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主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【二人一脚】母、入院100日記

https://www.instagram.com/p/BEYnUHVLcgy/

今日は、母が30年お世話になっている横浜の歯科医院へ3ヶ月振りに向かった。また、虫歯ができてしまった…。これから数回かけて治療に入るため、往復の送迎をするため、横浜の仕事場の稼働率が低下してしまうが、母を横浜へ連れて行く機会が増えれば、仕事場に設置している作品といま取り組んでいることを観てもらうのに都合がいい(はず)。 というわけで、早速今日、招いてみた。デビュー作《Long Autumn Sweet Thing》、代表作《ベアリング・グロッケン II》との再会──「これ、憶えている」と言ってもらえたのには安心した──そして、開発中のギターの演奏に合わせて光を奏でる様子をちょっとだけ見せてみた──伝わっていようといまいと関係ない。今夜、こうした時間が一緒に過ごせたことが大切だから。館内の見学を手短に済ませ、一緒にBankART Pubで夕食を。名物=タイカレーと新メニュー=バジル・パスタを分け合って食べて、家路に就いた。赤レンガ倉庫、山下公園、元町、本牧と、横浜名所を周ってから、ベイブリッジを経由して都内へ向かうことに。鶴見、川崎、羽田、芝浦、銀座…道中は、マーラーの10番を大音量で聴き入っていた。まばゆく妖しい光を放つ高速道路から眺める都会の景色は、音楽の力のお陰で、或る物語を奏でているように映った。母は時折鼻歌を歌い上機嫌な様子で、久しぶりの夜の時間を楽しんでいたようだった。指差した10年前のぼくの顔写真に「だいぶ若いときの顔やな」とツッコミを忘れなかった母──「いまの顔の方がいいですね」と、スウィートな女子たちが社交辞令をいってくれるんだ──ツッコミにひとこと返さずにはいられないぼく。母も、昔より今の方がずっといい顔をしている。 #主夫ロマンティック #主夫 #介護 #介護者 #介護独身 #BankARTAIR2016 #PlayALight #光を奏でる #installation #installationart #guitar #godin #electricguitar #笑顔 #smile #母 #mom #mother

 

春、夏と二つの季節が過ぎて、大好きな秋がやってきた。この間に起きた出来事を振り返りながらその月日を数えると、母が入院してから100日ほど経っていた──。

 

「介護者としての暮らしを守りながら、どこまで表現活動ができるのか?」

 

それを確かめるために二ヶ月限定で設けた横浜の仕事場だった(BankART AIR 2016参加)。途中、母にもスタジオの様子を見学に来てもらったりして、終盤まではとても順調だったが、オープンスタジオを目前に控えた5月中旬から母は体調を崩した。お願いしている往診医のサポートのもと在宅で療養していたが、一週間経過しても発熱が引かず、病院へ引き継いでもらうことになった。自宅で看ていた間、食事や身の回りの世話、トイレやおむつ交換など、ぼくは24時間体制でほとんど眠れない状態になっていた。入院が決まったとき、どこかで安心していた自分がいた。

 

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連日24時間、母を看ること5夜目──我が愛しい「孤独と重圧」に遂に耐えかねて、いつも通り、肌荒れ発生(泣) それでも束の間に風呂に入れたのはよかった。早く母も入れてあげたい。明日、少し元気になったら、身体を拭いてあげよう。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #介護危機 #JINSPC #天然パーマ #天パ民 #ヒゲ #肌荒れ #脂漏性皮膚炎 #遺影? #イエイ #疲労 #fatigue

 

この4年ほどの間に、本当にたくさんの時間を母と過ごしてきた。二人三脚、というよりも、二人一脚──そんな毎日──人生を締めくくりを迎えようとしているのか、母の心身には、様々な変調が見受けられるようになってきていた。

 

この夏に、母の心臓の状態を確認するための入院検査を予定していた。心臓弁膜症か冠動脈瘤、またはその両方の疑いがあり、その問題を取り除かないと、血圧の乱高下が抑えられない、という診断だった。症状によっては、心停止ということもある、と。もしも確実に、この症状があの世へ導いてくれるのなら、処置をしない、という選択もあったかもしれない。しかしいつものように「次の瞬間何が起こるのか? 誰も知り得ない」のである。無理な延命は本人も家族も望んではいない。けれど、目の前の問題に向けては、あらゆる可能性を考慮し対処していくしかないのだ。

 

夏に予定を組んでいたのは、ぼくの仕事の都合でもあった。海外出張が予定されていたため、それを終えたのちに──もし万が一のことがあっても対応できるように──万全の体制で臨むつもりだった。だが、まさに「誰も知り得ない」ように、母は倒れた。

 

