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主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【いのちの選択】

主夫ロマンティックのひとりごと 介護

https://www.instagram.com/p/BEbUkrYLcvW/

 

緑深まる季節を迎えた。

そして今年の春にもまた、ある選択をすることになった。

 

母の心臓の状態を詳細に調べるための検査入院をお願いすることにした。検査を行うだけでもリスクが伴うため、ひと月ほど費やしてあらゆる可能性を検討したうえで慎重に結論を出した。母の心臓は、心臓弁膜症、冠動脈瘤を併発していると思われる──暖かい季節を迎えて血管も広がり、体内の血流が良くなるにつれ、身体全体に血液を送るだけのポンプの力が心臓に足りなくなっている──わずかに歩いただけで息が上がってしまうこと、血圧の乱高下が激しくなってきていることの理由は、医師の説明によるとこうなる。

 

昭和8年生まれ。83歳。戦争も高度経済成長も大阪万博も東京オリッピンクもバブル経済とその崩壊も数え切れないほどの震災も原発事故も目の当たりにした。自身では、若くして未亡人となりながらも二人の子供を育てた。

 

「人生、やりのこしなし。あとはお迎えを待つだけ」

 

母の口癖だ。会う人会う人に伝えている。

 

人間の死亡率は100%。今までのところ、誰もが必ず、いつかは終を迎えている。どんな偉人も富豪も貴族も王様も多くの民も聖人も罪人も、区別なく絶対確実に、そのときがくる──無理に延命させる気は、ぼくにもない。願っているのは、ただひとつ──

 

少しでも苦しませずにあの世へ送りたい

 

──それだけだ。

 

しかしそう願ったところで頭を悩ませてしまうのは、その方法について、誰にもわからないということ。長らく服用している薬を止めたところでどうなるのか? いくつかの治療のための選択肢を全て放棄したところで、望んだ通り、穏やかにあの世へ行けるのか? さらなる別の症状に見舞わてしまったり、寝たきりになったりはしないのか?

 

ある選択が、次の出来事を必ず約束してくれるわけじゃない。

 

いのちの選択に関わらず、すべてがそうだ。今日と同じ明日が来るとは限らない。過去の名声が未来の安泰を保証してくれるわけじゃない(その逆もまた然りである)。誰もが皆、過去にも未来にも生きることはできず、今日、今、この瞬間にしか存在できない。そして、その瞬間瞬間にいくつもの選択を迫られる──後戻りできない選択はしない──いつかの気づきが、ぼくにそう決意させてくれはしたが、母との日々で迫り続ける選択の数々は、いつもどこか、後味が悪い感触を残してしまう。

 

そんな想いで気持ちがいっぱいになると、ときおり極端な想像をしてしまうことがある──確実にあの世に母を送る方法がひとつ、あるかもしれない──ぼくがためらいさえしなければ…だが、弱虫なぼくに、無論そんな勇気はあるはずもない。そもそも、あの世が本当に極楽なのか? それさえわからないのに、今を終えたらきっと楽になれるだなんて、それほど不確か発想もない。

 

「あの世に行ってから現世の方がましだったな、と思っても戻ってこられない」

 

長生きするのは辛い──そう母がたまに口にするとき、ぼくはいつもこう応じている。その言葉もまた、不確か極まりないものだ。あの世があるのかさえ、誰も知らないというのに…。

 

後悔しないための唯一の方法は、望む結果を導くこと。だがしかし、今回の場合は、ぼくと母の努力だけでは、結果をコントロールすることはできない。

 

望む結果とは何か?

 

おそらく、全てを終えたときにしか、それが何だったのか、わかることはないような気がしている。

 

どんなときも、どんなことでも、約束できることはただ一つ──今できることを、全力でやりきる。

 

それだけ果たすことができれば、未だ見ぬ明日の景色にさえ、いつか納得できる日がきっと来る。どれだけ時間がかかるかは、わからないけれど、今はそう信じて、一歩踏み出すほか、ない。

 

 

 

【愛のかたち】

主夫ロマンティックのひとりごと 介護

https://www.instagram.com/p/BEnLB6HrcoA/

 

このところ、この丼ぶりを毎朝、母と食べている。

 

納豆・豆腐・枝豆を混ぜ合わせて、もち麦入り雑穀ご飯にのせたもの。どこかのテレビ番組で紹介されていて試してみたらとても美味しく、卵黄をのせたり、チーズを混ぜたり、おかかを振ったり…今日は、焼鮭もほぐして入れてみた。どんなアレンジをしても美味しくいただける見事なレシピである。

 

