそろ五十路の息子タヌキの顔にも思わず笑みが溢れた。
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【母の笑顔があるうちに】
2018年6月5日
いくつかの大仕事を終えて、久しぶりに母に会いに行った。
今日はぼくのことを思い出せなかったようだけれど、居室に入るなり手を上げて迎え入れてくれた。
「やぁやぁ」
いつもの母だった。
この前一緒にみた《サーカス》のこと、市原湖畔美術館でのパフォーマンスのこと、最近の出来事など、たわいもない話しをいくつかした。そんな取り留めもない会話は、かつて家で過ごしていたころと何も変わらなかった。
先に手渡した愛用のラジオは、使い方を思い出したようで、今日も耳元で賑やかに音を鳴らしていた。英語放送が流れていたので、「英語、憶えているの?」と訊ねると、「もちろんや」と、いつもの冗談が早速口を突いて飛び出してきた。母は、ぼくが中学に入学したころからだいぶ長く、英語やフランス語など数カ国語を勉強していたから、それなりに理解はできたはずなのだけれど、今はどこまでわかるのだろう?
そんな想像をめぐらせながら母の様子を見ていると、ラジオから流れてくるレゲエのビートに合わせて、布団を叩いたり、脚をバタつかせたりし始めた。
──赤児の戯れ──
「子供がそんなことをしたら親は何ていうか憶えてる?」
「しらん」
「埃が立つから静かにしなさいって言うんだよ」
そう伝えると、母はわざとぼくを困らせるようにして、手足をより大きくバタバタさせた。たっぷりの笑顔を浮かべながら。
足先がベッドからはみ出しそうになったので、布団をめくって覗いてみると、珍しく、素足だった。冬場は必ず靴下を履いて床に就く母だが──暑い夏がまた近づいてきている。
驚いたのは、足の甲がやけにツルツルとしていたことだ。車椅子生活で歩いていないことも影響しているのだろう。しかし決して弱々しくは見えず、薄っすらと透き通るように赤や青の血管が映るその肌は、美しささえ感じさせていた。
今、ぼくが疲れ過ぎているせいでもあるのだろう。些細なことで、気持ちが揺さぶられる。このまま何もせず過ごすと、再び闇と対峙することになるから、そうさせないためにも、と、帰りは水泳に向かうことにしていた。
──せめて水と戯れるだけでも──
そう思いつつ、最初のキックで伸びやかに水中に身を放つと、一瞬にして爽快感に包まれ、無駄な思考から解き放たれた。
途中、休憩しながら、ちびっ子たちの水泳教室の様子を眺めていた。初級コースらしく、まずは水に慣れることから挑戦していた。コーチが抱っこしながら、顔を水に浸けて浮かぶ練習──とても優しい教え方だった。
観ていると、やっぱり男の子の方が怖がりさんが多いらしい。ぼくも幼いころ、同じだった。
──おぞましい記憶が残っている──
まだ浮き輪をして水遊びをしていた時代、母に胴から抱え上げられて、頭ごと水面から何度も沈められたことがある。泣きじゃくるぼくの悲鳴などお構いなしで、繰り返し何度も…。
──母はまさにスパルタ教育者だったのだ──
そのおかげか、水泳もかなり早く上達したように思う。華麗ではなかったにせよ、ひと通りの泳法がこなせたし、クラス対抗の水泳大会では、いつも選抜メンバーだった。
今再び、こうして水に戯れているのも、そんな出来事があったから。母も水泳が好きだった。75歳まで毎週2回はプールで泳いでいた。下手なりにバタフライまで取り組んでいた。
40台後半で、ダイビングの国際ライセンスも取得した。当時家族で沖縄まで出掛けたのは、確かぼくが小学4年生のころ。本島から離れた慶良間諸島の民宿に泊まって、新宿育ちのぼくには未体験の暗転の夜を過ごした。降り注ぐ星空を見上げてその輝きに目を丸くして、捕まえたヤドカリに貝だけ残して逃げられて、アタリがでたアイスキャンディーを交換に行ったら「離島では輸送費が掛かるから交換できないんだよ」と教えられて、火傷するほど激しく日焼けして、ノリの効いたシーツに悶絶しながら過ごした沖縄での短い夏の日──透き通った碧く美しい海とは裏腹に、当時からサンゴ礁は破壊され始めていたことを目撃したり、たくさんのことを学ばせてくれた。
母はただ、自分が楽しもうとしていただけなのだろう。
それはきっと、今でも変わることはない。
母は毎日毎日、今を楽しんでいる。口では「退屈や」と言いながらも。
だって、楽しくなければ、こんな笑顔はみせられないから。
もしかすると、母から伝わるものがなくなったときこそ、いよいよ、その瞬間が間近に迫ってくるサインなのかもしれない。
今は顔を合わせられる時間が限られているけれど、そのひとつひとつを見逃さないようにしたい。何かを感じて、いつかそこから育んだことを何かの形で表現できるように。
それがきっと、母への恩返しになる。
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