入院の直接的な原因となったのは、引かない発熱。だが医師からは、解熱への処置を終えたところで、心臓の検査を行って、必要な処置を行う方向で検討してみてはどうかと助言いただいた。何度も入退院するのは、家族はもちろん、母本人にとっても負担になる。実に的確な助言だと考え、それに応じた。

 

ところが、母の発熱は、自宅で看ていたときと同様に、乱高下を繰り返していた。心臓の検査に移ろうにも、何よりまず熱が下がらないことには進めない。入院後から連日、熱源を特定すべくあらゆる検査をしていただいのだが、結局、原因が特定できないままだった。最終的に「不明熱」という、理由がわからない発熱症状ではないかとの判断が下された(シェーグレン症候群の疑いありとのこと)。

 

熱が下がらず検査にも進めない。さらには、弱っている心臓への負荷を考慮して、リハビリもできない(結局、その後、検査およびカテーテルによる心臓冠動脈へのステンシル挿入処置を受けることになったのだが、母は丸2ヶ月に渡って、ほとんど寝たきりだった)。

 

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病院へ向かう道すがら近所の洋品店に寄って、髪の毛がすっかり伸びた母に、カチューシャを買った。手にとって、得意の想像力をフル稼働しながら装着したときの様子を思い浮かべる──間違いなく似合わない──悶々としながら店舗を進むと、他にピンッとくるものが目に飛び込んできた──色はもちろん、赤だ──病院にて、まずはカチューシャから試してみる…すると案の定、一気に老け込んで見えてしまった──これはイケナイ──早速ヘアバンドに切り替える。髪の毛を押さえるという目的は満たさないものの、ボウボウさ加減が見た目抑えられ、かつ「やる気」に満ちた表情に映る。ちょっとした、ロックスターの雰囲気さえ漂わせる。これはなかなかいいじゃないか!──今日はまた熱がぶり返したらしく、38度近くまで上昇しているらしい。顔を合わせたときには少し疲れた様子だったが、ヘアバンド効果か、帰り際は表情にも活気が見えてきた──熱の原因がわかったらしい。明日、主治医から説明を受ける。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #nursing #carer #careperson #bed #hospital #入院 #hospitalization #nike #ナイキ

 

入院して一ト月半ほどが経過したころだったろうか。母の熱も比較的治まってきたところで、検査が行われた。結果は、案じたほどひどい状態ではなかった。心臓弁膜症がひどければ弁膜置換手術を、冠動脈瘤カテーテル処置できないほどであったならば、冠動脈バイパス手術を必要と伝えられるところだったが、いずれも重度ではなかった。ただ、冠動脈瘤が2箇所あり、これが心臓に負荷がかかっている原因になっているであろうとのこと。この程度であればカテーテルによるステンシル挿入処置をすることで解消できるという。それは、対処できる処置の選択肢のなかでは、最も身体への負担が少ないものだった。「やり残しなし」を声高にうたう母は、とにかくいかなる治療もいらないと口にするのだが(よく考えずに)、このまま放置しても寝たきりに近づくだけだと説得し、処置を受けてもらうことになった。

 

しかし問題になったのは、そのスケジュール──ぼくの不在の間に処置せざるを得なくなった──前年、母は脳梗塞を起こしている。高齢ゆえ、体内の血管の至るところに動脈瘤ができている可能性も非常に高い。カテーテルを挿入したことによって、血管の内側にあるコブを剥がしてしまうこともありうる。そしてそれが脳内の血管で詰まれば、再び脳梗塞を発症することになる。そうした検査による合併症が起こる可能性についても説明を受けたが、なんと「2%」もあるらしい──50人に1人──かなり高い確率であると考えるのが妥当であろう。

 

ぼくが立ち会っていようと、何もすることはできない。でも、家族だからこそできることがある──たとえその場にいるだけでも──それが叶うことはなかった。

 

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桃の夕暮れ。#空模様 #空 #sky #evening #東京 #tokyo #underconstruction #建設中 #pinksky #pink #桃色 #桃

 

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横浜へ出掛ける前の1時間、ちょうど夕食どきだったので、母を見舞いに病院まで向かった。弁当を買って、病室で一緒に食事を摂るも、母は何度も食べきれないおかずをぼくに勧めてくる。「食べた量も記録されているから」と伝えても「デザート、食べ」と…。顔色もよく元気そうだったが、目には映らないところは今も刻々と変化し続けている。そばでずっと看ているぼくには、変化の度合いも緩やかに映るが、1年に数えるほどしか顔を会わせることができない家族にとっては、都度、変わりぶりに大きく動揺するに違いない。その恐怖を想うと、自ずと足が遠のいても仕方のないことなのだろう──食事を終えて、母の歯を磨いて、入歯の手入れをして、すっかり伸びた髪をといてあげてから病室を後にした。エレベーター前の窓辺から見つめた夕暮れ時の空模様は、なんとも不可思議な色合いだった。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #母 #入院

 