母とのいまの暮らしが始まって3年半。去年の今頃は、脳梗塞発症後、入退院を繰り返していて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあるころだった──今年の春こそは、穏やかに迎えたい──そう誓って、母と二人三脚、いや、二人一脚というのが正しいだろう。どちらかが倒れたらおしまい…そんな危うい綱渡りをしているような日々を過ごしながら、どうにか無事、今年の春を迎えた…はずだった。

 

昨冬から気になることが起こり始めていた。週3回、懸命のリハビリを行ってきたわりには、体力の回復がなかなか見込めず、ほんとんど家の中だけで過ごすことになった。冬場には、わずか30メートルほどあるけば息が上がってしまうようになり、体調の波も激しく移ろうようになっていた。筋力はさほど衰えていないのに…やはり、持久力を回復させるには時間がかかるものだな、と、素人目線で見守っていたのだが、状態を案じたリハビリの方から、循環器内科の受診を勧められた。血圧の乱高下も続き、上が160近くあったかと思えば、突如100を切ることもしばしば起こった。寒さのせいか? それとも薬のせいか? と、あらゆる検証をしていていたころだった。

 

長年の高血圧体質が祟ったのだろう。ながい間、投薬治療をしてきたけれど、心臓は想像以上に疲弊していた。以前から患っていた心臓弁膜症もより重症化し、さらには、案じていた通り、心臓冠動脈瘤も多数見受けられた。

 

医師からは、さらなる詳細な検査を勧められた。しかし、検査そのものにも、わずかならがリスクが伴う、という。検査を受けるかどうか、判断を少し待ってもらうことにした。

 

より詳細な心臓の状態がわかったところで、その先にどんな治療方法があるのか訊ねたところ、明快に回答をいただいた。

 

・人工弁膜置換手術

・冠動脈バイパス手術

カテーテルによる冠動脈瘤除去

 

どの方法が選択できるかは、検査後の判断になるそうだ。

 

結果は、誰にもわからない。

 

本人も十分だというほどながく生きてきて、もうこの浮世で背負った重荷などは、もう下ろしたいであろうはずなのに、いまから胸に大きな傷を残してまで、そして身体にも心にも負担を強いってまで手術を受けさせるべきか? それとも、いつ起動するかわからない「心不全」「心筋梗塞」という爆弾をかかえたまま、あとどれだけ残りの時間があるかわからない余生を過ごさせるのか? 簡単に選択することなど、ぼくにはできそうにない。

 

このまま何もせず、ほとんど家の中だけでの暮らしを強いられる毎日を選ぶのか? 

それとも、いくつかのリスクを承知のうえで、手術を受けるのか? 

 

手術を受けたあと、どんなことが起こりうるのか? そしてそもそも、手術を受けること自体、可能なのかどうか? それを知るためにも、検査だけでも受けるべきなのではないか?──いまは、その考えにまとまりつつある。手術を受けるかどうかは、そこから決めればいい。

 

手術が、想像以上に母の心身に負担をかけるようなら、このまま養生しながら生きる道を選ぶ──少しでも回復して、近所を散歩したり、買物にでて食べたいものを自分で選んだり、着たい洋服を見繕ったり…そんなことが、またできるようになる可能性が大きいのなら、前に進む──たぶん、そういう考えるのが、この場合、自然なのだろう。少なくともいま現在は、寝たきりになってしまわないように…どうかそれだけでも果たさせてあげたい。そのためにできることを、ぼくがすればいい。そう思っている。

 

無理な延命をさせるつもりは毛頭ない。それは本人も望んではいないことだから。今回の場合、仮に「余命いくばくもありません」と告げられたのなら、即、現状維持を選んだはずだ。しかし、あとどれだけの時間が母に残されているのか? そして、母が望むような、寝たきりにならず、なるべく苦しまず、周りに迷惑をかけないような終が、どうすれば迎えられるのか?──手術を受けようと受けまいと、明日のことなど、誰も知らない。

 

今朝、もう既に作り慣れてきたこの丼ぶりの支度をしながら、感じたことがある。

 

──こんな時間が、いつまでも続いたらいいのに──

 

仕事もろくに捗らない、社会との接点も気薄になりつつあるこんなときだというのに、ぼくは、そんな夢見がちなことを思い浮かべていたんだ。やっぱり、どうかしている。

 

切っても切れない親子という関係──それは、夫婦や家族という関係とは、全く異なるものだということを、今朝、この歳になって初めて実感したような気がした。「仕方なくやっている」という感覚は、不思議と微塵もない。言葉にならない何かに突き動かされるように、目の前の状況を少しでもよくするために、できることなら解決するために、自分のことを後回しにしてでも、ただただ全力を尽くす──。

