【Nothing Compares 2 U】
2017年5月6日
「それ、ライブボーンやな」──。
4ヶ月に及んだ母の入院期間中、初めて昼どきに見舞いに行った。母が食事をしている様子を観たのも、この期間で初めてのことだった
──随分、少食になっている──
昨秋、退院後に帰宅してからもだいぶ食欲がなくなっていたが、やはりさらに進んでいる。それでも他の患者さんよりは食べられるようだ。
食欲のない患者さんには、看護課、リハビリ課のみなさんがつきっきりで促すも、なかなか受け付けてもらえない。母が少食になったといっても、少量でも残さず食べられるのだから、本能には、まだまだ生きる意欲があるに違いない。
《LIVE BONE》上演のため出張にでていた話題など、おしゃべりしてみたけれど、リハビリ直後だったせいもあるのか、母は少し疲れた様子で目も虚ろだった。それでも、ぼくが着ていったLIVE BONE Tシャツを見るなり
「それ、会場でも着てたやつやな」
と。
2013年、我が聖地=SPIRALホールで催された《LIVE BONE》劇場版を観てもらったときの話だ。あの頃はまだ歩けたし、自分のことは全部ひとりでできた。帰りもひとりでタクシーに乗れるほどだった(電車移動がそろそろ難しくなっていたころでもあった)。
──あれから思えば、母は今、本当に赤ちゃんみたいになりつつある。ぼくには子育ての経験がないけれど、その代わりをしているような気分になってきている。
色んなことを忘れつつある母だけれど、いくつかの出来事だけは今もこころに留まっているから不思議だ。
大切な記憶だけ携えてその先へ向かえたらそれでいい
帰り道、一年前のPrinceの急逝に捧げたThe Familyによるセルフカバー曲= 'Nothing Compares 2 U' を聴く。
きっとその世界に引きずりこまれたせいだろう。眩むような真昼の陽射しの中、頰を滑る風の感触は、昨日とだいぶ違う気がした。
母の退院まで、あと2日。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #介護者卒業間近 #母 #母入院中 #prince #thefamily #nothingcompares2u #livebone
【その選択が許された日】
2017年5月2日
その選択が許された日──。
今日も早起きして、連休中のおかずを作りおく。
母の次の受入先が決まった翌朝に、まるで走馬灯のように記憶を呼び覚ましてくれる思わせぶりな音楽を聴きながら調理をしていたものだから、この4年と半年ほどの日々のことが次々と蘇ってきた。
トントントントン──。
中学生のころ指先に火傷をして以来、演奏に支障がでるほどの痛みを遺した苦い経験のせいで、お湯さえ沸かさないようになっていたぼくが、ここまで料理をするようになったのだから、今日はいつだって新しい驚きと興奮を届けてくれるものだと、我ながらよく揃えられた下拵えの出来栄えを観ながら思った。
4年といったら、学校を卒業するくらいの時間だ。生まれた赤ん坊も、歩き出して言葉を話しているころだろう
──随分とながい時間が過ぎていた──
どんなに自分を肯定しようと、絶えず悔いが残るのが介護だと思い知らされた母との日々。出来合いの惣菜や出前に頼ったのは体調を崩したときくらいで数えるほどだったし、身の回りの世話にしても自分のことは随分と放ったままにして(周りにも迷惑をかけながら)できる限りのことをしたつもりだ。とても口外できないような無茶苦茶な暮らしだったけれど、よくやった、と思う
それでも──。
そう、いつだって、この言葉が後に続いてしまう
──「お互いのための選択を」──
どんなときもそう信じて岐路に立った。むろん行く手に見える景色は、そこに辿り着くまでは誰にも知れない。
我が家が幸運なのは、母が朗らかなことだ(今のところは)。そして、先へ進むに連れ、記憶を始め様々な機能がゆっくりと、そして着実に衰えていることだろう──
この春の選択は、この春でしかあり得なかった
──今のままの暮らしで創作に全力を投じることができるのか挑戦した去年の今ごろでも、キャリア史上最大のプレッシャーに向き合いながら何も手につかず闇に沈んだ一昨年でも、安息の地を喪って母とふたり顔を付き合わせながら息つく暇もない毎日が始まった一昨々年でも、頼りたかったときに助けが得られず絶望したあの始まりのころでもない──
唯一、昨日だけが、この選択が許される日だった
これからが、きっとながい。同時に、ひとつ一つの選択が、ますます重たくのしかかってくる。そのときにまた闇に沈み込んでしまわないように、この日々の渦の中で、身とこころを削ずるようにして学んだことを役立てていきたい。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #男の料理 #料理男子 #料理中年 #介護者卒業間近 #母 #母入院中 #選択の日 #judgementday