2016年6月29日(水)午後──ぼくがバンコクへ向かう機上にいる時間、母は一人で処置を受けた──大丈夫。何事も独りで乗り越えてきた母だから。きっと、大丈夫。

 

1週間の出張期間中、2度に分けて心臓冠動脈瘤を拡張するためのステンシル挿入処置が行われた。2度目はぼくが帰国する翌日の予定だったが、1度目の処置後経過良好とのことで、ぼくが母と顔を合わせたときには、既に2箇所とも問題なく処置されていた。処置中の様子を記録した動画を見せていただいたが、ステンシル挿入後は、実に見事に、脈々と血液が脈打つようになっていた。見事だった。

 

母の顔色も、だいぶ良くなって元気そうだった。そして幸運なことに、心臓の問題を解決してから、熱がほとんど出なくなっているという。その理由については、担当医も「謎」と口にしていたが、因果関係がはっきりせずとも、熱にうなされずに済むのであればそれでいい。抗生剤も効かないような状態だったのだから。

 

2度も血管の中をカテーテルを通したせいもあって、処置後の母は内出血のあとだらけだった。

 

入院からちょうど2ヶ月が過ぎたころ、今度はいよいよ、自宅復帰に向けたリハビリを集中的に行うため、リハビリ病棟に移ることになった。4年前、自宅内で転落事故を起こして頭部を強打し、脳震盪を起こし救急で偶然運ばれた先は、リハビリに定評のある病院だった。これも、亡き父の加護によるものか? ここから最長3ヶ月に渡って、リハビリ、リハビリ、リハビリ、だ。

 

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母、リハビリ開始、3日目──リハビリを見学にいった。今の母の状態をこの目で確認しておきたかったから。伝え聞いていたよりも劣ってはいないように見えたが、筋力低下以上に身体の使い方を忘れてしまっているようで、起き上がり、立ち上がりとも不安定になっている。とくに立ち上がりは介助が必要な状態。ここでの挑戦は最長90日──果たして、母は自分の物語にどんなドラマを巻き起こせるだろうか? 専門家が首をかしげるほどの回復を期したい──それにしてもこのリハビリ室の図は懐かしい。ここへ通っていたのは3年前、《LIVE BONE》劇場版の制作中だった。今日と変わらず、ここから母を見守っていた。後ろ姿は随分と変わってしまったけれど、ぼくのもきっとだいぶ変わっているに違いない──背中を見つめる眼差しがある日は果たしてくるだろうか? なんてね(苦笑) #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #入院 #リハビリ #車椅子

 

2016年9月15日(木)正午──いまぼくは、これをフィリピンの空港で書いている。ロンドンに向かう乗継ぎのための中継地だ。9月に入って、母のリハビリの回復度合いを確認するため、リハビリ担当者、ケアマネージャー、福祉用具レンタル会社の担当者立ち会いのもと、自宅内でどれだけ過ごせるかを確認する「家屋内調査」というものが行われた。リハビリ開始当初は、自宅復帰を望むのは現状では難しいと判断され、家屋内調査前も自宅復帰が敵わなかった場合の「念のため」の策として、老人保険福祉施設への入所手続きも並行して行われていた。ぼく自身も、家屋内調査とは、自宅復帰できるかどうかを確認するというよりも、家族の目に、自宅で過ごすことは難しそうだと自覚させるためのものに違いないと覚悟していた。事実、ひとつひとつ確認される自宅内での動作のなかで、「これは家族にとっても相当負担になる」と思われる日常動作をとてもひとりではできそうにないことがわかった──これで終わりか──そう感じていたのであるが、担当者の判断は逆だった──「まずは自宅に戻って試してみましょう」──その場に立ち会って下さったケアマネージャーとも相談しながら、ヘルパーさんの導入、週2度のデイケアサービス(リハビリ付のデイサービス)通い、そしてこれまで通り、週2度の訪問リハビリを継続しながら、様子をみていくことになった。

 

のちに、退院の日取りも決まった。予定通り、無事に自宅に戻れたら、母にとっては約5ヶ月ぶりの我が家となる。

 

https://www.instagram.com/p/BKSqpXxgeGc/

母の退院予定が決まった──旅に出る前に、もう一度最新のリハビリの成果を確認しに病院へ向かった──さっさか歩けている──見舞いにいくと母はいつもそう口にしていたが、ぼくは半信半疑だった。でも、今日目にした限りでは、入院前の状態に限りなく近付いているように見えた。自宅に戻ってから環境が変われば、新たな問題も浮上するだろう。けれど今は、僅かながら希望がもてる──親身になって根気強く接して下さるリハビリ科のみなさんに、深く深く感謝したい。あと一ト月、調子に乗って院内で不用意な事故を起こさないようにお願いしてから病院をあとに(以前それで退院後に本人が苦しむことになったため)。また明日、顔を合わせてから出発したいと思う。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #母入院中 #退院日決定 #リハビリ