 

それを、ぼくが今知り得る言葉で表現するなら、「愛」というのかもしれない。

 

──決して逃げ出すことなく、どんなときも苦楽を共に──

 

ぼくもいつか、そんな自分の家族を築いてみたい。

【想いは伝わるのか?】

主夫ロマンティックのひとりごと 介護

https://www.instagram.com/p/BEiDOA5Lcou/

 

プリンスの訃報を受けて以来、彼の作品を聴き返している。

 

かつては、そのサウンドばかりに耳がいっていたが、ほんの少し英語を嗜み始めたここ数年は、その歌詞の内容が気になるようになってきた。誰よりも「究極のもの」を求めていたに違いにない彼が、その過程での様々な気づきを歌にした…ぼくにはそんな風に聴こえてくる。そう聴こえるのは、ぼく自身の心象を映しているからかもしれない。

 

彼の訃報を受けた前日の午後、母のことについて新たな決断を迫られることになったのは、ここでも記した通り。解のない問いに向き合うかのごとく、今日も意識のあるときは、ほとんどずっとそのことを考えていた──明日のことは、誰にもわからない──ひとつの選択が、明日を変えてしまうこともある。しかし、次の一手が、そのまた次の一手をどうするべきか、教えてくれるわけじゃない──失敗しても、またやりなおせばいい──だからこそ、後戻りできる選択を…。

 

しかしこの場合、それがどうすることなのか? よくわからないままでいる。

 

母に、いつくかある選択肢のことについて話をするたび、心のなかで感じている。

 

──これは、「これが正解なんだ」と、ぼく自身に言い聞かせるための会話──

 

関係者に状況を説明するためにメールを記しているときもそう。

そして…ここにこんな風に綴っていることも…。

 

どんなに言葉を重ねても、ぼくの感じていることが相手に完全に伝わっているのか? 時折、不安になる。いや、伝わっているのかを案じる以前に、そもそも、ぼくが感じていることをぼく自身が完璧に把握して、それを言葉にできているのか? それさえ危うい。

 

そんなとき、プリンスの詩に耳を傾ける──。

  

And love, it isn't love until it's past (Prince 'Sometimes it snows in April' より)

 

ぼくの気持ちは、もう固まっているのだろう。

母も「任せる」と言ってくれている。

 

本当の大きな決断は、その先にある。

だからいま、一歩前に進まなくちゃいけない。

これは母だけではなく、ぼくはもちろん、家族全員のためでもある。

そう、信じて…。

 

 

 

【迫り来る新たなる決断】

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横浜に2ヶ月だけ借りた仕事場からの図。

 

ここへきて、早くも2週間が過ぎた。

つまりもう、残り6週間だけの仕事場、となっている。

 

海辺の街は、雨の様子もまたひと味違って映るものだ。

 

ここへ向かう前の午前中、先週に母が受けた心臓検査の結果を聞きに病院へ。案じていた通りの結果だった。ここ数ヶ月の間に母に見受けられるようになったいくつかの症状の原因がすべてはっきりした…そんな瞬間だった。

 

そして今また、次男であるぼくに決断が迫られている。


こんなとき、創作のなかに逃げ込めるほどの幸運はない。そのときだけは、何もかも忘れさせてくれるから──。


このところ、決断することについて、改めて考えていたところだった。ひとつの判断基準だけでは、どうにも太刀打ちできない。留まって後悔するより、挑んで失敗して後悔する方が納得できる「場合」もあるが、それが取り返しのつかないことだとしたら…どうするべきか?──時間の許される限り、じっくり考えたい。

 

そのためにも、こうして広い空と海がそばにあることは、とてもありがたい。

 

──後戻りできない選択は、してはならない──

 

いつかの気づきを、今こそ活かすとき。

 

 

 

夜更けに届いたプリンスの訃報に、少々混乱している。

これは、今夜は母のことについて考えるべきではない、というメッセージなのかもしれない。

 

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【これがテレビ電話だよお母さん】

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APPLEがFaceTimeをリリースしたのはいつだったろうか? そもそも通話はほどんどしないし、電話は顔が見えないからいいのだし…テレビ電話だなんて…恥ずかしいから…と、使うあてが見つからないままだったけれど、ついにその日がやってきた。そしてまさか、その最初の相手が母になろうとは! 