【太陽の子】
2017年5月1日
太陽の子──。
母の入院期限が迫るなか、今日は午前中からケアマネジャーを筆頭に、母をサポートしていただいている総勢8名によるオールスタッフでの担当者会議が行われた。主な内容は、老人保健施設へ移るまでの間にお世話になるショートステイ先への病棟からの申し送り。
母は、今日の機会のことについて、何もわかっていない様子だった。
まるで大人の集いのなかに紛れ込んだ子供のように、ひとり暇をもてましていた。よほど退屈したのか、途中、突然口を開いたと思ったら、何と
「ビールのみたい」
「乾杯〜」
と…。
「新しいネタらしいんですよ」
リハビリ担当者によると、このところ、こう口にしては目の前にいる人と拳を合わせて(ビールジョッキを持っているつもりで)乾杯ごっこをしているらしい。
「毎日大変なスタッフのみなさんを楽しませてあげようよ」
「せやなぁ」
子供のころ、バレエや声楽を嗜みながら舞台を夢見た母にとって、今はここがステージ──
「誰にでも笑顔で声をかけて下さるからか、川瀬さんが来てから、みんな明るくなったんですよ」
──リハビリ担当者からの言葉だ。
約束した通りに、母は周りを明るく照らしている。
会議終了後、そのまま母のリハビリを見学した。身体の動きそのものはだいぶ戻ってはいるようだったけれど、立ち上がり動作など安定的にできるわけではないようだ。そして今も、トイレの問題は解決できていない
──階段を昇るなら、一段ずつ──
入所を希望した老人保健施設は、自宅復帰率の高さでも定評のあるところらしい──可能性がある限り…。
諦めるのは、抗い尽くしてからでいい。
リハビリを終えると、昼食の時間になった。新病棟になってから病棟のコミュニティスペースが拡大されたので、状態のいい患者さんはリビングに集まるような形で食事を摂る。
「いつも川瀬さんの隣にきて話しをされる男性の方がいるんです」
──恋、か?
食事が始まろうというころ、ぼくと同じ年のころと思われる入院患者さんが母に声をかけていた。
「今日退院って聞いたから、朝から待ってたよ〜。お話は何だったの?」
「知らん」
そのひと言で、自然とみな笑いが浮かぶ。
母は、太陽。
ぼくはその子供──太陽の子。
リハビリの担当者は、去年の入院のときにも対応していただいた方だ。母の状態と自宅の様子も把握していただいているので、的確な意見がいただける──母の衰えと反比例して、その成長ぶりには眼を見張るものがあった。何より、顔つきが違う。自信というよりも、どこか優しさに溢れる表情をしていた。
お世話になっている方のために光を灯すことができたなら、太陽もきっと本望だろう。
退院まであと1週間。次の受け入れ先へ向かうための準備を進めたい。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #介護者卒業間近 #母 #母入院中
【こころを写す鏡】
2017年4月26日
人は互いを写す鏡──。
今の母は、見事にぼくのこころを写し出す
施設の空きを待ちながら続く入院も、いよいよ期限が迫ってきた。例外として延長もあるのか? と想像してはみたけれど、やはり制度は皆に等しく適用される。
5月中旬までは希望する施設の空きがないらしい。退院からそこへ移るまでの間は、これまで通り、ショートステイを頼る他ない。病院の相談係からケアマネジャーへ連絡を入れてもらい、調整をお願いした。幸いにも、慣れたショートステイに空きがあるらしく、希望している老人保健施設に移るまで受け入れてくださるという。
ただ、そこではリハビリは行われない。完全個室でトイレも室内にあるため、これまでと体力の異なる母が無理をしてしまう可能性もある。そして母の性格上、食事以外はほとんどベッドに横になってしまうだろう──。
ぼくの手を離れる以上、それはもうどうしようもないこと──考えないことにする。
今夜の見舞いの際、母にそのことを伝えた。
「来週、退院できるって」
そう浮れる母に本当のこと説明するのが、こんなにも苦しいだなんて…。
珍しく神妙な面持ちで、目線を逸らすこともなくうなづく母の顔を見ていると、そこから即座に逃げ出したい気持ちになった。
じっと見つめる母の表情から、ぼくはこころのなかでその無言のメッセージを創造してしまった。疑心暗鬼を生ずとはまさにこのことだろう
──育んできた創造力が暴走する──
結局、今夜は何度伝えても憶えてはもらえなかった
「来週、退院できるって」
そう何度も何度も繰り返す母の顔は、まるで幼な子のようだった。
2年前、仕事の都合で、嫌がる母を初めてショートステイに預けた日の痛みが今日、蘇ってきた。
まだ少し肌寒い日の朝、車に乗せようと母の手を引いた
「大きくて暖かい手や」