 

母が不在の間、母がぼくに与えてくれた時間を有意義に過ごすために、専心していた──コンパクトで一人でも移動可能なモバイル・ギターサウンドシステムの構築──衣類など、荷物の内容も吟味して、できるだけ簡素化したパッキングを心がけた。そして今、旅の途にいる。

 

https://www.instagram.com/p/BKXB7KtAAsY/

フィリピン=マニラ空港経由でロンドンに向かう。早朝到着便ゆえか、即座に搭乗ゲートへは通して貰えず、待合室で待機が指示された。まだ日が昇る前の時間、部屋は薄暗く、なんとも言いようのない居心地。疲れもピークゆえ、郷に従い仮眠をとることにした──2時間ほどうとうとしていたのだろうか? 午前8時、名前が呼ばれいよいよ搭乗ゲートへ。そしてなんと、朝食と昼食の引換券まで与えられた。薄暗い部屋から保管検査を通ってエレベーターで上階へ上がると、光に満ちたロビーに到着した──悪くない演出だ──Cafe Franceという名のお店でサンドイッチとコーヒーをオーダーしてお腹を満たしつつ、ひと息つく。すると、目の前ではスズメがチュンチュン鳴いている。タイルの上を足を滑らすこともなく、空を舞うように自由に駆け回り、旅行者の食べこぼしをさらっていく──そんな小さい身体で欲張ったら、ぼくみたいになるぞ──朝陽を浴びながら、スズメの戯れをも気にかけない寛容さを感じて、また眠気に包まれた。しかしここでは眠れない。次のフライトでぐっすり休みたいから。 #philipine #philipineairlines #transit #journey #tolondon

 

東京を発ってまずロンドンに入り、パリ、ベルリン、ミラノを3週間に渡って巡る。介護者として、表現者であることを同時に保てるかを試してきた日々をさらに拡張して、旅をしながら、そして表現をしながら、介護者としての使命を果たすことができるか? まずはその手始めとしてのテストケースが今回の旅である。

 

来年、再来年、そしてこれから先にも、こうした歩みを絶やさないようにしたい。とくに母が脳梗塞を起こしてからの1年半の間は、母のことにかかりきりだったから。自分の時間を大切にしたいと願う一方で、ひとりではどうにもならないことを思い知り、途方に暮れていた日々だった。そんな孤立状態からどうにか抜け出そうと必死だった今年。その挑戦の仕上げに、そしてこの挑戦の本当の意味での幕開けとして、この3週間に巡り合うであろう出来事をすべて感じ取ってきたい。

 

さて、長いと思っていた8時間の乗継ぎ待ちも、そろそろ搭乗時間が迫っている。どんな旅になるのだろうか? 後先考えず「今」を見つめたい。先入観や思い込み、常識というものを取り払いたい。そしてなにより、母とぼくと、ぼくのまわりにいるひとたちの安寧を祈ろう。こうして、ここで「今」を見つめていられるのは、たくさんの支えあってのことなのだから。

 

2016年9月15日──フィリピンにて。

 