 

──未来がやってきた──

 

まさしく「夢にも思わなかった」その日である。改めて、今日という日はなんとも不可思議である、と、二ヶ月限定の仕事場である横浜の、海辺の夕景をFaceTimeで母に中継しながら考えていた(ぼくには通話というより、中継に近い感覚があって、とても素晴らしいと思った)。

 

練習に、目の前からFaceTimeでコールしてみると、特に使い方を教えずとも着信を受けることができることにまず驚いた。そしてその様子を眺めながら、昔から新しもの好きだった母のことを思い出した──頼んでもいないのに、任天堂の家庭用テレビゲーム1号機(テニスやブロック崩しができるモデル)を買ってくるし、ベータ方式のビデオデッキが突然家に届いたときには「音だけじゃなくて、画も撮れるのかっ!?」と、ぼくの方が驚かされたくらいだった。「パソコンに興味がある」と言ったら、どこかからシャープのモニタ一体型モデルをレンタルしてきてくれたほどだし、母が若かったら、iPhoneも誰よりも早く手にしていたことだろう。今の母には、ガラパゴス携帯やテレビのリモコンの方が扱いが難しいらしい。なにせ、ボタンがいっぱいありすぎるからね。

 

さて、次は何が覚えられるかな? Pepperを、どうにか我が家に招きたいのだけれど…。

 

ロボットと柔かな日常を過ごす──その未来を味わう日、やはり長生きはするものだと母は思えるだろうか?

 

ちなみに、【これがテレビ電話だよお母さん】とは、実際には口にしていない。「お母さん」や「ママ」だなんて、母のことを呼んだことはない。これまでなんて呼んでいたんだろう? なんだか恥ずかしくて、きちんと呼んだことがないかもしれない(この暮らしが始まってからは、「あなた」と会話のなかでは使っている)。

 

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【ぼくたちはここにいる】

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今日は早い時間からスタジオにいく予定にしていたのだが、体調が持ちなおさず、自宅作業に切り替えた──風雨が吹き荒れた午前中、母を風呂に入れる前になって、昨日に続いてめまいを覚えた。もしやと思い血圧を測ると、見事予感は的中。降圧剤が効きすぎていたらしい。少し休憩をとってから入浴介助を済ませ、ふたり分の昼を作って、弁当を詰めたころで、ダウンした。そのまま夜中まで眠っていたらしい。目覚めて血圧を測ると、無事正常値に戻っていた。


その後、作業の遅れを取り戻そうと、開発中のシステムのために手配した到着したばかりの新デバイスを認識させるため、マシンの調整に四苦八苦。数時間粘って、ようやく接続に成功。だいぶ遅めの夕食=弁当を頬張った。母は用意しておいた弁当をひとりで食べてくれたらしい。


母はいま「食べる努力」をしてくれているのだろう。詰めておいたぼくのと同じ弁当は、9割以上食べていた。放っておくと、手近に置けるお菓子や甘いものばかりでお腹を満たすから、ひとりの夕食はどうかと案じていたけれど、このところの様子に少し安心している。


母もぼくも、他の誰かを求めないのは、きっとお互いがそばにいられる現実がいまもあるからに違いない──ふと真夜中に、そんなことを思い浮かべた。


さて明日は、朝からごはんを炊こう。前回から試している、もち麦と雑穀入り胚芽米…親子揃って、なかなか気に入っている。


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2016年4月16日深夜 記

【42ヶ月】

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42カ月──母が事故を起こしてから、丁度、3年半が過ぎた。丸3年が経ったとき、なんとなく一区切りついた気がしたけれど、それからもう、さらに半年も時を重ねたことになる。そして今はこうして、母とぼくのために、作り置いたおかずを弁当にする日々が始まっている。以前は、作り置いたおかずを自分で取り分けて食べることができた母だが、徐々にそれもできなくなりつつある。


恐らく1年前のぼくなら、そんな様子をみてはひどく落胆し、苛立ちを隠せなかったに違いない。でも今は、明らかに捉え方が変わっていることが実感できる。自らの問題について治療を始めたことと併せて、ようやく、この現実を受け容れられるようになったのだと、このごろ思うようになった──3年半──長すぎたとは思わない。母との時間が、たくさんの気付きを授けてくれた。そしてまだまだこれからも、それは変わることなく、授けられ続けることだろう。


そのすべてをきちんと受け止められるように、もっともっと、敏感でありたい──母はゆっくりと、背負った荷物を下ろし始めている。この世に思い残すことのないように。いつか、はじめにいた棲家に帰ってゆくために──こうして、母との濃密な日々を過ごせていることを、改めて幸運に思う。あれから3年半を迎えた日の真夜中に。


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2016年4月15日深夜 記