そう耳にしたときの張り裂けそうな想いを忘れないように…そう誓ったはずなのに。どこかで、ひとりこの静かな暮らしに酔っていた──
あの日を迎えないための準備が間に合わなかった。そして今も、何も変えられないままでいる
──結果がすべて──
無念。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #介護者卒業間近 #母 #母入院中 #老人保険施設 #ショートステイ
【さよなら炊飯器】
2017年4月26日
ぼくが台所を引き継いでから使わなくなった炊飯器。知人のもとへ旅立つ予定が浮上したので、動作確認をした。
できる限り汚れを落とし綺麗に身支度をして、スイッチON。炊飯器で米を炊いたのは、実に4年半振りだった。
つけ置き時間を考慮してタイマーをセットしさえすれば勝手に炊き上がるのは確かに便利だけれど、仕上がりは…土鍋で炊いた方が旨いと感じるのは、慣れか気のせいに違いない。
いずれにせよ、これ、25年前の機種だから、最新型には及ぶはずもないのだけれど──。
炊飯器を使わなくなった理由は単純
──いつか壊れるから──
最近では米を炊く以外の調理にも使うらしいが、原則、炊飯が主たる目的で毎日使わない我が家にとっては場所もとるし買換えには相応なコストがかかり、いいところが全くない。
ちなみに、最初に丁寧に処理をして、いきなり強火にかけないなど大切に使い続けている愛用の土鍋は、未だ現役。あらゆる調理に大活躍で、いまもヒビひとつ入っていない。
モノを愛しむ心を育んだつもりはないが、野球少年だったころから道具の手入れは好きだったし(それだけでプレイが上手くなる幻想を抱ける)、その後の思春期から現在に至るまでの楽器や青年期からのコンピュータも、できるかぎり自分で面倒をみている
──これを愛着、というのだろうか?──
必需品が増えていき、どれひとつ欠けても日々が成り立たないと自覚するようになったのは、楽器を手にしたころからだったかもしれない。
モノの扱いがあまりに自分とかけ離れている人とは、心の距離も自ずと…。
──求められる場所で──
それは、モノに限ったことではないことだ、と、ながらくぼくの腹を満たしてくれた炊飯器に礼を伝えながら思った夜だった。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #男の料理 #料理男子 #料理中年 #介護者卒業間近 #food #foodie #foodpics #foodphoto #instafood #foodstagram #delistgtammer #delicious #米 #rice #炊飯器 #ricecooker
【昭和レトロなガラス食器】
2017年4月25日
昭和の名残り──。
昨日からようやく着手した、母の食器コレクションの整理。
新宿の家からここに越して来るときに梱包されたままだった段ボール箱の山を初めて開けたのは、たしか3年前のこと。あまりの数に慄き、そのまま押入れの一番深いところへ押し込んだ記憶がある。
テーブルセットで買うものだから5脚揃っている場合が多く、とにかくかさ張る。それにしても、母ひとりでよくここまできちんと梱包したものだ。割れた食器はひとつもなかった。
昨夜、作業を中断して見舞いに行った歳、冗談混じりに状況を話した──
「晩餐会でもするつもりだったのか?」
東京に移ってくるときにほとんど処分したといっていたから、当時はどれだけの数だったのかと思うと気が遠くなる。
残されたものの大半は京都で暮らしていた時代のものだが、70年代も終るころ、〈インベーダー〉や〈パックマン〉といったテーブルゲーム全盛期に、東京の京橋駅近くで2年ほど「モーム」という名の喫茶店(サマセット・モームが名の由来)をやっていたこともあって、そのときに使われていたと思しき食器もだいぶ残っていた。
それらを合わせると…全部並べたら、きっと壮観な景色になることだろう──。
去年、横浜にスタジオレジデンスしていたとき、見学に連れ出した帰りに母を京橋まで連れて行った。車で通りがかっただけだったこともあってか、場所のことはあまり思い出せないようだった。
喫茶店として借りていた場所を解約する日、ビルのオーナーへの挨拶の席に、小学4年生だったぼくもなぜか同席していた。
品格のない薄情な笑顔を浮かべる先方から皮肉を言われたことだけ、なぜか今でもよく憶えている。
大人の嫌なところを感じた、これが最初の記憶かもしれない。
#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #在宅介護 #介護独身 #シーズン5 #男の料理 #料理男子 #料理中年 #母 #母入院中 #介護者卒業間近 #food #foodstagram #foodie #foodpics #foodphoto #glass #dish #喫茶店 #サマセットモーム #昭和 #昭和レトロ