以下、追記。

2016年9月16日──ロンドン Hounslowの宿にて。

https://www.instagram.com/p/BKah2Zig5QB/

「トラブルメイカー」──思いもよらぬ印象的な一言から旅は始まった──全旅程を予約したExpediaのオススメによると、ロンドン=ヒースロー空港から宿までの移動は、ヒースローエクスプレスを使えとでている。アプリから予約も済ませメールもプリントアウトしたし万全、かと思われたが、ここに二つの落とし穴があった──ひとつめ=メールには引換券が表示されていなかった──ふたつめ=宿は空港から近いのに、特急でロンドン中心部に近い駅まで連れて行かれた──出発3日前にブッキングして何も予定を決めずに飛びたったゆえ、きっと何かあるだろうと予想していたけれど、最初に入る国が英語の国ならきっと大丈夫…本当にそのまま、予想通りの展開になってしまった──鉄道スタッフは「Expediaはトラブルメイカー」といいながら最初は迷惑そうだった。けれど「Expediaにはトラブルを与えてくれて感謝している。そのおかげでぼくらは友達になれたんだから」と冗談をいうと、最後は満面の笑みで送り出してくれた。ブリティッシュアクセントが心地よい英国紳士、陽気な笑顔が血縁を想わせるイタリア系スタッフ、トルコ系と思われる顔立ちをした女性スタッフ…一気にたくさんの友達ができたのだから。ようやく列車に乗り込んで、即座にFree Wifiに接続。宿まで距離は直ぐだから最初の駅に違いない…そんな連想クイズは見事に不正解だった。アクセスしたGoogle Mapで確認した現在位置は、マークしておいたホテルをあっと言う間に過ぎ去っていったのだ──終着駅Padingtonにはノンストップで到着。そこで宿に直接電話してルートを確認した。60キロの荷物をアンチバリアフリーな地下鉄へ担ぎ込み、階段をガタガタ運びながらどうにか乗換えを済ますと、陽気に酔っ払ったお兄さんが絡んできた──「ミュージシャンか? スーツケースのなかにはドラムが入っているんだろう」と聞いてきたので、いつもの調子で腹を叩いて「ドラムはここだ(ニコ)」と応えると、案じた通り、彼をノセてしまった。そこからお兄さん、歌いだす。乗客も巻き込んで歌いだす(嗚呼)──「今夜はビールを何パイント飲んだんだ?」と訊ねるも、ぼくの質問は無視して歌い続ける彼(苦笑)──ふと後ろに目をやると、連れ合いの女性の姿が見えなくなっていた。「君の彼女はどこ?」この質問には流石に怯えたのか、ぼく顔まけの苦笑を浮かべたお兄さん…しばらくして気が晴れたようで、急に静かになって真顔に戻るあたりは、どこの国でも同じらしい──もう25時に近づいていただろうか? どういうわけか、着陸してから4時間近く経過してしまった。たどり着いたHounslowは普通の家屋も立ち並ぶ街で、昔観た映画《シド&ナンシー》やら《ピンクフロイド「ザ・ウォール」》に出てきそうな雰囲気がある。宿はだいぶ使い込まれていて、ところどころ軋む音がするものの、部屋は広くてありがたい。ベッドに身を沈め、ここを勧めてきたExpediaにはやはり感謝したい気分になったが、ドタバタの移動中にふと頭を過ぎったことを思い出した──これがもし、まだ見ぬ我が嫁との旅だったら、成田離婚確定だな──しかし、こんな夜をも楽しめない相手なら、とても一緒には居られないだろうな、と、異国でも早速、都合のいい言い訳を見繕うぼく…気付けば喉がカラカラだ。レセプションで教えてもらった近くの24時間巨大スーパーマーケットへ向かい水分を大量に仕入れるも、甘い香りの誘惑に負けてドーナツまで買ってしまった──大丈夫──今回の旅には、小型体重計を持ってきているから──また都合のいい言い訳か…(苦笑)──丁寧に暮らす──それがこれからの生きる指針だ。それを異国でも実行するため、愛用のコーヒーも携えてきた。携帯用ミルにドリッパー、それからポットがないときのためのコイル式電熱器まで──準備に余念がなかったのは旅程ではなく、まさに「日々」のためのことだった──さて、これから3週間とことん楽しもう。期せずして母が与えてくれた自由時間の締めくくりに、喜怒哀楽に充ち満ちた日々を。母が帰ってくる我が家に無事辿り着くまで。 #london #paris #berlin #milano #journey

【いのちの選択】

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緑深まる季節を迎えた。

そして今年の春にもまた、ある選択をすることになった。

 

母の心臓の状態を詳細に調べるための検査入院をお願いすることにした。検査を行うだけでもリスクが伴うため、ひと月ほど費やしてあらゆる可能性を検討したうえで慎重に結論を出した。母の心臓は、心臓弁膜症、冠動脈瘤を併発していると思われる──暖かい季節を迎えて血管も広がり、体内の血流が良くなるにつれ、身体全体に血液を送るだけのポンプの力が心臓に足りなくなっている──わずかに歩いただけで息が上がってしまうこと、血圧の乱高下が激しくなってきていることの理由は、医師の説明によるとこうなる。

 

昭和8年生まれ。83歳。戦争も高度経済成長も大阪万博も東京オリッピンクもバブル経済とその崩壊も数え切れないほどの震災も原発事故も目の当たりにした。自身では、若くして未亡人となりながらも二人の子供を育てた。

 

「人生、やりのこしなし。あとはお迎えを待つだけ」

 

母の口癖だ。会う人会う人に伝えている。

 

人間の死亡率は100%。今までのところ、誰もが必ず、いつかは終を迎えている。どんな偉人も富豪も貴族も王様も多くの民も聖人も罪人も、区別なく絶対確実に、そのときがくる──無理に延命させる気は、ぼくにもない。願っているのは、ただひとつ──

 

少しでも苦しませずにあの世へ送りたい

 

──それだけだ。

 

しかしそう願ったところで頭を悩ませてしまうのは、その方法について、誰にもわからないということ。長らく服用している薬を止めたところでどうなるのか? いくつかの治療のための選択肢を全て放棄したところで、望んだ通り、穏やかにあの世へ行けるのか? さらなる別の症状に見舞わてしまったり、寝たきりになったりはしないのか?

 

ある選択が、次の出来事を必ず約束してくれるわけじゃない。

 

いのちの選択に関わらず、すべてがそうだ。今日と同じ明日が来るとは限らない。過去の名声が未来の安泰を保証してくれるわけじゃない(その逆もまた然りである)。誰もが皆、過去にも未来にも生きることはできず、今日、今、この瞬間にしか存在できない。そして、その瞬間瞬間にいくつもの選択を迫られる──後戻りできない選択はしない──いつかの気づきが、ぼくにそう決意させてくれはしたが、母との日々で迫り続ける選択の数々は、いつもどこか、後味が悪い感触を残してしまう。

 

そんな想いで気持ちがいっぱいになると、ときおり極端な想像をしてしまうことがある──確実にあの世に母を送る方法がひとつ、あるかもしれない──ぼくがためらいさえしなければ…だが、弱虫なぼくに、無論そんな勇気はあるはずもない。そもそも、あの世が本当に極楽なのか? それさえわからないのに、今を終えたらきっと楽になれるだなんて、それほど不確か発想もない。

 

「あの世に行ってから現世の方がましだったな、と思っても戻ってこられない」

 

長生きするのは辛い──そう母がたまに口にするとき、ぼくはいつもこう応じている。その言葉もまた、不確か極まりないものだ。あの世があるのかさえ、誰も知らないというのに…。

 

後悔しないための唯一の方法は、望む結果を導くこと。だがしかし、今回の場合は、ぼくと母の努力だけでは、結果をコントロールすることはできない。

 

望む結果とは何か?

 

おそらく、全てを終えたときにしか、それが何だったのか、わかることはないような気がしている。

 

どんなときも、どんなことでも、約束できることはただ一つ──今できることを、全力でやりきる。

 

それだけ果たすことができれば、未だ見ぬ明日の景色にさえ、いつか納得できる日がきっと来る。どれだけ時間がかかるかは、わからないけれど、今はそう信じて、一歩踏み出すほか、ない。

 

 

 

【愛のかたち】

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このところ、この丼ぶりを毎朝、母と食べている。

 

納豆・豆腐・枝豆を混ぜ合わせて、もち麦入り雑穀ご飯にのせたもの。どこかのテレビ番組で紹介されていて試してみたらとても美味しく、卵黄をのせたり、チーズを混ぜたり、おかかを振ったり…今日は、焼鮭もほぐして入れてみた。どんなアレンジをしても美味しくいただける見事なレシピである。

 

母とのいまの暮らしが始まって3年半。去年の今頃は、脳梗塞発症後、入退院を繰り返していて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあるころだった──今年の春こそは、穏やかに迎えたい──そう誓って、母と二人三脚、いや、二人一脚というのが正しいだろう。どちらかが倒れたらおしまい…そんな危うい綱渡りをしているような日々を過ごしながら、どうにか無事、今年の春を迎えた…はずだった。

 

昨冬から気になることが起こり始めていた。週3回、懸命のリハビリを行ってきたわりには、体力の回復がなかなか見込めず、ほんとんど家の中だけで過ごすことになった。冬場には、わずか30メートルほどあるけば息が上がってしまうようになり、体調の波も激しく移ろうようになっていた。筋力はさほど衰えていないのに…やはり、持久力を回復させるには時間がかかるものだな、と、素人目線で見守っていたのだが、状態を案じたリハビリの方から、循環器内科の受診を勧められた。血圧の乱高下も続き、上が160近くあったかと思えば、突如100を切ることもしばしば起こった。寒さのせいか? それとも薬のせいか? と、あらゆる検証をしていていたころだった。

 

長年の高血圧体質が祟ったのだろう。ながい間、投薬治療をしてきたけれど、心臓は想像以上に疲弊していた。以前から患っていた心臓弁膜症もより重症化し、さらには、案じていた通り、心臓冠動脈瘤も多数見受けられた。

 

医師からは、さらなる詳細な検査を勧められた。しかし、検査そのものにも、わずかならがリスクが伴う、という。検査を受けるかどうか、判断を少し待ってもらうことにした。

 

より詳細な心臓の状態がわかったところで、その先にどんな治療方法があるのか訊ねたところ、明快に回答をいただいた。

 

・人工弁膜置換手術

・冠動脈バイパス手術

カテーテルによる冠動脈瘤除去

 

どの方法が選択できるかは、検査後の判断になるそうだ。

 

結果は、誰にもわからない。

 

本人も十分だというほどながく生きてきて、もうこの浮世で背負った重荷などは、もう下ろしたいであろうはずなのに、いまから胸に大きな傷を残してまで、そして身体にも心にも負担を強いってまで手術を受けさせるべきか? それとも、いつ起動するかわからない「心不全」「心筋梗塞」という爆弾をかかえたまま、あとどれだけ残りの時間があるかわからない余生を過ごさせるのか? 簡単に選択することなど、ぼくにはできそうにない。

 

このまま何もせず、ほとんど家の中だけでの暮らしを強いられる毎日を選ぶのか? 

それとも、いくつかのリスクを承知のうえで、手術を受けるのか? 

 

手術を受けたあと、どんなことが起こりうるのか? そしてそもそも、手術を受けること自体、可能なのかどうか? それを知るためにも、検査だけでも受けるべきなのではないか?──いまは、その考えにまとまりつつある。手術を受けるかどうかは、そこから決めればいい。

 

手術が、想像以上に母の心身に負担をかけるようなら、このまま養生しながら生きる道を選ぶ──少しでも回復して、近所を散歩したり、買物にでて食べたいものを自分で選んだり、着たい洋服を見繕ったり…そんなことが、またできるようになる可能性が大きいのなら、前に進む──たぶん、そういう考えるのが、この場合、自然なのだろう。少なくともいま現在は、寝たきりになってしまわないように…どうかそれだけでも果たさせてあげたい。そのためにできることを、ぼくがすればいい。そう思っている。

 

無理な延命をさせるつもりは毛頭ない。それは本人も望んではいないことだから。今回の場合、仮に「余命いくばくもありません」と告げられたのなら、即、現状維持を選んだはずだ。しかし、あとどれだけの時間が母に残されているのか? そして、母が望むような、寝たきりにならず、なるべく苦しまず、周りに迷惑をかけないような終が、どうすれば迎えられるのか?──手術を受けようと受けまいと、明日のことなど、誰も知らない。

 

今朝、もう既に作り慣れてきたこの丼ぶりの支度をしながら、感じたことがある。

 

──こんな時間が、いつまでも続いたらいいのに──

 

仕事もろくに捗らない、社会との接点も気薄になりつつあるこんなときだというのに、ぼくは、そんな夢見がちなことを思い浮かべていたんだ。やっぱり、どうかしている。

 

切っても切れない親子という関係──それは、夫婦や家族という関係とは、全く異なるものだということを、今朝、この歳になって初めて実感したような気がした。「仕方なくやっている」という感覚は、不思議と微塵もない。言葉にならない何かに突き動かされるように、目の前の状況を少しでもよくするために、できることなら解決するために、自分のことを後回しにしてでも、ただただ全力を尽くす──。

 

それを、ぼくが今知り得る言葉で表現するなら、「愛」というのかもしれない。

 

──決して逃げ出すことなく、どんなときも苦楽を共に──

 

ぼくもいつか、そんな自分の家族を築いてみたい。

【想いは伝わるのか?】

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https://www.instagram.com/p/BEiDOA5Lcou/

 

プリンスの訃報を受けて以来、彼の作品を聴き返している。

 

かつては、そのサウンドばかりに耳がいっていたが、ほんの少し英語を嗜み始めたここ数年は、その歌詞の内容が気になるようになってきた。誰よりも「究極のもの」を求めていたに違いにない彼が、その過程での様々な気づきを歌にした…ぼくにはそんな風に聴こえてくる。そう聴こえるのは、ぼく自身の心象を映しているからかもしれない。

 

彼の訃報を受けた前日の午後、母のことについて新たな決断を迫られることになったのは、ここでも記した通り。解のない問いに向き合うかのごとく、今日も意識のあるときは、ほとんどずっとそのことを考えていた──明日のことは、誰にもわからない──ひとつの選択が、明日を変えてしまうこともある。しかし、次の一手が、そのまた次の一手をどうするべきか、教えてくれるわけじゃない──失敗しても、またやりなおせばいい──だからこそ、後戻りできる選択を…。

 

しかしこの場合、それがどうすることなのか? よくわからないままでいる。

 

母に、いつくかある選択肢のことについて話をするたび、心のなかで感じている。

 

──これは、「これが正解なんだ」と、ぼく自身に言い聞かせるための会話──

 

関係者に状況を説明するためにメールを記しているときもそう。

そして…ここにこんな風に綴っていることも…。

 

どんなに言葉を重ねても、ぼくの感じていることが相手に完全に伝わっているのか? 時折、不安になる。いや、伝わっているのかを案じる以前に、そもそも、ぼくが感じていることをぼく自身が完璧に把握して、それを言葉にできているのか? それさえ危うい。

 

そんなとき、プリンスの詩に耳を傾ける──。

  

And love, it isn't love until it's past (Prince 'Sometimes it snows in April' より)

 

ぼくの気持ちは、もう固まっているのだろう。

母も「任せる」と言ってくれている。

 

本当の大きな決断は、その先にある。

だからいま、一歩前に進まなくちゃいけない。

これは母だけではなく、ぼくはもちろん、家族全員のためでもある。

そう、信じて…。

 

 

 

【迫り来る新たなる決断】

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横浜に2ヶ月だけ借りた仕事場からの図。

 

ここへきて、早くも2週間が過ぎた。

つまりもう、残り6週間だけの仕事場、となっている。

 

海辺の街は、雨の様子もまたひと味違って映るものだ。

 

ここへ向かう前の午前中、先週に母が受けた心臓検査の結果を聞きに病院へ。案じていた通りの結果だった。ここ数ヶ月の間に母に見受けられるようになったいくつかの症状の原因がすべてはっきりした…そんな瞬間だった。

 

そして今また、次男であるぼくに決断が迫られている。


こんなとき、創作のなかに逃げ込めるほどの幸運はない。そのときだけは、何もかも忘れさせてくれるから──。


このところ、決断することについて、改めて考えていたところだった。ひとつの判断基準だけでは、どうにも太刀打ちできない。留まって後悔するより、挑んで失敗して後悔する方が納得できる「場合」もあるが、それが取り返しのつかないことだとしたら…どうするべきか?──時間の許される限り、じっくり考えたい。

 

そのためにも、こうして広い空と海がそばにあることは、とてもありがたい。

 

──後戻りできない選択は、してはならない──

 

いつかの気づきを、今こそ活かすとき。

 

 

 

夜更けに届いたプリンスの訃報に、少々混乱している。

これは、今夜は母のことについて考えるべきではない、というメッセージなのかもしれない。

 

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【これがテレビ電話だよお母さん】

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APPLEがFaceTimeをリリースしたのはいつだったろうか? そもそも通話はほどんどしないし、電話は顔が見えないからいいのだし…テレビ電話だなんて…恥ずかしいから…と、使うあてが見つからないままだったけれど、ついにその日がやってきた。そしてまさか、その最初の相手が母になろうとは! 

 

──未来がやってきた──

 

まさしく「夢にも思わなかった」その日である。改めて、今日という日はなんとも不可思議である、と、二ヶ月限定の仕事場である横浜の、海辺の夕景をFaceTimeで母に中継しながら考えていた(ぼくには通話というより、中継に近い感覚があって、とても素晴らしいと思った)。

 

練習に、目の前からFaceTimeでコールしてみると、特に使い方を教えずとも着信を受けることができることにまず驚いた。そしてその様子を眺めながら、昔から新しもの好きだった母のことを思い出した──頼んでもいないのに、任天堂の家庭用テレビゲーム1号機(テニスやブロック崩しができるモデル)を買ってくるし、ベータ方式のビデオデッキが突然家に届いたときには「音だけじゃなくて、画も撮れるのかっ!?」と、ぼくの方が驚かされたくらいだった。「パソコンに興味がある」と言ったら、どこかからシャープのモニタ一体型モデルをレンタルしてきてくれたほどだし、母が若かったら、iPhoneも誰よりも早く手にしていたことだろう。今の母には、ガラパゴス携帯やテレビのリモコンの方が扱いが難しいらしい。なにせ、ボタンがいっぱいありすぎるからね。

 

さて、次は何が覚えられるかな? Pepperを、どうにか我が家に招きたいのだけれど…。

 

ロボットと柔かな日常を過ごす──その未来を味わう日、やはり長生きはするものだと母は思えるだろうか?

 

ちなみに、【これがテレビ電話だよお母さん】とは、実際には口にしていない。「お母さん」や「ママ」だなんて、母のことを呼んだことはない。これまでなんて呼んでいたんだろう? なんだか恥ずかしくて、きちんと呼んだことがないかもしれない(この暮らしが始まってからは、「あなた」と会話のなかでは使っている)。

 

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【ぼくたちはここにいる】

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今日は早い時間からスタジオにいく予定にしていたのだが、体調が持ちなおさず、自宅作業に切り替えた──風雨が吹き荒れた午前中、母を風呂に入れる前になって、昨日に続いてめまいを覚えた。もしやと思い血圧を測ると、見事予感は的中。降圧剤が効きすぎていたらしい。少し休憩をとってから入浴介助を済ませ、ふたり分の昼を作って、弁当を詰めたころで、ダウンした。そのまま夜中まで眠っていたらしい。目覚めて血圧を測ると、無事正常値に戻っていた。


その後、作業の遅れを取り戻そうと、開発中のシステムのために手配した到着したばかりの新デバイスを認識させるため、マシンの調整に四苦八苦。数時間粘って、ようやく接続に成功。だいぶ遅めの夕食=弁当を頬張った。母は用意しておいた弁当をひとりで食べてくれたらしい。


母はいま「食べる努力」をしてくれているのだろう。詰めておいたぼくのと同じ弁当は、9割以上食べていた。放っておくと、手近に置けるお菓子や甘いものばかりでお腹を満たすから、ひとりの夕食はどうかと案じていたけれど、このところの様子に少し安心している。


母もぼくも、他の誰かを求めないのは、きっとお互いがそばにいられる現実がいまもあるからに違いない──ふと真夜中に、そんなことを思い浮かべた。


さて明日は、朝からごはんを炊こう。前回から試している、もち麦と雑穀入り胚芽米…親子揃って、なかなか気に入っている。


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2016年4月16日深夜 記